リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 召喚と、背中を守る盾
リュートに課せられていた三日間の謹慎が明けた、冷たい朝。
本宮の玉座の間へと続く控え室では、第二王子を召喚する直前の最終的な「想定問答(シナリオ)」のすり合わせが、国王と王妃の間で密かに行われていた。
「陛下。間もなくリュート殿下が参ります。……決して、『父親』としての情を見せてはなりません」
マルガレーテは、憔悴しきったゼノンへ向けて、氷の刃のような声で釘を刺した。
国王ゼノンは、「神の子」として周囲から無条件の称賛を浴びて純粋培養されてきた男だ。王としての威厳を取り繕うことはできても、その精神構造は帝国基準で見ればあまりにも脆く、本質的には身内への情が深い「優しい」人物であった。
彼にとって、北の武闘派であるアイギス公爵家出身の王妃マルガレーテは、王宮の管理者としては全幅の信頼を置く「戦友」であり「優秀な同僚」であったが、そこに家族としての安らぎや愛情は皆無だった。常に大局と論理で盤面を支配する彼女を、ゼノンは内心でひどく恐れていた。二人の間に、ついに子供が恵まれなかったのも必然の理と言えた。
だからこそ、ゼノンはルナリアを大切にしたのである。冷徹な戦友(王妃)の管理下で密かに離宮へと通い、彼女との穏やかな時間にだけ、王としての重圧から解放される真の安らぎを見出していた。
そして、黒髪赤眼の息子リュートに対しても、決して愛情がなかったわけではない。ただ、彼が万が一にも玉座への野心を抱き、結果として血みどろの粛清を受けることがないよう、幼い頃からあえて徹底的に冷遇し、突き放す『演技』を王妃から強いられていたのだ。ルナリアもまた、リュートが自らの身を守れるだけの実力をつけるまでは、その異常な知性をゼノンに一切明かしていなかった。
「分かっている……。だが、リュートの悲しみと怒りは正当だ。ヒルデガードやグラクトが直接命じずとも、あの狂犬(セオリス)の鎖を外し、きっかけを与えたのは奴らだろう。余は、ルナリアを奪ったセオリスを絶対に許さん」
ギリッと拳を握りしめるゼノン。彼自身、事件の決定的な原因はセオリスの暴走だと確信しつつも、第一側妃陣営の関与を疑い、激しい怒りを抱えていた。
だが、マルガレーテはその王の個人的な怒りすらも、冷徹な国家運営のロジックで絡め取る。
「ええ。ですから、その陛下ご自身の『怒り』と、リュート殿下の『怒り』の落としどころとして、妥協案を用意したのです。……セオリスは、ゼノビア侯爵家自身の手で秘密裏に極刑とする。これが王家の裁定です」
「……」
「第一王子殿下の関与という疑惑を王家の品位という壁で完全に弾き返しつつ、実質的な報復の果実(セオリスの死)を密かに与える。これで、彼ら母子に何の救いも与えられなかったという陛下の胸の痛みも、少しは和らぐでしょう。……いかに彼が聡明であろうと、この司法取引を吞むしかありません」
ゼノンは、己の無力さと悲しみを王の仮面の下に隠し、重々しく頷いた。
◇
同時刻、離宮。
本宮からの正式な召喚状を受け取ったリュートは、喪に服すような漆黒の正装に身を包み、鏡の前で自らの表情筋を完全に殺す作業を終えていた。
母を惨殺された悲しみも、狂いそうなほどの憎悪も、今はすべて奥底へ封じ込める。浮かび上がったのは、復讐に狂う子供の顔ではなく、冷徹な交渉人(政治家)としての完成された仮面であった。
「お兄様、どうかご無事で……。吉報をお待ちしております」
あの惨劇の夜から離宮に留まり続けているリーゼロッテに短く頷き、部屋を出ようとしたリュートの背後に、音もなく一つの影が寄り添った。
ルリカであった。だが、その出で立ちはいつもの質素な侍女服ではない。急所を覆う軽量の防具を纏い、帝国式の暗殺剣を腰に帯びた、完全なる戦闘武装状態だった。
「……ルリカ。本宮には近衛騎士たちがいる。武装した君が同行すれば、無用の警戒と反発を招くぞ」
リュートが静かに問うと、彼女はかつての主命に縛られた「影」としてではなく、自らの明確な意志を持った一人の人間として、真っ直ぐに彼の赤い瞳を見返した。
「本宮の近衛など、信用に値しません。……国王陛下がどれほどルナリア様を思い、密かに離宮へ足を運んでおられたか、私は知っています。ですが、陛下のその『個人的な優しさ』では、ルナリア様を守ることはできなかった」
ルリカは剣の柄にそっと手を添え、静かに、しかし絶対の熱量を持って言い放った。
「王の威光にも、近衛の盾にも、もう私の主君の命は預けられない。……リュート様の背中を守るのは、彼らではなく私の役目です」
それは、ルナリアから自由な選択を与えられ、血の繋がりを超えた「新しい家族」としての縁を結んだ彼女の、確固たる意志表示だった。体制の庇護を捨て、自らの力でリュートの絶対の「盾」となるという気高い覚悟。
リュートはその灰色の瞳に宿る決意の重さを受け止め、ふっと口元を和らげた。
「……分かった。背中は頼むよ、ルリカ」
「はい」
主従の鎖を断ち切り、共に修羅の道を歩むと誓った二人。
優しくも無力な王と、冷徹な王妃が「目先の復讐」で丸め込もうと待ち構える玉座の間へ向けて、彼らは新秩序を創設するための劇薬を胸に秘め、静かに離宮の扉を開いた。