リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
5 第三の条件(人事権)と、司法取引の成立
第一王子の継承権白紙化という本命の劇薬を、論理と「忠弟の演技」で王家に飲ませたリュートは、間髪入れずに最後の要求を突きつけた。
「三つ目。僕の離宮住まいの継続と、離宮における『完全な人事権』を認めること。……あのような惨劇を許す杜撰な近衛騎士たちには、二度と身を任せられません」
それは、王宮という巨大なシステムの中に、王家の監視が及ばない「リュートの独立国家(不可侵領域)」を作るという宣言に等しかった。
王妃マルガレーテは、即座に正論をもってその盾を弾きにかかる。
「王宮の敷地内に、身元不確かな者を勝手に入れることは認められません。それは国家の中枢における安全保障上の重大な瑕疵となります」
王妃の冷徹な眼差しを受けながら、リュートは一歩も引かなかった。
「身元が不確かとは? それは概念の問題です」
「概念、ですか」
「はい。貴族籍の有無や王宮の推薦状が、忠誠と安全を担保するわけではないことは、今回のセオリスの件で証明されています。重要なのは『誰の責任の下で管理されているか』という所属の明確化です。僕が責任を持って雇用し、身元を保証する以上、彼らは不確かな存在ではありません」
前世の法知識に基づく、既存の身分制度の欠陥を突いた鋭い概念勝負。
マルガレーテは反論を組み立てながら、眼前の少年に対する自らの評価基準を完全に書き換えていた。
『……十三歳という年齢の枠でこの者を測るのは、為政者として致命的な見誤りね』
彼女の脳裏に、王家の正典に記された過去の歴史が過る。幼少期より他国の地図を睨み、大人たちを凌駕する戦略で領土を拡大したと伝わる『地図を睨む王』など、王族の歴史には数世紀に一度、規格外の早熟な天才が生まれることがある。
リュートはその系譜なのだ。年齢という枠組みを捨て去れば、彼はすでに完成された知性と牙を持つ、極めて危険な一個の政治的脅威に他ならない。
『ルナリア……。貴女はあの離宮で、この怪物が実力をつけるまで、その異常な知性を完璧に隠し通していたのね』
亡き側妃の執念と、目の前の少年の底知れぬ実力に戦慄を覚えつつも、マルガレーテは国家の防衛者として妥協点を探る。完全な自由を与えれば、離宮が本物の軍事拠点になりかねない。
「……貴族籍以外の者を雇う場合は、必ず陛下および私の『承認』を必須とすること。それならば許可しましょう」
王妃が提示した、実質的な監視の担保。
リュートはそれが交渉の限界点であることを正確に見極め、「承知いたしました。名簿は必ず提出いたします」と、あっさりとその妥協点に着地した。
だが、リュートの交渉はここでは終わらない。彼は盤面を完全に固定するため、最後に重い「脅し」と「甘い果実」を玉座に置いた。
「もしこれらの条件が一つでも反故にされるようなことがあれば……僕は自らの身の安全のため、母上の祖国である帝国へ走ることも考えねばなりません」
「……っ!」
ゼノンとマルガレーテの顔色が変わる。王国の血を引く王子が、不当な扱いを理由に帝国へ亡命すれば、それを大義名分として帝国軍が国境を越えてくる最悪の事態(開戦)を招く。
「ですが、王家がこの約定を違えぬ限り、僕は王国に留まります。そして……僕が掌握している『東部海運組合』からの莫大な利益は、今後も変わらず王家へ上納し続けることをお約束します」
国家の経済を潤す莫大な利権の担保。
帝国という強大な「鞭(恐怖)」と、海運組合の利益という抗いがたい「飴(実利)」。
ゼノンは、もはや十三歳の息子ではなく、一人の冷徹な君主と対峙しているような錯覚に陥っていた。王の個人的な優しさなど入り込む余地のない、純粋な法と利益による暴力。
「……よかろう」
重苦しい沈黙の果てに、国王ゼノンが深く頷いた。
王妃マルガレーテもまた、防波堤を維持しつつ御家騒動を回避するための「最善の取引」として、無言のまま同意の視線を送る。
「第一王子殿下の継承権は一旦白紙とし、学園卒業時の評価まで凍結する。ゼノビア侯爵家には法廷への出廷を命じ、離宮の人事権は一定の条件付きでそなたに委ねる。……これで、よいな」
「はい。寛大なる王家の裁定に、深く感謝いたします」
リュートは、完璧な臣下の礼をとって深々と頭を下げた。
ここに、王家の思惑(トカゲの尻尾切り)と、リュートの思惑(グラクト陣営への精神的破壊と離宮の独立)が複雑に絡み合った、極限の『極秘の司法取引』が成立した。