リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第7話『品位の天秤2』

2 愚者の保身と焦燥(教育の失敗と、玉座からの宣告)

 

 これまで生まれながらの「神の子」として、望むものすべてを手に入れ、周囲から無条件の称賛を浴びて生きてきた第一王子グラクト。しかし、あの夜、離宮でルナリアに自らの精神的な脆弱さを完全に暴かれ、心をへし折られて以来、彼の完璧な人生は音を立てて崩れ落ちていた。

 

 それでも彼の中には、幼い頃から剣の師として慕い、兄のように頼ってきたセオリスに対する微かな情と、己の無力さをどうにか取り繕いたいという虚栄心が残っていた。

 

「陛下! 王妃殿下! お願いです、明日の法廷で僕にセオリスの弁護をさせてください!」

 グラクトは玉座の間に駆け込み、国王ゼノンと王妃マルガレーテに対して必死に頭を下げた。

 

「あいつがやったことは許されない犯罪です。でも、あいつは僕のために、僕の品位を守るために動いてくれたんです! だから、僕があいつの罪を軽くしてやる義務が――」

「――黙れ、グラクト!!」

 国王ゼノンの激しい怒号が、玉座の間に轟いた。

 

 グラクトはビクッと肩を震わせ、すがるような目で両親を見上げる。だが、ゼノンの顔にあるのは激怒と、そして深い「失望」であった。

 

「お前が法廷の前面に出れば、それこそ第一王子が暗殺を教唆したという疑惑が再燃し、王家の品位が致命的に問われるのだぞ! それすら理解できんのか!」

 ゼノンは玉座の肘掛けを強く叩き、己の息子の致命的な「為政者としての欠陥」を容赦なく指摘した。

 

「それに、お前は根本的に勘違いをしている。……上位の者の品位を守るために、下位の臣下が自ら泥を被り、責任を負う。それは確かにこの国の美しき形式(ルール)だ。だがな、臣下が泥を被るのは『無条件の義務』ではない!」

 王家といえど、ただ無条件に搾取するだけでは体制は維持できない。

 

「臣下に泥を被らせ、自らの手を汚さずに品位を保ってもらったのならば、為政者はその配慮と犠牲を深く理解し、のちに別の形(恩賞や一族の取り立て)で必ず報いなければならない。……だがお前はどうだ。臣下が犠牲になるのを当然の忠誠とし、ただ寛大に『許す』だけで終わっている。犠牲に対する『対価』を何も理解していない!」

 与えられるばかりで、報いることを知らない傲慢さ。

 

 それは、「血統」という生まれ持った価値に甘えきった精神の腐敗であった。そのような主君に、真の忠誠を誓う優秀な臣下など育つはずがない。

 

「……陛下のおっしゃる通りです。グラクト殿下、貴方のその浅薄な思考には、もはや看過できない政治的危うさがあります」

 隣に座るマルガレーテが、氷のような瞳でグラクトを見下ろし、国家の決定事項を無慈悲に突きつけた。

 

「貴方の側近を御する能力の欠如、そして為政者としての自覚の無さを鑑み……陛下と私で協議した結果、貴方の『王位継承権』を本日をもって一旦白紙に戻します。次期国王の決定は、貴方が王立学園を卒業する際の評価まで凍結します」

 

「……え?」

 グラクトの頭が真っ白になった。

 自分を脅かす政敵(リュート)の暗躍など、彼には知る由もない。ただ、目の前に座る絶対的な存在が、自らの未熟さを理由に「次期国王としての価値」を剝奪したのだ。

 

 王たる威厳など微塵もない。彼の中に最後に残ったのは、両親の底知れぬ失望にこれ以上触れることへの強烈な恐怖と、自己保身だけだった。

 

「……っ、そ、んな……」

 彼は顔を伏せ、逃げるように玉座の間を後にした。己の絶対性を失った少年は、もはやセオリスを救うという薄っぺらな義侠心すら完全に忘れ去っていた。

 

   ◇

 

 玉座の間の重い扉が閉まり、静寂が戻ると、王妃マルガレーテは深く息を吐き出し、玉座から立ち上がってゼノンの御前で静かに頭を下げた。

 

「……私の、完全な失態です。陛下」

 先程までの冷徹な女狐の仮面が剝がれ、そこには一人の疲弊した為政者の顔があった。

 

「グラクトの側近として、王家の品位を絶対視する脳筋の狂信者しか置かなかったこと。そして、現状維持に甘んじて手を打たなかったこと……すべては、私の教育と管理の失敗でございます」

「マルガレーテ……」

 

「ですが、立ち止まっている暇はありません。この失態を回復するため……今後は私自身がすべての時間を割いて、グラクトの教育と精神の矯正を直接行います。これ以上、第一側妃の狭い視野に彼を任せておくわけにはいきません」

 さらにマルガレーテは、王家の血統を守り抜くための次なる盤面の構築を口にする。

 

「同時に、グラクトの婚約者たるヴィオラの『王妃教育』も急務です。この国の玉座には、金髪金眼の血統を持つグラクトを据える以外の道はありません。あの子には将来、グラクトの欠落を十全に補い、支えるという重責を担わせねばなりません。私の時間を削ってでも、王宮随一の教育係たちをすべてヴィオラに手配します」

 それは、次代の安定のために自らが「憎まれ役」という泥を被り、王家の品位を守り抜くという気高い覚悟であった。

 

 もしここで「リュートの進言によるものだ」と責任を転嫁していれば、無用な兄弟間の憎悪を生み、血みどろの御家騒動を誘発していたかもしれない。マルガレーテは平和と体制のために、あえて己を悪役に仕立て上げたのだ。

 

 そして彼女は、完璧な王妃(ヴィオラ)の支えと……ゆくゆくは、あの恐るべき知性を見せつけた第二王子(リュート)の冷徹な補佐すらも、体制の内に組み込まねばならないという過酷な未来の図面を、密かに描き始めていた。

 

 ゼノンは、妻が背負ったその十字架の重さを誰よりも正しく理解していた。

 彼は玉座から立ち上がると歩み寄り、その華奢な肩をそっと抱き寄せた。先程グラクトに説いた「泥を被った臣下への対価(配慮の理解)」を、彼自身が妻に対して示すように。

 

「いや……余の方こそ、すまなかった。余は、この王宮の複雑な管理のすべてを、そなた一人に背負わせていた。そなたが王家の品位のために尽くしてくれた忠誠と犠牲に、長年報いきれていなかったのだ。……すまない」

 ルナリアを失い、為政者としての孤独と重圧に押し潰されそうになっていたゼノン。そして、冷徹な管理者の仮面を被り続け、国内の安定のために王家の品位を守るために泥を被ったマルガレーテ。

 

 政治的な戦友として冷え切っていた二人の間に、久方ぶりの、そして静かで深い男女の慰め合いが生まれていた。彼らもまた、この国を心から憂い、守ろうと足搔く気高き為政者であった。

 

   ◇

 

 一方、玉座の間を逃げ出したグラクトの足は、無意識のうちに第三側妃の私室へと向かっていた。

 すべてを否定され、絶対の継承権すら白紙にされた少年にとって、自らを無条件で甘やかし、肯定してくれる第三側妃ソフィアは、もはや唯一の逃げ場だった。

 

「……ソフィア……!」

「ああ、グラクト様。ひどくお震えになって……さあ、わたくしの胸へ」

 部屋に転がり込んできたグラクトを、ソフィアは妖艶な笑みを浮かべて抱き留める。

 

 己の保身のために忠臣を見捨てた罪悪感も、王家の期待も、すべてを忘却の彼方へ押し流すように。グラクトは縋りつくように彼女の柔らかな胸に顔を埋め、身も心も溶かすような、破滅的で甘い毒へと深く沈んでいった。

 

 

 

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