リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 離宮会議
最高法廷での極度の緊張から解放された離宮の書斎。
重厚な扉を閉ざし、リュート、リーゼロッテ、そして護衛のルリカの三人だけとなった空間で、静かな事後分析が始まっていた。
リュートが淹れた紅茶の香りが微かに漂う中、リーゼロッテが真剣な眼差しで一つの疑問を口にした。
「お兄様。今日、セオリスは『品位』という規範によって裁かれました。第一王子よりも、国王の品位が重いという天秤の論理で。……王家すらもそれに縛られ、ある種の法として機能しているのなら、なぜお兄様は、この体制を根本から崩壊させる必要があるとお考えなのですか?」
体制が自浄作用(裁き)を持っているのなら、システム自体は存続できるのではないかという純粋な疑問。リュートは直接答える代わりに、静かに問いを投げ返した。
「今日セオリスが死刑になったのは、彼が殺したのが『国王の側妃』だったからだ。……ではリーゼ、もし彼が第一王子の品位を守るという大義名分のもと、斬り殺したのが平民や下位の貴族だったなら、今日の法廷はどうなっていたと思う?」
その問いかけに、リーゼロッテはハッと息を呑んだ。
彼女の聡明な頭脳が、即座にこの国のルールの歪みを導き出す。
「……無罪、あるいは極めて軽い罰で終わっていたはずです。国王の品位と衝突しない限り、『上位者の品位を守るため』という動機は、絶対の正当性を持ってしまうから」
「その通りだ。上位の者の体裁一つで、下位の者の命の価値が不平等に扱われる。これが第一の欠陥だ」
リュートは頷き、さらに思考を促す。
「そしてもう一つ。今日の裁判で、意図的に『触れられなかった事実』があるはずだが?」
「……第一側妃の関与ですわ」
リーゼロッテは、己を産んだ女(第一側妃)と、血の繫がった第一王子を思い浮かべながら、一切の感情を排した冷たい声で断じた。彼女の中に、もはや彼らを家族として呼ぶような甘い感傷は微塵も残っていない。
「第一側妃まで捜査の手を伸ばせば、王家の品位が致命的に損なわれる。だから彼らは、都合よく事実認定を途中で打ち切ったのですね」
「ああ。法とは本来、万人に『これをやったら必ずこう罰せられる』という【予見可能性】を与えるものでなければならない。だがこの国の『品位』は、権力者の都合でいかようにも解釈を捻じ曲げ、不都合な真実を隠蔽できる。……これは法ではない。為政者のための『恣意的な免罪符』だ」
リュートの言葉に、壁際で控えていたルリカが、実戦のプロフェッショナルとしての現実的な疑問を差し挟む。
「……リュート様。確かにその通りですが、明文化された成文法があったとしても、狂人や、死を覚悟した者は止められません。ルールが刃を止める魔法ではない以上、お母様(ルナリア様)を襲ったような悲劇を完全に防ぐことは不可能ではありませんか?」
「ルリカの言う通りだ。法は魔法ではないし、万能の盾でもない」
リュートは自身の護衛の鋭い指摘をあっさりと肯定し、その上で冷徹に論理を返す。
「だが、この国の『品位』という曖昧な規範は、法以上にタチが悪い。なぜなら、セオリスのような人間に『主君のためなら許されるかもしれない』『むしろ褒められるかもしれない』という錯覚を与え、凶行を助長してしまうからだ。その結果が、あの悲劇だ」
愛する母の命を奪ったのは、ただの狂刃ではない。このシステムが生み出した『狂信の肯定』と『隠蔽の連鎖』だ。
「だからこそ、一部の権力者による解釈の独占を許してはならない。王権すらも等しく縛り、誰もが明確に予見できる成文法を創設しなければならないんだ。……この狂った人治国家を、完全に破壊してでも」
一部の特権階級に都合の良い免罪符を焼き払い、誰もが平等に裁かれる法治国家の創設。
一人の修羅が掲げるその途方もない大義名分に、リーゼロッテとルリカは深く共鳴し、改めて己の魂を捧げる覚悟を固めた。
「……よく分かりました。お母様を理不尽に奪い、己の保身のためにルールを歪め、忠臣すら平然と使い捨てる第一王子や第一側妃。彼らに、この国を導く資格はありません」
リーゼロッテは、決別の意志を込めてはっきりと断言した。
「お兄様が目指す、真の法治国家の創設。その過酷な道へ、私はどこまでも付き従います」
その迷いのない言葉に、ルリカも静かに頷く。
離宮の小さな書斎で交わされた対話は、旧体制を打倒し、新秩序を打ち立てるための強固な思想的基盤(イデオロギー)として、彼女たちの裡に深く根を下ろしたのだった。