リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
5 蜘蛛の雌伏と見出された手駒
第一側妃ヒルデガードは、自室の豪奢な長椅子に深く腰を沈め、冷え切った瞳で薄暗い虚空を見つめていた。
『状況は、最悪と言っていいわね』
狂犬セオリスの暴走と、明日執行されるであろう死刑判決。それに伴う連帯責任として、実父であるゼノビア侯爵には厳しい謹慎処分が下された。武門の筆頭であり、彼女の最大の権力基盤であった実家の影響力は、今や見る影もなく失墜している。
おまけに、彼女が手塩にかけて育て上げた「最高傑作」である第一王子グラクトは、自らの罪悪感から逃げるように第三側妃ソフィアの閨へと入り浸り、完全に籠絡されてしまった。
盤面は完全にひっくり返った。今の彼女には、失われた権力を取り戻し、反撃に転じるための新たな「手駒」がどうしても必要だった。
次期王妃と目されるヴィオラは使えない。あれは完全に王妃(マルガレーテ)の手駒であり、容易に手出しできる領域にはいない。
ならば、誰がいるか。
ヒルデガードの脳裏に、これまで「帝国の老いぼれに宛がう政略結婚の道具」程度にしか考えていなかった、実の娘の姿が浮かび上がった。
第一王女、リーゼロッテ。
現在、彼女は宰相の進言により、帝国使節団の接待責任者という重務に就いている。もし彼女がこの難題を完璧に成し遂げれば、帝国との間に太いパイプができる。実母であるヒルデガードは、その「娘の功績とコネクション」を己の新たな後ろ盾として堂々と利用できる。
逆に、激務と重圧に耐えかねて失敗したとしても構わない。その時は、傷物になった彼女を適当な宮廷貴族へ政略結婚の道具として売り飛ばせばいいのだ。
ただし、ソフィアの実家であり、現在グラクトにすり寄っているセラフィナ侯爵家は除外する。それ以外の有力な侯爵家へリーゼを嫁がせ、強固な血の繫がりを利用して新たな派閥を形成し、第三側妃の勢力を物理的に削ぎ落とす。
どちらに転んでも、ヒルデガードにとって損はない完璧な盤面であった。
『グラクトを取り戻す機会は、必ず来る』
ソフィアがグラクトを独占できているのは、「情交奉仕者」という特例的な役目を与えられているからに過ぎない。彼が王立学園に入学すれば、その役目は自動的に終了し、ソフィアはただの側妃へと戻る。
強固な物理的依存関係が合法的に断ち切られるその時こそが、ソフィアの洗脳を解き、未来の国王を再び自分の手元へ引き戻す最大の好機となる。
それまでは、静かに泥水をすすり、暗闇で牙を研ぎ澄ませるしかない。
ヒルデガードは、自らの血を分けた娘すらも無機質な政治の道具として計算式に組み込み、毒蜘蛛のように冷たく嗜虐的な笑みを浮かべた。
だが、完璧な再起のシナリオを思い描く彼女の脳裏に、ふと冷たい事実がよぎる。
『……そういえば、あの日から陛下が私の寝所へ渡ってこなくなったわね』
ルナリアの惨劇があったあの日から、国王ゼノンは不自然なほどヒルデガードを避けている。王家の品位と実利、そして己の欲望のみで動くあの男の沈黙が意味するものを、老獪な第一側妃は冷徹に計算し始めていた。