リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 創設者の葛藤(自己嫌悪と孤独)
狂乱の公開処刑が終わり、王都が夕闇に沈み始めた頃。
リュートは東の海運組合が王都に所有する隠れ家の一室で、ランプの火も点けずに一人、深い静寂と暗闇の中に沈んでいた。
第一王子陣営の宮廷勢力を削ぎ、群衆に決定的な不信の種を蒔く。
セオリスという狂犬の「社会的・物理的抹殺」という当初の目的は、完璧な形で達成された。王宮の盤面は確実にひび割れ、自らが思い描いた通りの軌道を描いている。
だが、冷たい革張りの椅子に深く身を沈めるリュートの胸の内を支配していたのは、勝利の美酒などではなく、鉛のように重く冷たい「自己嫌悪」であった。
『……本当に、これでよかったのか?』
ただセオリスを排除するだけなら、彼を法廷の表舞台に引きずり出す必要はなかった。ゼノビア侯爵家に圧力をかけ、地下牢で静かに毒杯を仰がせることも十分に可能だったはずだ。
だが、自分はそうしなかった。言葉巧みに彼の復讐心を煽り立て、狂気に満ちた群衆の暴力の真ん中へ放り込み、最も残酷な形で処刑台の上で叫ばせたのだ。
『僕は「品位」という曖昧な不文律で母上を殺した体制(ヒルデガード)を憎悪し、成文法による法治国家の創設を誓ったはずだ。だが、今日僕がやったことは何だ?』
知性が高いがゆえに、リュートの思考は残酷なまでに自己の矛盾を正確に解剖していく。
自分は結局、憎むべき『品位という人治のシステム』と『大衆の狂気』を利用して、政敵を盤面から消し去ったに過ぎない。
手を下さず、状況とルールを操作して標的を最も凄惨な死へと誘導する。その手口は、母ルナリアを孤立させ、セオリスをけしかけた第一側妃ヒルデガードの邪悪な論理と、本質的に何一つ変わらないのではないか。
『僕は、ただの私怨に塗れた陰惨な復讐鬼に成り下がっただけだ。高尚な理想など、己の残虐性を正当化するための詭弁に過ぎない』
猛烈な自己嫌悪が、冷たい泥のように足元から這い上がってくる。
前世の知識という強大な武器を持っているからこそ、彼は己が「法治」を掲げながら「人治の暴力」を嬉々として振るっているという致命的な矛盾に気づき、底なしの暗い陥穽へと落ちていった。
この息が詰まるほどの孤独と矛盾を打ち明けられる者は、今の彼には誰もいない。
唯一、どんな姿であっても自分を全肯定してくれた母・ルナリアは、もうこの世にはいない。
並外れた知性を持つ妹のリーゼロッテならば、あるいはこの盤面の意図を理解してくれるかもしれない。だが、凄惨な暴力に晒されたばかりのまだ十一歳の妹に対し、兄である自分が「己の行いの正当性」について泣き言を漏らすなど、絶対に許されることではなかった。彼女の前では、常に揺るがぬ完璧な庇護者(兄)であり続けなければならない。
彼の頭脳が導き出した「己への論破」に対し、リュートは一切の反論を構築することができなかった。
彼は血塗られた自らの両手を薄暗い部屋の中で見つめ、絶望と孤独の底でただ一人、静かに奥歯を噛み締めていた。
◇
深い自己嫌悪の底で暗闇に沈んでいたリュートの鼓膜を、控えめなノックの音が叩いた。
返事を待たずに静かに扉を開けて入ってきたのは、東のオルディナ公爵家令嬢、アイリスである。近く来訪する帝国の使節団に関する非公式な交渉と、待機させていた魔導船団の運用について確認するために訪れたのだ。
「リュート様。船団への出撃要請がないまま、突然ゼノビア家の嫡男が処刑されましたが、王宮で一体何が――」
用件を切り出そうとした彼女は、ランプの灯りに照らされたリュートの姿を見て、はっと息を呑んだ。
王宮の泥沼を冷徹に渡り歩く、あの隙のない少年の顔が完全に崩れ去っている。そこにいたのは、自身の知性が生み出した矛盾と罪悪感に押し潰されそうになっている、脆く孤独な姿であった。
「……アイリス、か」
リュートの口から、掠れた声が漏れる。
極限の精神状態にあった彼は、東の地で「共犯者」となった彼女に対し、王宮で起きた凄惨な事実をすべて吐露し始めた。
第一側妃の謀略によって離宮が完全な密室と化したこと。そこに狂犬が放たれ、母ルナリアが原型をとどめないほどに破壊され、命を落としたこと。そして、王家が帝国の報復を恐れて完全な箝口令を敷き、真実を闇に葬ったこと。
アイリスはその残酷すぎる真実に言葉を失い、痛ましげに瞳を揺らした。だが、リュートの告白はそれだけでは終わらなかった。
「僕は、侯爵家に圧力をかけてセオリスを地下牢で密かに始末することもできた。でも、そうしなかった」
リュートは血塗られた自らの両手を薄暗い部屋の中で見つめる。
「母上を殺した体制(ヒルデガード)を憎悪しておきながら、僕は結局、彼らが重んじる『品位』という曖昧なルールと、何も知らない『大衆の狂気』を利用して、彼を処刑台の真ん中に引きずり出した。体制を憎みながら、体制と同じ盤面操作で、復讐という私怨を晴らしたんだ。……僕は、論理の皮を被ったただの醜い化物だ」
それは、優秀すぎるがゆえに自己の矛盾を正確に解剖してしまった、逃げ場のない自己嫌悪であった。
黙って最後まで彼の痛切な告白を聞き終えたアイリスは、ランプを机に置き、静かにリュートの正面に立った。
もし彼女が、相手を己に依存させようと企む甘い毒婦であったなら、こう言っただろう。『あなたは悪くありません。悪いのはすべてあの狂犬と第一側妃です。不快な事実は忘れましょう』と。直視すべき己の行いから目を逸らさせ、論点をすり替え、耳障りの良い肯定だけを与えて思考を停止させていただろう。
だが、アイリスは違った。
彼女は東の地で「資本主義の怪物」たるリュートと渡り合った、極めて高度な知性と合理主義を持つ女である。彼女はリュートの『冷酷な行いそのもの』を一切否定せず、逃げ道を作らず、真っ向から見据えた。
「リュート様。……あなたは、微塵も間違えてはおりません」
アイリスの冷徹な知性を宿した蒼い瞳が、暗闇の中で静かに光を放つ。その声は氷のように理知的でありながら、深い慈愛に満ちていた。
「ただの私怨? いいえ。もし彼を地下牢で密かに殺していれば、第一王子陣営の腐敗は隠蔽されたまま、彼らはまた新たな手駒を補充するだけだったでしょう。ですが、あなたがあの処刑台で彼を叫ばせたことによって、王家に対する『不信の種』が民衆の心に最も深く、最も広範囲に植え付けられました」
「不信の……種……」
「ええ。あの群衆の熱狂と狂気、そして王妃による異常な口封じという『事実』を利用しなければ、第一王子陣営の権威にこれほどの致命傷を与えることは不可能でした。あれは単なる復讐ではなく、あなたの生存圏を確保し、敵の盤面を崩すための『極めて効率的で、絶対に必要な戦術』だったのです」
アイリスは一歩踏み出し、リュートの顔を覗き込む。
「体制と同じ手口を使ったからといって、ご自身の合理性を呪う必要はありません。その冷徹な計算と実行力こそが、理不尽な暴力からご自身と大切な方を守り抜くための『力』なのですから」
それは、リュートの知性が陥っていた「自己矛盾」という呪縛を、さらに上位の政治的ロジックによって完全に解き放つ、鮮やかな論破であった。
無責任に罪を他者へなすりつける安易な甘やかしではない。自らの手が血に染まっているという罪と事実を背負わせた上で、その『行為の必然性』を論理で肯定してくれたのだ。
今のリュートにとって、それはどんな優しい慰めの言葉よりも、決定的な救いであった。
アイリスはそっと彼に近づき、その賢しい少年の頭を、自らの胸に優しく抱きしめた。
温かな体温と、白百合のような凛とした香りがリュートを包み込む。
「あなたは一人ではありません。あなたが壊し、創り上げるこれからの盤面を、私も共に歩みます」
王宮のドロドロとした血縁や特権階級のしがらみから遠く離れた、東の海運組合の薄暗い一室。
現実から逃避し、甘い噓の全肯定に溺れて精神を腐らせていった第一王子とは対照的に。リュートは、自らの血塗られた罪を論理で肯定し、共に背負うことを誓ってくれた『論理の女神』の抱擁により、これから始まる闘争への決意を静かに取り戻していた。
政略や家柄ではなく、真の知性と目的の共有によって結びついた、絶対的な共犯関係。
リュートにとって唯一無二の理解者たる彼女の存在が、この夜、決定的なものとなったのであった。