リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
第1話『王家の計算1』
1 法廷の余波と、内務卿の首輪
狂犬セオリスの処刑と、第二側妃ルナリアの病死発表から数週間。
王都の熱狂が嘘のように冷め、表向きの平穏を取り戻しつつある王宮の中枢において、内務卿メルカトーラ侯爵は自室の執務机で深く息を吐き出していた。
彼の脳裏から離れないのは、あの最高法廷における十三歳の第二王子、リュートの姿である。
武門の筆頭たるゼノビア侯爵家を追い詰め、狂犬を処刑台へと送り込んだのは、間違いなくあの黒髪の少年の『底知れぬ論理的思考力と法学知識』であった。権力者の都合でいかようにも解釈される「品位」という曖昧な不文律の世界において、過去の裁定記録を掘り起こし、客観的な事実と論理だけで敵を刺し殺すその冷徹な手腕。
『……あれは、放置しておけば必ず王家の喉元を食い破る猛毒になる』
内務卿は、忌み子として離宮に幽閉されてきた少年が、いつの間にか国家を揺るがすほどの怪物へと成長していることに強い危機感を抱いていた。
だが同時に、長年実務を担ってきた官僚のトップとして、その異常なまでの「事務処理能力と論理構築力」に、得体の知れない魅力と高い評価を感じていたのも事実であった。
事の発端は、法廷の数日後にリュートが内務省の書庫を訪れた際の、些細な法学談義である。
過去の税収記録と法令の矛盾点について、内務卿が試しに投げかけた複雑な問いに対し、リュートは一瞬の淀みもなく完璧な法解釈と実務的な改善案を提示してみせたのだ。そして、会話の最後にリュートは、極めて謙虚な、しかし計算し尽くされた瞳でこう告げた。
『私は離宮で書物を読むことしかできません。本の中の法学ではなく、閣下の下で、生きた国家の実務を学ばせてはいただけないでしょうか』と。
それは、実務家としての内務卿の自尊心をくすぐると同時に、彼を自陣営に取り込むための完璧な誘導であった。
第二王子をこのまま離宮で孤立させておくことは、将来的に王家に対する不満と不信の種を育む危険性が高すぎる。ならば、いっそ自らの手元に引き込み、監視下に置いた方が遥かに安全で有益である。
内務卿は直ちに国王ゼノンと王妃マルガレーテへの謁見を求め、恭しく進言した。
「陛下、王妃様。第二王子殿下をいつまでも離宮に留め置くのは、王家の不和を招く火種となりかねません。殿下は法学と実務において、極めて稀有な才をお持ちです。どうか、私の娘ユスティナとの将来的な婚約を前提とし、殿下を内務省の補佐としてお預けいただけないでしょうか」
この進言に対し、玉座の二人は各々の思惑から静かに演算を巡らせた。
国王ゼノンの胸中にあったのは、亡きルナリアへの贖罪であった。彼女が遺した息子に、王宮内での明確な居場所と後ろ盾を与えられるのであれば、それに越したことはない。
「……内務省での補佐は許可しよう。だが、王族の婚約者は原則として四公爵家から選ばれるのが慣例だ。侯爵家からの輿入れも過去に例外がないわけではないが、王命として強要はできん。婚約については、あくまでリュート自身の意思に委ねるものとする」
それは、身分差の壁を理由に即答を避けつつも、事実上、内務卿の思惑を『黙認』する裁定であった。
一方、王妃マルガレーテの脳内で弾き出されていたのは、極めて冷徹な勢力均衡(パワーバランス)の計算式であった。
現在、第一側妃ヒルデガードの陣営はセオリスの一件で致命的な機能不全に陥っている。その隙を突き、第三側妃ソフィアの派閥が傷心の第一王子グラクトへと急激に浸食し始めていた。このままでは本宮の均衡が完全に崩壊する。
『忌み子である第二王子を内務省という巨大な官僚組織で飼いならし、第三側妃陣営への「対抗勢力」として盤上に配置する……。内務卿の提案は、国家のバランサーとして実に理にかなっている』
王妃は本気で、リュートを新たな盤面の楔として利用する決意を固めていた。
だが、その氷のように冷徹な王妃の胸の奥底に、微かな、しかし拭い去れない不安がよぎる。
『果たしてあの少年は、素直に内務卿の首輪に繫がれ、グラクトを支える忠実な土台となるだろうか? あの法廷で見せた、すべてを計算し尽くしたような暗い瞳……。彼が本当に望んでいるものは、王家の安泰などではない気がする』
リュートの本心がどこにあるのか。ただの優秀な実務家として終わる器ではないという不気味さを感じ取りながらも、王妃マルガレーテは目前の勢力均衡を維持するため、この「毒を以て毒を制す」劇薬の配置を承認せざるを得なかったのである。