リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 令嬢ユスティナの決意と違和感
厳重な防音魔法が施された内務卿の執務室。しかし、扉が完全に閉まりきる直前のわずかな隙間から漏れ聞こえたその会話を、内務卿の娘・ユスティナ(愛称:ティナ)は廊下の陰で息を殺して聞いていた。
『――罪なきご令嬢にまで、忌み子の妻という不名誉な泥を塗ることになってしまう』
『――誰の目にも、私がご令嬢の隣に立つにふさわしい男として認められたその時にこそ、改めて婚約をお受けさせてください』
リュートが放った、完璧に計算し尽くされた自己犠牲の建前。
だが、扉の向こうにいたティナの胸に真っ直ぐに突き刺さったのは、政治的打算などではなく、「一度も顔を合わせたことのない自分のために、自らを貶めてまで名誉を守ってくれた気高い王子の姿」であった。
ティナは、自らが華やかな貴族社会において、天賦の才も際立った美貌も持たない「凡庸な令嬢」であることを誰よりも自覚していた。だからこそ、理不尽な迫害を受けながらも決して腐らず、未来の婚約者のために一人で泥を被り、実力で実績を積もうとするリュートの不器用な誠実さに、激しい衝撃と感動を覚えたのである。
『殿下が私のために、これほどまでに過酷な道を歩まれるというのなら……。私がただ安全な場所で待っているだけなんて、絶対に許されない!』
ギュッと両手を握りしめ、ティナの瞳に強い光が宿る。
彼が実績を積むというのなら、自分も彼を支えるにふさわしい「実力」を身につけなければならない。それは、与えられた運命に流されるだけの令嬢が、己を変えるための『狂気的な努力』へと舵を切った瞬間であった。
◇
まずは彼を知らなければならない。持ち前の行動力に火がついたティナは、数日後、王宮で開かれた貴族令嬢たちの茶会へと積極的に顔を出した。
華麗なドレスと扇が舞うその場で、彼女は巧みに話題を振り、黒髪赤眼の第二王子に関する情報収集を試みた。
しかし、ティナはすぐに強烈な『違和感』に直面する。
招集された令嬢たちは、誰一人として第二王子リュートの話題を口にしようとしなかったのだ。第一側妃ヒルデガードや王家の顔色を徹底的に窺い、場の空気に過剰なまでに忖度する彼女たちにとって、忌み子の存在は「語ることすらタブー」とされていた。
まるであの法廷での鮮やかな手腕すら、最初から無かったかのように振る舞う令嬢たちの姿。ティナはその不自然な情報統制と、真実から目を背ける貴族社会の気味の悪い歪みに、肌が粟立つような異常性を感じ取っていた。
そんな息の詰まる茶会の中心で、第一王女リーゼロッテが優雅に扇を揺らし、微笑みながら語り始めた。
「……ええ。私の自慢の兄様は、とても聡明で、そして何より『論理』を重んじる方ですわ。決して感情に流されず、いつも私に正しい道を教えてくださいますの」
その言葉に、周囲の令嬢たちは「さすがは次期国王たるグラクト殿下ですね」「第一側妃様のご立派な教育の賜物ですわ」と、こぞって中身のない相槌を打つ。
だが、事実を地道に拾い集めてきたティナの思考は、周囲の同調圧力とは全く別の答えを弾き出していた。
『……おかしいわ。グラクト殿下は今、ご自身の側近の処刑にひどく怯え、自室に引きこもっておられるはず。それに、第一側妃様がリーゼ様にそんな温かな愛情と教育を注いでいるなんて噂、一度も聞いたことがない』
ティナの脳内で、バラバラだった情報が一つに繫がっていく。
ヒルデガードの傲慢さとも、グラクトの怯懦さとも全く一致しない、その「気高く、論理的で、妹思いの人物像」。
そして、先日の帝国使節団に対する、リーゼロッテの『亡き母』への言及。
『リーゼ様が本当に慕い、誇りに思っている「自慢の兄」とはグラクト殿下ではない。……リュート殿下のことだわ! そして、彼女が心から愛した「母」とは、亡き第二側妃ルナリア様のことなんだ!』
天才的な閃きはない。だが、誰の顔色も窺わず、与えられた情報を愚直なまでに積み重ねた結果、ティナはこの王宮で誰も口にしない『真実』へと自力で辿り着いた。
周囲の令嬢たちが空っぽの賞賛を続ける中、ティナは扇の陰で一人、リーゼロッテの孤独な戦いと、リュートの知られざる素顔に思いを馳せ、胸を熱くしていた。
彼ら兄妹の力になりたい。その一途な決意が、凡庸な令嬢を王宮の最も深く危険な盤面へと突き動かそうとしていた。