リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第2話『金融の魔物1』

1 離宮会議で「先延ばし」

 

 離宮の奥に設けられた、リュート陣営の秘密の作戦室。

 分厚い帳が下ろされたその密室で、第一王女リーゼロッテは、優雅に紅茶のカップを置き、氷のように冷たく、そして極めて美しい微笑みを浮かべて兄をねめつけたままでいた。

 

「……それで? 兄様はあの健気な令嬢に、内務省の権限を引き出すためにずいぶんと都合の良い甘い噓を吹き込んだようですが。最終的にはどう責任をお取りになるおつもりですか?」

 その鋭い追及に対し、王宮の盤面を冷徹に支配するはずの十三歳の第二王子は、あからさまに視線を泳がせ、背筋に冷たい汗をかいていた。

 

 前世の合理主義をもって、冷酷に敵を追い詰める盤面の怪物。しかし彼には、政治力学とは全く無縁の、前世の倫理観に根ざした「致命的な弱点」が存在した。

 

 それは、『妻は生涯にただ一人』という重度のロマンチストな結婚観であり、他者の純粋な好意や恋愛感情を政治の道具として割り切れないという、人間としての道義的な生真面目さであった。

 

 ティナの狂気的な純情と努力の重さをリーゼロッテから突きつけられ、リュートの脳内は罪悪感とパニックで完全にショート寸前に陥っていた。だが、彼は前世の法学知識をフル回転させ、己の逃亡を正当化する「完璧な正論」という名の盾を大急ぎで構築する。

 

「……その件に対する明確な回答は、『王立学園卒業時』まで保留とする」

「保留、ですか?」

 

「あ、ああ。我が国において、王立学園の卒業は成人を意味し、同時に貴族院での『議員資格(政治的発言権)』を得る絶対条件だ。法的かつ政治的な独立権を持たない今の私が、特定の陣営の令嬢との婚姻を確約することは、我々の掲げる創設の盤面において致命的なリスクとなる。これは極めて合理的な判断だ」

 早口で並べ立てられた完璧すぎる政治的ロジック。

 

 だが、それがただの「色恋沙汰と道義的責任からの全力の逃亡」であることを、リーゼロッテは見抜いていた。

 

「……なるほど。見事な正論ですこと」

 リーゼロッテが呆れたようにため息をつくよりも早く、リュートは露骨に咳払いをして、強引に話題を切り替えた。

 

「そ、それよりも! 任せていた、王都の孤児院を教育機関として再編する計画の進捗はどうなっている? 今後、僕たちが人治を破壊して法治国家を創設するには、法を理解し、実務を担う『平民出身の官僚』の育成が絶対に不可欠だ。資金は東の海運組合から回せるが、施設の確保はできているのか?」

 あからさまな論点のすり替えであった。普段の冷徹な彼であれば、相手がこのような不自然な話題転換を行えば、決して逃がさず論理で刺し殺していただろう。だが今の彼は、身を乗り出して必死に「孤児院の教育機関化」という国政の話題にすがりついている。

 

 その不格好な兄の姿を見て、リーゼロッテはパチンと扇を開き、口元を隠して小さく息を吐いた。

 

『まったく。人の生き死にや国家の命運を左右する盤面ではあんなにも冷酷な怪物のくせに、一人の令嬢の純情を前にした途端、これほどまでに脆く、無様に取り乱すなんて』

 だが、その呆れと同時に、リーゼロッテの胸の奥底で、兄に対する認識が確かな温度を持って塗り替えられていくのを感じていた。

 

 もしリュートが、他者の感情すらも完璧に計算し、ティナの純情を「ただの便利な手駒」として鼻で笑うような冷血漢であったなら。リーゼロッテは彼を、決して間違うことのない『神』や『怪物』として、盲目的な信仰と恐怖をもって崇拝していただろう。

 

 しかし、目の前にいる少年は違う。自らのついた噓と相手の感情の重さに耐えきれず、必死に理屈をこねて逃げ回る、ひどく不器用で真っ当な倫理観を持った『人間』なのだ。

 完璧ではない。致命的な不得意分野(感情の機微)もある。

 

 だからこそ、自分が彼の隣に立ち、その見落とした感情の盤面を補って支えなければならないのだと、リーゼロッテは強く確信した。彼女の胸にあった兄への思いは、神への信仰から、同じ人間としての絶対的な尊敬(パートナーシップ)へと完全に昇華されていた。

 

「孤児院の件は、予定通り進んでおりますわ。王都の東区画に二棟、すでに偽名で物件を確保し、読み書きと計算を教える教師の選定に入っております。……安心してくださいませ、兄様」

 リーゼロッテは、必死な顔をしている兄に向け、極めて優雅に、そして少しだけ意地悪く微笑んでみせた。

 

「兄様が『法的根拠』とやらで逃げ回っている間は、私がティナの面倒をしっかりと見ておきますから。でも、彼女の実力がいずれ兄様の逃げ道を塞ぐほどに成長した時は……その時は、王族の男としてきちんと責任をお取りになってくださいね?」

 痛いところを突かれたリュートは、気まずそうに視線を逸らし、無言で孤児院の資料へと目を落とすことしかできなかった。

 離宮の薄暗い作戦室に、かつてのような悲壮感はない。互いの弱さを補い合い、新たな時代を創り上げる強固な兄妹の絆が、そこには確かに息づいていた。

 

 

 

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