リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第2話『金融の魔物2』

2 演算の壁

 

 王都の裏路地にひっそりと佇む、東の海運組合が所有する隠れ家。

 分厚い遮光カーテンで外界から完全に切り離されたその密室に、新たな時代を創設するための中枢(コア)が集結していた。

 

 第二王子リュート、第一王女リーゼロッテ、護衛たるルリカ。そして、東の令嬢アイリスと、監査役として実務を担うカイルである。

 

「本題に入る前に、一つ明確にしておかなければならない『権利』がある」

 巨大な王都の地図と複雑な金融の設計図が広げられた机の上で、リュートは一冊の古い帳簿をことりと置いた。

 

「この海運組合を王都で立ち上げる際、その莫大な初期投資を担った筆頭出資者は、亡き母上だ。帝国の実家から持ち込んだ私財の類であり、王家の帳簿には一切載っていない。ゆえに、税や王宮からの干渉を受けず、名義を変更するだけで完全に譲渡できる」

 リュートはそこで言葉を切り、背後に控える黒衣の少女を真っ直ぐに見据えた。

 

「この財産と、それに紐づく隠れ家の所有権を含むすべての名義を、シルファ伯爵令嬢たるルリカ、君に相続させる」

 

「……なっ!?」

 常に無機質なほど冷静なルリカが、珍しく目を丸くして狼狽した。

 

「お待ちください、リュート殿下! 私は殿下とリーゼ様をお守りするための剣に過ぎません! ルナリア様の遺産は、唯一実の血を引く殿下こそが受け継ぐべきものです!」

 だが、リュートは静かに、しかし断固たる意思で首を振った。

 

「僕たちが創設する国家において、性別や血縁の濃淡による権利の不平等は徹底的に排除する。明確な成文法に基づく『長子相続の原則』に従えば、母上が公的に実の娘と同等に迎え入れた君が、第一位の相続権を持つ。……むろん、他家への降嫁や、自らの意志による相続放棄といった法的な例外規定は設けるが、今の君にはどちらも該当しない。これは僕の独断ではない。リーゼ、君も異論はないね?」

 話を振られたリーゼロッテは、優雅に扇を閉じ、一切の迷いなく完璧な笑みを浮かべた。

 

「当然ですわ。血縁や品位といった曖昧なものに縛られるのは、本宮の愚か者たちだけで十分。ルナリアお母様が遺したものは、長女であるあなたが受け継ぐのが最も『論理的』です。……どうか受け取ってくださいませ、私たちの誇り高きルリカお姉様」

 お姉様。その温かくも確かな敬意を込められた響きに、ルリカの胸の奥で熱いものが込み上げる。剣としての存在意義だけでなく、家族としての絶対的な『長女』の座を論理と法で肯定されたのだ。彼女は深く頭を下げ、その責務と財産を背負う覚悟を決めた。

 

「さらに言えば、これは極めて実利的な防衛策でもある」

 リュートが冷徹な為政者の顔に戻り、地図を指差す。

 

「いずれ僕たちは、全寮制である王立学園へと進学することになる。外部との接触が極端に制限されるあの閉鎖空間において、僕やリーゼの名義で事業を持てば、必ず王家や敵対派閥の監視と介入を受ける。だが、独立した成人貴族である『シルファ伯爵令嬢』の所有物であれば、王家の手の届かない完璧な外部拠点として機能するんだ」

 実利と論理、そして新しい法律の原則。そのすべてを内包した完璧な相続を終え、リュートはいよいよ本題たる『設計図』の中身を明かした。

 

 当初は自分たちの生存圏と資金を確保するためだけに始めた組合事業。だが今、それは国家の体制そのものを裏から乗っ取るための巨大な怪物へと変貌を遂げようとしていた。

 

「議題は、海事組合の機能を拡張した『相互扶助制度(共済保険)』と『利益配当付き積立(投資信託)』だ」

 リュートの口から語られるのは、この世界には存在しない前世の金融システムであった。

 

「庶民からは広く薄く掛け金を集め、火災や事故などの不測の事態を金銭で補償する。同時に、その莫大な資金を東の海運や西の技術開発に投資し、運用益を配当として還元する。これで『金が金を生む』という資本主義の味を覚えさせ、庶民の経済を我々のシステムに完全に依存させる」

 さらにリュートは、不敵な笑みを深めた。

 

「そして、ゼノビア侯爵家の失脚とセオリスの処刑を見て、いつ自分も王家の『品位』という気まぐれで首を切られるかと震え上がっている貴族・官僚向けには、理不尽な解雇や左遷、没落に対する『大口・失業補償プラン』を提示する」

 

「……っ!」

「王家に見捨てられ、家職を失っても、組合の保険に入っていれば莫大な退職金が保証される。彼らの忠誠は王家から我々の組合へと移る。有能な人材と莫大な資金を、王家の帳簿を通さずに合法的に吸い上げる。これはもはや事業ではない。国家の中に寄生し、いずれ宿主を喰い破る『影の政府』の構築だ」

 その悪魔的かつ完璧な金融システムを聞き終えた瞬間、アイリスの背筋に、恐ろしいほどの歓喜と戦慄が走った。

 

『何と恐ろしい……! 武力も血統も使わず、ただ「法と金」という純粋な論理だけで、この国の根幹を完全に支配する気ですわ!』

 彼女は頰を紅潮させ、その圧倒的な資本の暴力に陶酔しそうになる。だが、極めて高度な知性を持つ『論理の女神』である彼女は、即座にそのシステムの根底にある「致命的な欠陥」を正確に弾き出した。

 

「リュート殿下。マクロの理論は完璧です。この事業が成立すれば、王都は我々の手の中に落ちるでしょう。……しかし」

 アイリスは歓喜を無理やり押さえ込み、冷水を浴びせるように鋭く指摘した。

 

「王都規模でこのシステムを運用するには、数万人に及ぶ顧客データの管理、毎月の掛け金の計算、事故の確率論に基づく天文学的な『計算処理』が絶対に必要です。現在の人力では、ひと月も経たずに組合の経理が完全にパンクしますわ」

 それは、どれほど優れた理論であっても、物理的な処理能力が追いつかなければすべてが破綻するという、冷酷な現実(演算の壁)であった。

 

 だが、リュートはその指摘を受けても微塵も動揺せず、むしろ待っていたとばかりに目を細めた。

 

「その通りだ、アイリス。君の言う通り、人力では絶対に不可能だ。……だからこそ、この圧倒的な『演算処理の壁』を突破するために、彼女の力を借りる」

 リュートの脳裏に浮かぶのは、本宮の王妃教育という息の詰まる鳥籠に囚われている、西の天才技術者。

 

「王家のしがらみから、西のクロムハルト公爵令嬢ヴィオラを本格的に盤面に引きずり込む。僕たちのシステムに命を吹き込む、最強の『物理的基盤(ハードウェア)』を創らせるためにな」

 金と法という最強のソフトウェア(理論)は完成した。あとはそれを走らせるための装置を手に入れるのみ。

 

 薄暗い隠れ家の中で、金融の魔物が静かに産声を上げ、新たな盤面の歯車が確かな音を立てて回り始めていた。

 

 

 

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