リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第2話『金融の魔物4』

4 正体隠匿の狂努力と、匿名の有能な歯車

 

 内務省の深部、太陽の光すら届かない広大な大書庫。

 カビと古い羊皮紙の匂いが立ち込めるその執務室で、第二王子リュートは周囲の文官たちが戦慄するほどの速度で、膨大な国政の実務処理をこなしていた。

 

 前世において、法曹という極めて高度な論理と実務の最前線に立っていた彼にとって、この国の原始的な官僚機構が抱える書類の山など、処理手順の決まった単純作業に過ぎない。

 

 過去の裁定の矛盾を見抜き、曖昧な不文律を明確な成文法へと落とし込み、予算の無駄を徹底的に削ぎ落とす。その圧倒的な実務能力は、彼を単なる「王家の対抗馬」として配置したはずの内務省の大人たちを、すでに恐怖と畏敬の念で支配しつつあった。

 

 だが、そんなリュートにもたった一つだけ、物理的な『限界(ボトルネック)』が存在した。

 それは、「過去の類似判例と関連法規の検索」である。

 

 前世(現代地球)であれば、膨大な判例や法律のデータベースを専門に提供する企業が存在し、端末に検索語を打ち込めば数秒で目当ての資料が引き出せた。しかし、紙とインクで記録が保存されているこの原始的な世界において、過去の判例を探し出す作業は、広大な書庫を自らの足で歩き回り、目視で目当ての一文を探し当てるという、途方もない時間を食い潰す物理的労働であった。

 その致命的な非効率にリュートが舌打ちをしそうになった、まさにその時である。

 

「殿下。お探しの資料はこちらでしょうか」

 声と共に、リュートの机の脇に数冊の分厚い古文書が静かに積まれた。

 

 リュートが求めていた『建国初期における東部の水利権を巡る裁定記録』と、それに付随する『特例税法の原本』。驚くべきことに、その古文書には、リュートがまさに確認したかった条文のページに、正確無比な栞(インデックス)が挟み込まれていたのだ。

 

 資料を運んできたのは、つい数日前にこの書庫の雑用係として配属されたばかりの、ひどく地味な制服に身を包んだ『見習い文官』であった。

 

 分厚い眼鏡をかけ、前髪で顔の半分を隠しているため、その素顔はよく見えない。リュート自身、本宮の華やかな茶会などには一切顔を出さないため、この名もなき小柄な文官が、父である内務卿に懇願して密かに潜入した侯爵令嬢ユスティナ(ティナ)であることに、全く気づいていなかった。

 

 ティナには、リュートやリーゼロッテのような天才的な閃きも、アイリスのような冷徹な論理構築力もない。

 

 だが、彼女は自らの凡庸さを誰よりも自覚していたからこそ、「彼を支える実務の駒になる」という目的のためだけに、血を吐くような狂気的な努力を行っていた。

 内務省が管理する過去数百年分の法令、税収記録、判例の保管場所。それらの目次と概要を、睡眠時間を削って己の脳内にすべて丸暗記するという、常軌を逸した荒業を成し遂げていたのである。

 

「……さらに、その裁定記録と類似する判例として、建国暦一五〇年代の南部領地の境界線争いに関する資料も、念のためお持ちいたしました。第三項の記述が、殿下の進められている法案の論拠として流用できるかと存じます」

 地味な見習い文官が差し出した追加の資料に目を通し、リュートのペンを動かす手がピタリと止まった。

 

 前世の専門企業すら凌駕する、先回りした完璧な類似判例の抽出。それは、リュートの思考の先を読み、彼が何を求めているかを完全に理解していなければ絶対に不可能な、極めて高度な実務支援であった。

 リュートは顔を上げることもなく、ただ資料の該当箇所に素早く視線を走らせながら、ぽつりと呟いた。

 

「……完璧だ。助かる」

 身分への阿りも、政治的な打算も一切含まれていない。ただ純粋に、実務家としての能力に対する『心からの称賛』であった。

 

 そのたった一言を聞いた瞬間。

 見習い文官――ティナは、深々と一礼してリュートの机から離れ、巨大な書架の陰へと隠れた途端、胸の前で両手をギュッと握りしめた。

 

『私の用意した資料が、殿下のお役に立てた……。殿下の描く盤面の、完璧な歯車として……!』

 分厚い眼鏡の奥で、ティナの瞳からポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 誰にも正体を知られず、華やかなドレスを脱ぎ捨て、泥臭い資料の海に埋もれる日々。それでも、自分が愛する人の『有能なミクロの歯車』として確かに機能し、その歩みを支えることができたという事実が、彼女の胸を震えるほどのささやかな、しかし絶対的な喜びで満たしていた。

 

 冷徹なる第二王子の頭脳と、名もなき令嬢の狂努力が生み出した生きた検索装置(データベース)。

 打算なき純情によって結びついたこの奇妙で強力な実務の連携は、内務省の業務処理速度を天文学的に跳ね上げ、王宮の大人たちが気づかぬうちに、国家の中枢システムを彼らの支配下へと静かに書き換えていくのであった。

 

 

 

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