リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 「大義名分」の創出
ヴィオラの持つ前世の技術インフラを搾取し、盤面に組み込むと決意したリュートの行動は迅速であった。
彼は自らが表舞台に立つことなく、内務省の調整役という立場を最大限に利用し、直属の上司である内務卿メルカトーラ侯爵を盤上で動かし始めた。
「閣下。現在、王都を中心に爆発的に普及している盤上遊戯『オセロ』ですが、法務と治安維持の観点から、少々看過できない事態が生じつつあります」
内務卿の執務室。リュートは集積された各地区の報告書を机に広げ、極めて実務的で冷静な声で進言した。
「非公式な大会や賭け事でのルール解釈の対立が頻発し、平民だけでなく貴族間でも無用な摩擦を生んでいます。これは放置すれば、いずれ内務省の管理不行き届きを問われかねない治安悪化の火種です。早急に国家主導でルールを統一し、管理する機関――『王立オセロ協会』の設立が必要かと存じます」
「ふむ。確かに、あの遊戯の流行り病のような熱狂ぶりには、私も眉を顰めていたところだ。だが、たかが遊戯のためにわざわざ王立の機関を作るなど、大袈裟ではないか?」
難色を示す内務卿に対し、リュートはあらかじめ用意していた『本命の毒(餌)』を差し出した。
「単なる遊戯の管理組織ではありません。この協会の名誉総裁に、オセロの発案者である次期王妃・ヴィオラ嬢を据えるのです。……現在、グラクト殿下の威信は先の処刑劇で大きく揺らいでいます。ここで『美しき次期王妃が、自ら民草の文化と娯楽を保護し、国民に寄り添う』という慈愛に満ちた美談(プロパガンダ)を打ち出せば、低迷する第一王子陣営と王家の権威を回復する強烈なアピールとなります」
「……なるほど。国家のバランサーたる王妃様が、喉から手が出るほど欲しがる名分だな」
内務卿の目が、老獪な政治家のそれに変わる。リュートは間髪入れず、恭しく頭を下げた。
「しかし、第一側妃派閥から忌み嫌われている私がこの案を出せば、間違いなく余計な反発と王家の不和を招きます。……ですから閣下。どうかこの案を、内務卿たる閣下の憂国からの進言として、王妃様に奏上していただけないでしょうか」
それは、「兄と王家を立て、己の功績をすべて義理の父に譲る、謙虚で賢い実務の駒」という完璧な演技であった。
内務卿は内心でほくそ笑んだ。治安維持の実績と、王妃への絶大な貸しを同時に、しかも無償で手に入れられるのだ。これほど都合の良い話はない。
「……殿下のお心遣い、感謝する。この件、内務卿の権限において私が責任を持って進めよう」
こうして、リュートの描いた完璧な台本は、内務卿という強大なスピーカーを通して王妃マルガレーテの元へと届けられた。
事の推移は、リュートの計算通りに完璧に運んだ。
次期王妃の能力の底上げと、グラクトの威信回復に腐心していた王妃は、この提案を「次期王妃としての極めて知的で誉れ高い公務」として絶賛し、即座に承認したのである。
ヴィオラの王妃教育の理論部分はほぼ修了しており、後宮に軟禁して復習の論文を書かせるよりも、協会のトップとして華々しく社会事業を行わせる方が、王家にとって遥かに有益な『政治的装飾』となるからだ。
さらにこの『国民に寄り添う慈愛の王妃候補』という輝かしい大義名分は、副産物としてもう一つの重要なルートを開拓することになる。
将来的にヴィオラが、民間施設――すなわち、リーゼロッテが資金を投じて準備を進めている『教育機関としての孤児院』――へと慰問に訪れるための、誰にも怪しまれない完璧な視察の口実(ルート)が、この瞬間に確立されたのである。
◇
数日後。ヴィオラは王妃教育という息の詰まる後宮の軟禁から、完全に解放されていた。
表向きは「王立オセロ協会本部」の看板が掲げられた王宮外の広大な施設。だがその実態は、彼女が前世の知識を現実の魔導具として組み上げるための、誰にも干渉されない『専用の技術工房』であった。
「……信じられない。本当にあのクソ真面目な教育係たちを黙らせて、こんな完璧な研究施設を用意してくれるなんて……!」
真新しい机や、厳選された最高品質の魔法陣の刻印機材を前に、ヴィオラは震える手で頰を押さえ、歓喜に打ち震えていた。
王家は「次期王妃の美談」という果実を得て満足し、内務卿は「自らの手柄」に満足し、ヴィオラは「自由な研究環境」を得て満足している。
だが、この盤面において真の勝利者たる第二王子は、自らは一切の権力も名誉も被らず、ただ暗がりの裏舞台で冷徹に微笑んでいた。
国家の体制を裏から乗っ取る影の政府、その『最強の物理的基盤(演算ハードウェア)』を生み出すための環境構築が、大人たちの愚かな打算を利用して完璧に完了したのである。