リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第3話『独占契約5』

5 伝統の王道と、金融の魔物の産声

 

 本宮の第一王子私室。

 かつて絶望と狂気に沈んでいたその部屋は、今や整然とした静けさと、微かな熱気を帯びていた。

 

「グラクト殿下。先のセオリスの処刑は、民衆に強烈な恐怖と一時の『血の娯楽』を与えましたが、王家への親愛を育むものではありませんでした。今、殿下の威信を真に回復させるためには、あの凄惨な記憶を上書きするほどの『圧倒的で、熱狂的な娯楽』を提供する必要があります」

 側近たるエドワルドは、円卓に置かれたオセロ盤を指し示し、極めて理知的な声で進言した。

 

「王妃様が名誉総裁となられたヴィオラ嬢を立て、『王立オセロ協会』を設立されました。これを利用し、殿下ご自身の主催による『王都オセロ大会』を開催するのです。身分を問わず参加を認め、勝者には殿下から直接恩賞を与える。これは民衆の熱狂を王家への賛美へと変換する、最高の政治的催しとなります」

 その提案に、グラクトの瞳が強い光を帯びた。

 

 彼にとって『オセロ』とは、単なる遊戯ではない。絶対的勝利の呪縛から自分を解き放ち、割合的な勝利(七割の勝ち)という為政者のロジックを教えてくれた、いわば己の精神を救済した『聖域』であった。

「素晴らしい案だ、エドワルド! すぐに手配を進めてくれ。予算も人員も惜しまなくていい!」

 グラクトは身を乗り出し、高揚した声でかつてのように「丸投げの了承」を下した。

 

 だが、エドワルドは恭しく頭を下げたまま、静かに、しかし断固として動かなかった。

 

「……エドワルド?」

「殿下。手配を進めるのは、私ではありません。殿下ご自身です」

「なっ……僕が、自ら動くというのか?」

 驚くグラクトに対し、エドワルドは氷青の瞳で真っ直ぐに見据え、真の『帝王学』を説き始めた。

 

「これまでの教育係たちは、殿下のお言葉を全肯定し、実務のすべてを代行してきました。しかし、現場の実務の摩擦を知らずして、上から号令を下すだけの者は、いずれ組織の空転を招く暴君となります。……大会を開くには、財務省から予算を引き出し、内務省から会場の認可を得て、近衛騎士団に警備の協力を要請しなければなりません。各機関にはそれぞれの縄張りと都合があります」

 エドワルドの言葉は厳しい。だが、そこには第一側妃のような「無謬性の強要」も、第三側妃ソフィアのような「思考を奪う甘い毒」もない。ただ純粋に、彼を次代の名君へと育て上げようとする、伝統的な官僚としての確かな忠誠があった。

 

「各行政機関の役割をその目で直接確認し、責任者たちと対話し、利害を調整する『根回し』を行うのです。その泥臭い実務の経験こそが、殿下を真の王へと成長させる血肉となります。……私が横で、各機関の力学をすべてご指導いたします。どうか、ご自らの足で歩いてはいただけませんか」

 その言葉に、グラクトはハッと息を呑んだ。

 

 耳触りの良い肯定だけを与えられ、温室で育ってきた自分。だが、目の前の冷徹な側近は、自分に「汗をかき、頭を下げ、組織を学ぶこと」を求めている。それは、彼を一人の自立した為政者として扱ってくれている何よりの証左であった。

 

「……分かった。君の言う通りだ、エドワルド」

 グラクトはオセロの白石を一つ握りしめ、力強く頷いた。

 

「僕に、王宮の仕組み(実務)を教えてくれ。この大会は、僕自身の手で成功させてみせる」

 こうして第一王子グラクトは、エドワルドという優秀な指南役の下、本宮の各機関へと自ら足を運び、伝統的な貴族政治の絶対ルールである『根回しと調整』を学び始めた。

 

 それは、彼が為政者としての器を確かなものへと成長させていく、王道にして正当な回復のプロセスであった。

 

   ◇

 

 だが、彼ら保守派の若きエリートたちが、既存の王宮行政という枠組みの中で正当な成長を遂げ、大会の準備に奔走していたまさにその頃。

 

 王宮の外、王都の商業区画に堂々と構えられた東の海運組合・王都本部では、既存のルールそのものを無価値にする『未知の怪物』が、ついにその産声を上げていた。

 

「――次の顧客、東区画の準男爵家の者です。希望プランは『家職喪失時の大口補償』。掛け金は月額金貨二枚」

「識別符号『E-〇四九二』として新規登録。記憶魔晶へ入力完了、基礎情報庫との紐づけを確認」

 本部の広大な窓口の裏側。そこには、数台の洗練された魔導端末が並び、リーゼロッテの孤児院から送り込まれた十代のオペレーターたちが、感情を交えぬ正確な動作で文字盤を叩き続けていた。

 

 その恐るべき処理速度により、次々と持ち込まれる貴族や富裕層の契約処理が、瞬く間に『データ』として蓄積されていく。

 下階の窓口から微かに響き続ける、孤児たちによる魔導端末の規則的な打鍵音。

 

 それは、古い人治のシステムが形骸化し、新たな経済と情報の網の目が王国の心臓部に深く根を下ろしていく、極めて事務的で静かな足音であった。

 

 リュートは二階の特別室からその光景を見下ろすこともなく、机上に提出された初日の『契約数と莫大な掛け金』の報告書に、冷徹な筆致でただ「確認」のサインを書き込んでいた。

 

 第一王子グラクトが、エドワルドと共に「伝統的な貴族政治の頂点」を目指して正当な成長を遂げようとする表の盤面。

 対して第二王子リュートが、法の隙間を突く『経済と情報』という未知のシステムで「国家機構そのものの簒奪」を開始した裏の盤面。

 

 決して交わることのない二つの為政者の道筋が、ここに決定的な対比として描き出され、静かに、だが確実に激突の時へと向かっていくのであった。

 

 

 

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