リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第6話『学習者3』

3 観察者へ

 

 庭園の木陰で、リュートは母から聞いた帝国の話をノートの隅に書き留めていた。

 書庫で学んだ「王国の歴史」と、母が語る「帝国の実情」。その二つを並べてみると、この世界の輪郭が少しずつ、しかし明確に浮かび上がってくる。

 

 王国が「黄金の血筋」という唯一の価値観を柱にした、いわば一本足の古い建築物だとしたら、帝国は複数の強力な公爵家がそれぞれの権益を守り、契約によって支え合っている多機能な構造体だ。

 

 王国では「血の色」が全てを決めるが、帝国では「何ができるか」という実利が重んじられる。この二つの国の違いは、単なる好みの問題ではない。国というシステムの「動かし方」そのものが根本的に異なっているのだ。

 

(……だが、これはあくまで『紙の上』の話だ)

 リュートはふと、ノートを閉じた。

 

 前世で法律を扱っていた頃、彼は嫌というほど思い知らされてきたはずだ。いくら法律の条文に「平等」や「正義」と立派なことが書かれていても、それを使う人間たちが心の底で「身分の高い者が何をしても許される」と信じ込んでいたら、その法律はただの落書きに成り下がる。

 法律が「ただの落書き」になれば、どうなるか。

 

 いざという時、それは誰も守ってくれない。力のない者が理判尽に踏みつけられても、周りの人間は「それが当たり前だ」と見過ごし、悪人は「ルールなんて関係ない」と笑いながら暴力を振るう。法が力を失った世界では、待っているのは「声の大きな者だけが勝つ」という地獄だ。

 

 今の自分は、書庫の知識を通じてこの国の骨組みを「理解した」つもりになっているだけだ。だが、外で暮らす平民たちが何に怯え、貴族たちが何を「本当の正義」としているのか。彼は、その生きた「常識」を一つも知らない。

 

「お兄様、また難しいお顔をして。何か悩んでいらっしゃるのですか?」

 リーゼロッテが心配そうに覗き込んでくる。彼女はリュートの教えた論理を吸収し、驚くほど賢くなった。だが、その知性が高まれば高まるほど、彼女はこの王国というシステムにとって「価値の高い交換部品」として目をつけられるだろう。放っておけば、彼女の意志など関係なく、血統を維持するための政略結婚へ放り込まれる。

 

 ルリカは「帝国へ逃げましょう」と言うが、それは現実的ではない。リーゼを連れて行く手立てもなければ、帝国へ渡った後の自分たちの権利を保証する存在がないからだ。今の彼らには、どこへ行こうと自分たちの価値を認めさせるための「力」も「伝手」もない。

 

(……逃げることも、戦うことも、まだ先の話だ。今の俺に足りないのは、答えではなく『事実』だ)

 これまでのリュートは、離宮という特等席で世界を眺める「理解者」だった。

 

 けれど、もうそれだけでは足りない。自分たちがこの「黄金の檻」の中でどう扱われ、どう生き延びるべきか。それを判断するには、本の中にある死んだ知識ではなく、王宮の空気、人々の視線、この世界の生きた「常識」を、この目で直接確かめる必要がある。

 

 十五歳になれば、王国中のエリートが集まる王立学園への入学が待っている。そこは、この国の「常識」が最も濃く現れる場所だろう。だが、そこへ行くまでのあと七年。彼はこの離宮の壁を越え、まずは本宮という「魔窟」で、人々の心の動きを徹底的に観察しなければならない。

 

「……ううん、なんでもないよ。ただ、これから先は、もっと自分の目で確かめなきゃいけないことがたくさんあると思っただけなんだ」

 リュートはリーゼに微笑みかけ、鞄を肩にかけた。

 知識の集積は終わった。

 

 これからは、生きた社会を暴く「観察者」として、彼は王宮の歪んだ空気の中に、一歩ずつ足を踏み入れることになるだろう。

 庭園の風が、ノートをめくり、彼の書いた文字を一瞬だけ揺らした。

 

 それは、まるでこの世界が「まだ終わっていない」と、静かに囁いているようだった。

 

 

 

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