リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

195 / 316
第5話『南の哲学1』

1 忍耐という名の実力

 

 王都を出発した馬車が南下するにつれ、車窓の景色は荒涼とした岩肌から、見渡す限りの豊かな黄金色の麦畑へと姿を変えていった。

 

 王国の胃袋を一身に担う最大の穀倉地帯、南のヴィレノール公爵領である。

 王都を密かに蝕み始めている食料価格の高騰。内務省の資料と現地の物流データを照らし合わせていたリュートは、その原因が南の不作などではないことをすでに看破していた。

 

 それは、王都へ続く陸路の物流網を牛耳る特権商人と、彼らと結託する本宮の保守派貴族たちが、関所での不当な通行税の吊り上げや意図的な流通制限によって引き起こしている『人工的な飢餓』であった。

 自らの懐を肥やすために、民の命綱である食料を盤上のチップとして扱う中央の腐敗。

 

 だが、リュートの思考の焦点は、その愚かな中央貴族たちよりも、この凶行を黙認し、ただ淡々と規定量の麦を送り出し続けている『ヴィレノール公爵家の不気味な沈黙』へと向けられていた。

 

『……最大の生産者でありながら、なぜ南の公爵家は中央の横暴に抗議せず、ただ従属し続けているのか。答えは、彼らの建国の歴史と思想そのものにある』

 揺れる馬車の中で、リュートは前世の法制史を紐解くように、ヴィレノール家の歴史的判断を冷徹に分析していく。

 

 建国初期、『地図を睨む王』と呼ばれた初代国王が中央集権化(無血の兵糧攻め)を進めた際、北のアイギス家が武力決起を企てたのとは対照的に、南のヴィレノール家は四大公爵家の中で真っ先に、そして最も無抵抗に王家へ恭順を誓った。

 

 武や誇りを重んじる者たちは、これを「誇りを持たぬ臆病者の降伏」と嘲笑した。

 だが、リュートの評価は全く異なる。

 

 もしあの時、最大の食糧庫である南が王家に牙を剝けば、反乱軍の兵站基地とみなされ、泥沼の内戦へと発展していたはずだ。戦場となるのは他でもない、この豊かな南の大地であり、血を流し、飢えるのは南の領民たちである。

 

 当時のヴィレノール家当主は、その最悪の事態を避けるために、貴族としての名誉や武の誇りを完全に投げ捨てたのだ。

 

『誇りを捨ててでも、王家のシステムに無傷で組み込まれ、領地を戦火から守り抜く。それこそが、自領の民の命を預かる為政者としての最大の「責任」の果たし方だという哲学か』

 彼らは臆病だったのではない。血の滲むような屈辱を飲み込み、自領の平穏を保ち続けるという『忍耐という名の圧倒的な実力』を持っていたのだ。

 

 法とシステムによって民を統治するべきだと考えるリュートにとって、このヴィレノール家の選択は、極めて高度な合理性と、上に立つ者としての強烈な覚悟を感じさせるものであった。

 

『北の武門の誇りや、東の利益至上主義とは根源が違う。この南の大地には、民を守るための分厚く、重い保守主義が根付いている』

 リュートは、眼前に広がる豊穣の大地に対して静かな敬意を抱いていた。

 

 決して声を荒らげず、中央の腐敗を知り尽くしながらも、ただ領民のために泥を啜り続ける古き血統。

 

 この強固な信念の塊である現ヴィレノール公爵を相手に、「王都の民のために食料を増産し、中央貴族と対立してくれ」という内務省の要求(建前)を通すことが、どれほど絶望的な交渉になるか。

 

「……重い盤面になるな」

 馬車がヴィレノール公爵領の本城へと到着する。

 

 リュートは自らの内に一切の油断がないことを確かめながら、静かに黒曜の瞳を研ぎ澄ませた。ただの従順な実務官僚の顔を作り、彼は南の重き哲学が支配する城内へと足を踏み入れていくのであった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。