リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 公爵の重き信念と、完璧な『ゼロ回答』
南のヴィレノール公爵邸、陽光が降り注ぐ豪奢な応接室。
王都の権謀術数から切り離されたかのようなその穏やかな空間で、リュートは現ヴィレノール公爵と対座していた。
南の豊かな大地そのものを体現したかのような、温和で恰幅の良い壮年。
公爵は、忌み子として冷遇されているはずの第二王子に対しても、微塵も態度を変えることなく、最高級の茶器とともに極めて丁重なもてなしを見せた。
「長旅、ご苦労様でございました、リュート殿下。本日は内務省からの特使として、我が南の領地へお越しいただいたとのことですが」
「ええ、単刀直入に申し上げます。現在、王都では特権商人と一部の中央貴族による流通網の独占により、食料価格が異常な高騰を見せています」
リュートは手元の資料を机上に広げ、内務省の官僚としての「建前の要求」を淡々と口にする。
「このままでは遠からず、王都の平民たちは飢え、治安が崩壊する。市場を安定させるため、ヴィレノール公爵家には本宮を通さない『独自の直轄流通網』による食料増産と、王都への直接供給をお願いしたい」
中央貴族の不当な中抜きを回避し、南から王都へ直接食料を流し込む。
法と正義に照らし合わせれば、これほど正当で民を救うための美しい提案はない。
だが、その要求を聞き終えた公爵は、温和な微笑みを一ミリも崩すことなく、ゆっくりと首を横に振った。
「……殿下の民を想うお心、誠に立派でございます。ですが、そのご提案はお受けいたしかねます。当家はこれまで通り、規定の量の麦を、規定の商人たちへ引き渡すのみにございます」
それは、交渉の余地すら与えない完璧な『ゼロ回答』であった。
「……理由を伺っても?」
「殿下もご存知のはずです。我々が中央の特権商人という『しがらみ』を無視して独自に流通を動かせば、彼らの背後にいる保守派貴族たちは黙ってはいない。関税の不当な引き上げ、あるいは盗賊を装った輸送妨害など、必ず王宮との間に泥沼の政治闘争が巻き起こります」
公爵の瞳から、温和な光が消えた。
そこにあるのは、自領の民を何があっても守り抜こうとする、極めて重く、冷徹な為政者の顔であった。
「私の『責任』は、王都の民の胃袋を満たすことではございません。この南の領民たちが戦火や政治闘争に巻き込まれず、明日も平穏に麦を刈り取れるよう、その命と暮らしを守り抜くことです。……そのためならば、中央の腐敗に泥を啜って従属し続けることも、上に立つ者の務めと心得ております」
――予想通りの展開だった。
リュートは心の中で静かに息を吐き出し、目の前の男の『圧倒的な実力』を再確認していた。
ヴィレノール公爵は、中央の腐敗構造などとうの昔に理解している。その上で、「波風を立てて自領に火の粉を被るくらいなら、王都の民が飢えようが知ったことではない」と、明確な意思を持って腐敗したシステムに加担し続けているのだ。
無知でも臆病でもない。己の領地を守るという確固たる信念と責任感に基づく、極めて論理的で分厚い保守主義。
『正義や大義名分など、この男には一切通用しない。自領の民への「責任」という絶対の盾を構えている以上、王都の都合で彼らを動かすことは不可能だ』
それは、ある意味で第一側妃ヒルデガードの狂気や、特権貴族の強欲よりも遥かに手強い、為政者としての「完成された正解」の一つであった。
「……公爵の領民に対する重き信念、確かに承りました」
リュートは決して反論することなく、静かに書類を閉じた。
この完璧な防壁を前に、通常の交渉を続けるだけ無駄である。南の盤面を動かすには、この強固すぎる「保守の哲学」を内側から破壊し、新たな論理で上書きする『劇薬』が必要だ。
公爵との会談を終え、リュートが案内された領地内の視察へ向かうため席を立った時、彼の脳裏にはすでに、この南の地の次代を担うべき「ある存在」への極めて冷徹な算段が組み上がり始めていた。