リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第5話『南の哲学3』

3 腐る麦と、責任を問う嫡男ライ

 

 南のヴィレノール公爵領、広大な敷地の一角に立ち並ぶ巨大な倉庫群。

 視察という名目で案内されたリュートの鼻腔を突いたのは、豊穣の香りではなく、鼻を覆いたくなるような『甘酸っぱい腐敗臭』であった。

 

 薄暗い倉庫の奥。そこには、収穫されたばかりの質の良い麦が山のように積まれ、誰の口にも入ることなく、ただ静かに腐敗していくのを待っていた。

 特権商人が王都の食料価格を維持するため、市場に流通する絶対量を調整し、あえて南の地で「意図的に腐棄させている」のだ。

 

 自領の民が汗水流して育てた黄金の麦が、中央の腐敗の調整弁としてゴミのように捨てられていく。

 その異様な光景の影で、一人の少年がランプの灯りを頼りに、無言で手帳に数字を書き込んでいた。

 

 南の次期公爵たる嫡男、ライオネル。愛称、ライ。

 齢十三。リュートとほぼ同年代のその少年は、第二王子であるリュートの接近に気付いても、一切の愛想笑いや貴族的な敬礼を見せなかった。

 

「……計算が合わない」

 ライは手帳から視線を外さず、冷ややかな声で呟いた。

 

「中央の特権商人が指定した今年の『流通制限量』と、ここで意図的に腐らされている麦の総量。そして王都の現在の物価高騰率……。商人の連中、王家の規定以上の通行税を関所で二重にピンハネして、南の利益まで不当に削り取っている。……クズどもが」

 手帳に刻まれた緻密な計算式は、彼が単なる世間知らずの貴族の坊ちゃんではなく、南の経済と中央の腐敗構造を完全に数値化して把握している事実を示していた。

 

「……優秀な次期当主殿だ。君の父親は、この惨状を見て見ぬ振りをしろと?」

 リュートが静かに問いかけると、ライはパタン、と手帳を閉じ、初めてその鋭い琥珀色の瞳を第二王子へと向けた。

 

「父上は、ここで腐っていくこの麦を『南の平穏を守るための必要経費(税金)』と割り切っている。波風を立てて政治闘争を招き、領民が血を流すくらいなら、中央の腐敗に黙って泥を啜る。……領民の命を守り抜くという一点において、確かに立派な信念だ」

 ライは自らの父親の哲学を、冷徹に、そして為政者として正当に評価した。だが、その直後、彼の琥珀色の瞳に、泥沼のような現状を焼き尽くさんばかりの『鋭い怒りと野心』が宿った。

 

「だが、俺に言わせればそれは『欺瞞』だ」

「欺瞞?」

 

「ああ。より安全で安価な流通網を開拓し、中央の中抜きを排除して、自領の民をさらに裕福にできる手段があるのに、波風が立つからと目を逸らす。それは上に立つ者としての『責任の放棄』だ」

 ライは腐りゆく麦の山を睨みつけ、吐き捨てるように言った。

 

「自領の民を本当に豊かにするためなら、リスクを取ってでも既存のシステムを最適化し、闘争に勝ってその利益を還元すべきだ。現状維持という耳障りの良い名目で、民がより豊かになる可能性を摘み取っている。……俺は、そんな臆病な責任の取り方で南を継ぐ気はない」

 その言葉を聞いた瞬間、リュートの奥底で、冷たい法曹的理性がかつてないほどの熱量を持って共鳴した。

 

 現状の平和に安住せず、自らの意志でシステムを破壊・最適化し、それに伴うすべての摩擦(リスク)を引き受ける。

 それはまさに、リュートが己の行動原理としている『自由(変革)には責任が伴う』という絶対の哲学と、完全に同じ波長であった。

 

「同感だ、ライオネル殿。波風を恐れて腐敗を黙認するシステムなど、いずれ内側から崩壊する。……君が本気で南の流通を最適化し、中央の特権商人を排除したいと考えるなら、僕の手元に一つ、『海運』という名の新しい盤面がある」

 リュートは東の資本と結託して組み上げた新たな流通ルートの存在を、惜しげもなくこの少年の前に提示した。

 

 互いに、特権と血統に塗れたこの国を内側から破壊し、より合理的なシステムへと組み替えようとする若き異端児。

 だが、南の次期公爵たるライは、その莫大な利益を孕む提案に対し、即座に飛びつくような甘い反応は見せなかった。

 

 彼は手帳を懐に仕舞い、冷徹な目で第二王子の全身を値踏みするように見据えた。

 

「海運……なるほど。確かに中央の陸路を迂回し、盤面を引っくり返せる劇薬だ。だが、机上の空論を並べるだけなら王宮の阿呆どもにもできる」

 ライの琥珀色の瞳に、一切の容赦がない冷酷な光が宿る。

 

「あんたが南の命運を背負うに足る、泥を被れる『怪物』かどうか。……俺の目で確かめさせてもらうぞ、第二王子」

 薄暗く、腐敗臭の漂う南の倉庫。そこで交わされた冷徹な視線は、まだ馴れ合いの友情などではない。互いの覚悟と底意地を測り合う、極めてヒリつくような『為政者同士の品定め』の始まりであった。

 

 

 

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