リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第5話『南の哲学5』

5 己の首を懸けたリスクヘッジと、男たちの密約

 

 南の次期公爵であるライは、目の前に座る第二王子が、綺麗事に塗れた温室育ちなどではなく、泥と欲を正確に計算に組み込む『冷徹な怪物』であることを確信していた。

 

「……で? あんたは俺たち南の流通を使って、中央の特権商人を出し抜き、最終的に王宮で何を成し遂げたいんだ?」

 ライの問いに対し、リュートは空になったグラスを指先で弄びながら、自らの究極の目的を口にした。

 

「血統と品位という曖昧な不文律で支配されたこの国を、内側から完全に解体する。そして、すべての人間を身分に関わらず『明文化された絶対の規則』という鎖で縛り、管理する新たなシステムを創り上げる」

 『法治国家』という概念すらないこの世界において、既存の人治体制の完全なる否定と、新たなルールの創造。

 

 王族の口から語られたその途方もない反逆のビジョンを聞き、ライの琥珀色の瞳に、獲物を狙う獣のような獰猛な笑みが浮かんだ。

 

「はっ……狂ってやがる。目的と見込めるリターンは完璧だ」

 ライは深く頷いた。だが、次の瞬間、彼はリュートが差し出そうとした『海運組合との正式な連携』という盤面を、冷徹な声で即座に払い除けた。

 

「だが、俺はあんたの『組合』とは組まない。俺が取引するのは、あくまで『リュート・セシル・ローゼンタリア』という一人の個人だけだ」

 

「……なるほど。『切り離し』か」

「そうだ」

 リュートが即座にその意図を看破すると、ライは自らの命を盤上のチップとして置くように、重く、淀みない声で語り始めた。

 

「親父のやり方には反吐が出るが、領民の命を背負うあの『覚悟』だけは本物だ。南の男として、俺も領民に対する責任の取り方だけは引き継ぐ」

 ライは己の首筋をトントンと指先で叩いた。

 

「もしこの計画が中央貴族にバレて、南に討伐軍が向けられるような事態になった時。親父は俺を即座に廃嫡し、反逆の首謀者として中央へ差し出す。親父の土下座と、俺の『物理的な首』一つ。そうすれば、南の民は誰一人血を流すことなく無傷で守られる。……これが、俺があんたの計画に乗るための最低限の保険だ」

 自らの命(首)すら、「最悪の事態における損切り」として冷酷に計算に組み込む。

 

 それは、誇りや名誉よりも領民の命を最優先するヴィレノール公爵家の哲学を、最も過激に研ぎ澄ませた『恐るべき生存戦略と覚悟』であった。

 リュートは、目の前の少年の言葉に感嘆の息を漏らした。

 

「泥を啜って現状を維持する公爵の重き責任感と、自らの命をチップとして盤面に置き、血を流してでも未来の利益を掴み取ろうとする次期公爵の覚悟。……やり方は違えど、どちらも南の領民を背負う為政者として極めて美しく、合理的な実力だ」

 南の親子のあり方を、リュートは最高の賛辞をもって評価した。

 

 だが、その直後。リュートは懐から一枚の羊皮紙と羽根ペンを取り出すと、卓上で淀みない速度で文字を書き連ね、迷うことなく自らの署名と王子の紋章印を刻み込んだ。

 

「……何だ、そりゃあ?」

「君への、僕からの『担保』だ」

 差し出された羊皮紙を手に取ったライは、そこに記された文面を目で追い、絶句した。

 

『第二王子リュート・セシル・ローゼンタリアが、王家の権威と武力を盾にヴィレノール家嫡男ライオネルを不当に脅迫し、王宮に逆らう独自の流通網構築を強要したことを、ここに証明する』

 

「僕が君を脅迫したという、決定的な自白の証拠だ。……万が一、中央に計画が露見した時はこれを提出しろ。君は王家からの理不尽な脅迫に屈しただけの『被害者』となり、君の首すら中央に差し出す必要はなくなる」

 それは、すべての責任と致死の罪をリュート一人が背負うという、己の政治生命と物理的な命を相手に丸投げする、あまりにも狂気的な証明書であった。

 

 ライは、手元の羊皮紙と、平然と酒を呷る目の前の王子を交互に見つめた。

 相手に逃げ道(免罪符)を完全に用意した上で、共に泥沼へ足を踏み入れようとする男。その並外れた器と、自分に対する異常なまでの『信頼』を前にして。

 

「…………っ、はははははっ!!」

 ライは腹の底から、痛快でたまらないというように爆笑した。

 そして次の瞬間、彼は手にしていた『完璧な免罪符』を、ビリビリと音を立てて無残に引き裂き、空中に放り投げた。

 

「なめるなよ、温室育ちの悪党が。被害者ヅラして保身に走るような真似、南の男の誇りが許さねえ」

 

「……」

「お前の脅迫状なんぞなくても、俺は俺の意志でシステムを壊す。……共に地獄の底まで泥を被ってやる。それが俺の、相棒への責任の取り方だ」

 羊皮紙の破片が雪のように舞い散る中、ライは獰猛な笑みを浮かべ、右手を力強く差し出した。

 

 リュートもまた、その生涯の友となる少年の狂気と覚悟に、前世から今世を通じて初めて、純粋で嬉しげな笑みをこぼし、その手を強く握り返した。

 

「……契約成立だ、悪党」

「ああ。よろしく頼む、ライ」

 娼館の薄暗い密室の中、カチン、と安物のグラスが硬質な音を立てて打ち鳴らされる。

 

 逃げ道を自ら破り捨て、互いの命と責任を対等に背負い合うことを誓い合った、真の『共犯者(生涯の友)』が誕生した瞬間であった。

 

   ◇

 

『……南の次期公爵との密約、確かに記録いたしました。それにしても殿下、十三歳にして地下娼館のVIPルームで平然と密談を交わし、強い酒まで呷られるとは……』

 男たちが極重の誓いを交わしていたその頃。

 

 密室の天井裏の暗がりに完全に同化していた護衛のルリカは、主君の恐るべき政治的成果に感嘆しつつも、護衛兼『監視役』としての冷徹な目を光らせていた。

 

『この極秘会談の全容と、殿下がこのような泥に塗れた歓楽街に慣れきっておられるという事実……王都でお待ちの女性陣(リーゼロッテ様、アイリス様)へ、事細かにご報告せねばなりませんね』

 生涯の友という最強のカードを手に入れた高揚感とは裏腹に、王都へ帰還した後のリュートの「私生活における身の危険」が静かに跳ね上がっていることを、当の王子本人はまだ知る由もなかった。

 

 

 

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