リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 リーゼの『全責任』
理不尽な弾劾裁判によって稀代の策士が完全に沈黙した後。
隠れ家の奥にある別室にて、リーゼロッテとアイリスは二人きりで対座していた。先ほどのカオスな空気は完全に払拭され、室内には冷たく、極めて高度な政治的緊張感が張り詰めている。
「……なるほど。国家の中央銀行の設立と、兄様の命そのものを担保とした絶対の密約。それが、貴女が兄様と交わした『契約』の全容というわけですね」
アイリスの口から語られたプロポーズ(国家転覆への共犯契約)の全容を聞き終え、リーゼロッテはほう、と感嘆の息を漏らした。
己の命すら盤上のチップとして平然とベットし、既存の国家体制を根本から破壊しようとする兄の底知れぬ狂気と覚悟。そして、その修羅の道に自らのすべてを賭ける決断を下した目の前の令嬢に、リーゼロッテは身内として深い敬意を抱かずにはいられなかった。
「アイリス様。貴女の覚悟と、兄様が貴女に預けた信頼の重さはよく理解いたしました。……その上で、貴女に一つ問わねばならないことがあります」
リーゼロッテは、冷めた紅茶の入ったカップを見つめたまま、静かに、だが鋭く切り出した。
「現在、内務省には身分を隠し、兄様の手足となって働いている見習い文官の少女がいます。彼女の正体は、内務卿メルカトーラ侯爵の令嬢。……兄様は彼女に対し、『功績を挙げれば迎えに行く』と約束を与えています。兄様の伴侶……すなわち『側室』として、彼女をこの陣営に迎え入れることを、貴女は許容できますか?」
それは、東の次期当主にして、実質的な「第一位の契約者(正妻)」の座を確約されたアイリスに対する、極めて残酷な踏み絵であった。
先ほどリュートの南での行動に激しく嫉妬していた一人の等身大の少女が、別の女の存在を突きつけられ、果たしてどう動くか。
だが、アイリスは一切取り乱すことはなかった。
先ほどの嫉妬に狂う少女の顔は完全に消え去り、そこにあるのは、王家の規範という息の詰まる籠の中で足搔き、自らの意思と実力のみで資本の盤面を支配してきた『東の次期当主(論理の女神)』としての、極めて冷徹な為政者の顔であった。
「……契約の第一位が私であるという絶対の前提が揺るがないのであれば、殿下が必要とする駒(側室)が増えることに、私から異議を唱えるつもりは一切ありません」
アイリスは扇を静かに閉じ、淀みない声で断言した。
「彼女の出自が内務卿の令嬢であるなら、中央貴族の動向を探り、内部から切り崩すための手札として極めて有用です。殿下の覇業において利益をもたらす『優良な投資先』であるならば、私個人の独占欲や嫉妬でその可能性を摘み取るような真似はいたしません。……それが、第一位の契約者としての私の『責任』です」
個人的な感情を完全に切り離し、陣営の利益と合理性を最優先する。
その見事なまでの『正妻の器』を前に、リーゼロッテは内心で深く安堵し、そして戦慄した。この論理の女神を正妻に据えた兄の眼力は、血統などという安易な指標ではなく、彼女の持つ「冷徹なまでの実力と品性」を正確に見抜いていたのだと。
だが、アイリスの冷徹な演算はそこで終わらなかった。彼女は鋭い視線をリーゼロッテへと射抜くように向ける。
「……ですが、リーゼ様。今の彼女に、私が直接会うのは殿下の陣営として『リスク』が高すぎます」
「リスク、ですか」
「はい。彼女がどれほど優秀でも、所詮は中央貴族の娘。もし彼女が土壇場で裏切り、東のオルディナ家が殿下と結託しているという最高機密が内務卿に漏れれば、私たちの計画はすべて水泡に帰します。……ゆえに、リーゼ様。貴女が彼女を味方に引き込むというのなら、貴女自身が『全責任』を負って対処なさいませ」
アイリスの指摘は、あまりにも正論であった。
ティナを陣営に引き入れることは利益だが、同時に致死の劇薬でもある。その管理をリュートやアイリスに丸投げするのではなく、引き入れたいと願うリーゼロッテ自身が、命懸けの担保(責任)を負うべきだという極めて論理的な判断。
「……ええ。おっしゃる通りですわ、アイリス様。見事な判断です」
リーゼロッテはアイリスの冷徹な条件を、笑みすら浮かべて全面的に肯定した。
兄が与えた「功績を挙げれば迎えに行く」という約束。稀代の策士である兄のことだ、いずれ何らかの形で彼女を盤面に組み込む算段はついているのだろう。だが、待っているだけではいけない。
兄の約束を絶対に違えさせないため、そして、いずれ中央貴族との全面戦争に突入する兄の陣営に、喉元を喰い破るための『狂犬』を確実に引き入れるため。
「彼女の首輪は、私がこの手で握ります。……陣営の最高機密を守るための『全責任』は、王女である私がお引き受けいたしましょう」
身内としての、そして一人の王族としての重い覚悟を決めたリーゼロッテ。
彼女の氷のように澄んだ瞳は、すでに次なる標的――暗闇の中でただ一人、一途な初恋を抱きながら実務をこなし続ける内務卿の令嬢、ティナの姿を冷酷に見据えていた。