リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 保守派のパニックと、物理的防衛線(カイルの鉄壁)
相場の大暴落は、王都の裏社会から表の政治舞台までを巻き込む、巨大なパニックの引き金となった。
これまで陸路の関所を実質的に封鎖し、食料を出し惜しみして価格を高止まりさせていた特権商人と保守派貴族たち。彼らの目論見は、南からの海路による「供給の暴力」によって完全に粉砕された。
高値で売り抜けようと倉庫に溜め込んでいた小麦は、一瞬にして腐る寸前の不良債権へと成り果て、莫大な借金と損失だけが彼らの手元に残された。
「話が違う! このままでは破産だ! 今すぐ賄賂を返せ!」
全財産を失った特権商人たちは、これまで多額の裏金を贈っていた保守派(第一王子派)の中央貴族たちの屋敷へ押しかけ、暴動寸前の騒ぎを起こした。
商人たちからの突き上げを食らい、同時に自らの資金源をも絶たれた中央貴族たちは、完全に恐慌状態へと陥った。そして彼らは、すべての元凶である「海事組合」へとその怒りの矛先を向けた。
「得体の知れない魔導船で、不当に市場を荒らした無法者どもめ! 貴様らのせいで正当な流通が破壊されたのだ! 損失をすべて補填しろ!」
自らの強欲と判断ミスの責任を完全に棚に上げ、「自分たちが損をしたのは新参者のせいだ」という極めて身勝手な論理を振りかざす貴族と商人たち。彼らは私兵や雇いならず者を大勢率いて、王都にある海事組合の本部へと血走った目で押し寄せた。
由緒ある身分と圧倒的な数で威圧すれば、平民上がりの新参組織など容易く屈服し、全財産を差し出すはずだ。彼らは旧態依然とした身分制度の優位性を信じて疑わなかった。
だが。彼らが組合本部の正門で直面したのは、怯える事務員でも、恭しく土下座をする代表でもなかった。
そこに立ち塞がっていたのは、極めて実戦的で無機質な『物理的防衛線』であった。
「――止まれ。ここから先は海事組合の私有地だ」
凄まじい威圧感を放つ巨軀の青年、カイルが静かに宣告した。
彼の背後には、王国の華美な近衛騎士団とは対極にある、一切の装飾を省いた実戦装備に身を包んだ警備隊が、一糸乱れぬ陣形を組んで控えていた。
その部隊の半数を占めているのは、かつてカイルと共にスラムで泥水を啜り、リュートによって拾い上げられた『孤児院の少年少女たち』である。彼らは東の資本によって提供された最高品質の武具を構え、一切の感情を交えない冷酷な瞳で、喚き散らす貴族たちを見据えていた。
「道を開けろ、平民ども! 我々は歴史ある商会と、その後ろ盾である男爵家だぞ! 組合の代表を出せ!」
先頭に立った貴族が、顔を真っ赤にして身分証を振りかざす。
だが、カイルは表情一つ変えなかった。
「アポイントメント(事前の約束)はあるか」
「あるわけなかろう! 我々は被害者だ! 貴様らの不当な商売のせいで――」
「身分を問わず、アポイントのない者は例外なく全員追い返せ」
カイルは貴族の言葉を冷徹に遮り、主であるリュートから下された絶対の命令を復唱した。
「それが、うちの代表の命令だ。……引き返せ。これ以上の接近は『威力業務妨害』および『不法侵入』とみなし、物理的に排除する」
「なめやがって! たかが平民の傭兵もどきが、貴族に逆らう気か! やっちまえ!」
貴族の号令とともに、数十人のならず者たちが武器を振り上げて殺到する。
しかし次の瞬間、カイルが一切の予備動作なく前方に踏み込み、先頭の男の顔面を鋼の手甲で無造作に粉砕した。
それを合図に、背後に控えていた孤児出身者たちの部隊が音もなく動いた。
「「「……ッ!」」」
彼らにとって、相手が貴族であろうが商人であろうが関係ない。身分という見えないルールで威張るだけの温室育ちなど、スラムの裏路地で毎日命のやり取りをしてきた彼らにとっては、単なる「的」に過ぎなかった。
孤児院出身者たちは最小限の動きでならず者たちの武器を弾き落とし、急所を的確に打ち据え、膝の関節を破壊していく。容赦のない、殺害の一歩手前で寸止めされた極めて高度な暴力の制圧。
腐っていた自分たちに生きる場所と実力を与えてくれた主への、狂信的なまでの忠誠心。彼らは実力主義の陣営において、自らの価値を証明するように冷徹に敵を蹂躙した。
「ひっ……! 悪魔、悪魔どもめ……!」
「足が、足が折れたァッ!」
わずか数十秒。圧倒的な数の有利があったはずの暴徒たちは、血の海の中で呻き声を上げる肉の塊へと変わっていた。
カイルは、腰を抜かして震える首謀者の貴族を見下ろし、冷たく言い放つ。
「……次は殺す。ゴミは持ち帰れ」
恐怖に駆られた貴族と商人たちは、這うようにして組合本部から逃げ散っていった。
身分という幻想が、研ぎ澄まされた実力主義の暴力の前に完全敗北を喫した瞬間であった。
◇
「……物理的な暴力や身分の威圧では、あの組織は微動だにしません。あの警備隊は、中央貴族の権威を微塵も恐れていない『本物の私兵』です」
同じ頃。遠巻きに事態を監視していた手の者からの報告を受け、貴族院議長であるカルネリア侯爵は苦々しく顔を歪めていた。
力業では到底、第二王子の基盤である海事組合を崩すことはできない。
「父上」
その背後で、冷徹な官僚である子息エドワルドが、眼鏡の奥で知的な光を細めながら進言した。
「野蛮な実力行使が通じないというのなら、彼らが最も重んじる『法』の土俵に引きずり出すまでです。……奴らの首に、貴族院議会への『参考人招致』という合法の首輪をかけましょう」
王都の混乱の裏側で、旧体制の最も有能な番犬(エドワルド)が、ついにリュートを法廷の盤面へと引きずり出すための召喚状にサインを刻んだのであった。