リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 「盾」の洗脳と「王」の儀式
ゼノビア侯爵邸の剣術道場。
午後の陽光が障子を透かし、畳の上に淡い光の帯を落としている。
九歳のセオリス・デイル・ゼノビアは、父であるゼノビア侯爵と叔母ヒルデガードの前に正座していた。
年齢離れした体格の少年は、汗で濡れた額を拭いもせず、瞳を輝かせて二人を見つめている。
父侯爵が低い声で言い聞かせる。
「よいか、セオリス。グラクト様は神の子だ。お前は考える必要はない。ただ守れ」
セオリスは即座に胸を叩いた。
「はい! 僕、グラクト様のためなら命だって惜しくありません!」
ヒルデガードが優しく、しかし厳しく続ける。
「グラクト様の言葉はすべて正しい。たとえグラクト様が『黒』と言えば、白い雪も『黒』だ。それがゼノビアの忠義よ。お前は剣を振るうだけでいい。疑問を持つな。迷うな。ただ、グラクト様の影となって、剣を振るえ」
セオリスの目がさらに輝いた。
純朴で、疑うことを知らない真っ直ぐな性格の少年にとって、それは最高の命令だった。
「はい! 僕はグラクト様の最強の盾になります! 難しいことはわかりませんが、命をかけて守ります!」
父侯爵は満足げに頷き、剣を渡した。
「ならば、今日からお前はグラクト様の側近だ。剣を抜くたび、グラクト様の光を思い浮かべろ。お前の剣は、グラクト様の意志そのものになる」
セオリスは剣を握りしめ、力強く立ち上がった。
彼の中に、リュートたちが身につけようとしている「論理」とは対極にある、「盲信」という強さが完成した瞬間だった。
考えることを放棄し、ただ一つの光を守るための道具となる――それが、ゼノビア家の忠義の形だった。
一方、王宮・第一王子の教育室。
金糸の刺繍が施された絨毯の上に、グラクトは静かに座っていた。
七歳の神の子は、金髪を陽光に輝かせ、純粋な金色の瞳で王室教師を見つめている。
教師は古い巻物を広げ、厳かに語り始めた。
「グラクト様。側近を迎えるための『臣従の儀』――君臣の義の作法です。王族が剣を抜き、跪いた臣下の肩に刃を乗せ、忠誠を受け入れる。これは騎士叙任の模倣であり、王家の品位を体現する儀式です」
グラクトは小さな手を膝に置き、頷く。教師はさらに続けた。
「剣を肩に乗せる際、切っ先が揺れても、相手は微動だにしてはなりません。もし手元が狂って相手を傷つけても、決して謝罪してはなりません。『上位者の刃が当たっても、それを避けない下位者の責任』とするのが、王家の品位なのです」
グラクトの瞳がわずかに揺れた。純粋な彼にとって、それは直感的に「おかしい」と感じられる理屈だった。
「……傷つけてしまったら、謝らないのですか?」
教師は静かに、しかし断固として答える。
「謝れば、王の権威が揺らぎます。相手に『私の不徳で刃に触れてしまいました』と謝罪させ、それを『許す』ことで、主従の絆は完成するのです。それが、君臣の義であり、王家の品位です」
グラクトは純粋な金色の瞳を瞬かせ、戸惑った。
幼い心に、明らかな違和感が芽生える。自分が傷つけたのに、相手に謝らせるなんて理不尽ではないか。
しかし、教師の言葉は「それが王としての資質」として、絶対の真理のように繰り返される。グラクトは素直に頷き、渡された木剣を手に取った。
「わかりました。……練習します」
教師が模擬の臣下役を務め、グラクトは剣を抜く。
ゆっくりと肩に刃を乗せるが、わずかに手が震え、剣先が肩を浅く掠めた。
教師は即座に額を床につけ、声を震わせた。
「私の不徳で、グラクト様の刃に触れてしまいました……どうかお許しください」
グラクトは一瞬、目を丸くした。しかし、教師の視線に促され、ゆっくりと剣を収める。
「……そなたの忠誠を認める。許す」
教師は深く頭を下げ、満足げに微笑んだ。
「素晴らしいです、グラクト様。これが、王者の資質です」
グラクトは木剣を握りしめ、静かに息を吐いた。
彼もまた、システムに組み込まれた純粋な被害者だった。己の違和感を押し殺し、「王」として振る舞う型を、幼い心に刻み込まれていく。
ゼノビア邸ではセオリスが「盲信の盾」として完成し、王宮ではグラクトが「品位の型」を身につけていく。
二人の少年は、まだ知らない。
この儀式が、未来の「王」と「盾」を、宮廷の歪んだ枠組みの中に閉じ込めていくものであることを。