リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『粛清の覚悟2』

2 王の器と冷徹なる損切

 

 本宮の第一王子執務室。

 次期国王として確固たる地位を築いているグラクトは、執務デスクに積み上げられた書類――財務省から突き返された『大オセロ大会』の予算案――を前に、深い疲労と苛立ちの混じったため息を吐いた。

 

「……またしても、宰相からの差し戻しだ。国家の財政難を理由に、大会の規模縮小を求めてきている」

 かつてのグラクトであれば癇癪を起こして終わっていたかもしれない。だが、側近エドワルドから『泥臭い実務と根回し』の重要性を説かれ、自ら各機関との調整に奔走し始めた彼は、行政機関の壁がいかに厚いかを身をもって学んでいる最中であった。

 

 グラクトは窓の外、王都の街並みへと視線を向けた。

 彼の威光に群がる特権貴族たちが品位を忘れて強欲に走り、引き起こした食糧高騰。しかしその混乱は、国王ゼノンの『特権状』を受けた海運組合の手によって見事に収拾されつつあった。

 

「……さすがは父上だ。愚か者どもの不始末を見事な手腕で断ち切られた。……次期国王たる私も、父上に倣い、なんとしてもあの頭の固い宰相を頷かせるだけの気概を示さねばならないな」

 グラクトの声には、父王の偉大さに対する純粋な称賛と、それに追いつこうとする次期国王としての強い向上心が滲んでいた。

 

「殿下。その予算の件ですが……宰相の首を縦に振らせずとも、殿下の望む莫大な資金を即座に、かつ『合法的に』捻出し、さらには父君に並ぶ圧倒的な威光を手にする策がございます」

 意気込むグラクトの前に静かに進み出た若き官僚、エドワルドが冷徹な声で告げた。

 

「ほう? どこから金を持ってくるというのだ」

「……殿下の威光に群がり、今回の混乱を招いた愚かな特権貴族たちからです」

 エドワルドは眼鏡の奥の瞳を細め、極めて合理的な、恐るべき政治的打算を口にした。

 

「今回の暴落により、市場を操作しようとしたバルトフェルト侯爵らは多額の負債を抱え、すでに『不良債権』と化しています。もはや彼らは、次期国王たる殿下を支える盤石な土台にはなり得ません」

「……」

 

「殿下。彼らには、殿下がより輝くための『極上の養分』となっていただきましょう。殿下ご自身の手で、あの愚か者どもを『民を飢えさせた反逆者』として粛清し、その全財産を没収するのです」

 エドワルドの提案に、グラクトは目を見開いた。

 彼の脳裏に、かつて自らの有能な右腕であったセオリスを喪った痛みがフラッシュバックする。

 

「待て……! ただでさえセオリスを失っているのだぞ。私を熱烈に崇拝している貴族たちを切り捨てれば、支持の数が減るのではないか?」

「腐りかけの手足を切り捨てた程度で、神の子である殿下の威光は揺らぎません。むしろ、私欲に駆られた悪を容赦なく成敗するその決断こそが、殿下を『完全無欠の王』へと押し上げます。……そして、没収した莫大な財産をすべて大オセロ大会の資金として市場に還元し、王都中を熱狂の渦に巻き込むのです」

 粛清による無尽蔵の予算獲得と、大衆の熱狂的な支持。

 エドワルドはさらに、プロパガンダの総仕上げを淀みなく提示した。

 

「加えて、陛下にお願い申し上げるのです。父君の特権状によって動いたあの海運組合の成果を、『すべては次期国王である殿下が事前に暴走を予見し、民を救うために手配させていた』と公式に発表するお許しをいただくのです」

 宰相に頼らず莫大な予算を獲得し、不要な手足を切り捨てて英雄となり、父王の偉業を自らの大事業の完璧な権威付けとして引き継ぐ。

 官僚としての「根回し」の限界を教えた上で、それを超越する「王の権力行使」を提示したエドワルドの完璧なプレゼンテーションの前に、グラクトの迷いは完全に消え去った。

 

「なるほど……馬鹿な貴族の死肉を大会の予算へと変換し、父上の手配をも私の光として受け継ぐのだな。素晴らしい。宰相の顔色を窺い続けるより、遥かに王道だ」

 グラクトの顔に、底知れぬ傲慢な笑みが広がる。

 セオリスを見殺しにしたというかつての罪悪感は、「国家のためには手足(臣下)を切り捨てる非情さが必要なのだ」という歪んだ自己正当化によって完全に上書きされていた。

 

「手配をしろ、エドワルド。お前の策に乗ろう。私の名において、腐肉を切り捨てる」

「御意に」

 グラクトが凄絶な『王の覚悟』を決めた瞬間であった。

 

『……これでいい』

 深々と頭を下げるエドワルドは、内心で静かに思考を巡らせていた。

 彼は先日の貴族院議会で、あの海運組合を裏で操っているのが第二王子リュートであることを知っている。だが、グラクトには「国王の認可組合」という事実のみを強調し、リュートの存在はあえて伏せている。

 これは、あの議会で恐るべき法廷戦術を見せた知将に対する、エドワルドなりの『踏み絵』でもあった。

 

『あの第二王子殿下は、間違いなく優秀だ。……もし彼がこの「事後報告(成果の譲渡)」を王家の絶対的な秩序として受け入れ、次期国王の影として従順に実務をこなしてくださるのなら。私は、空気を読めず盤上の戦術しか語れない自称・叡智の同僚などより遥かに頼もしい、共にグラクト殿下を支え合う「真に有能な実務の同志」を得ることができる』

 エドワルドは、一介の官僚として、有能な実務家の登場を密かに歓迎すらしていた。

 

『だが……もし個人の功績に固執し、この国の絶対的な秩序に牙を剝くのであれば。その時は、次期国王の治世を脅かす不確定要素として、我が主君の剣(権力)をもって盤上から排除していただかねばならない』

 すべては次期国王の完璧な治世と、国家というシステムの維持のため。若き官僚は、冷徹な理知をもって次なる一手の準備を進めていた。

 

  ◇

 

 その日の午後。王宮の最奥にある謁見の間。

 一段高い玉座には国王ゼノンが鎮座し、その傍らには、この国の政治的実権を掌握している王妃マルガレーテが冷徹な威厳を纏って同座していた。

 御前に進み出たグラクトは、絶対的な自信に満ちた声で奏上した。

 

「父上、母上。今回の王都における食糧高騰の元凶は、王家の品位を忘れ、私欲に駆られて関所を不当に封鎖したバルトフェルト侯爵をはじめとする愚かな特権貴族たちにあります。私は、彼らを王家への反逆者として拘束し、その全財産を没収いたします」

 その言葉を聞き、王妃マルガレーテは冷ややかな双眸を細めた。

 

「自らを崇拝してきた貴族たちを、自らの手で切り捨てるというのですか。グラクト、その莫大な『政治的損失』を、貴方はどう補填するおつもりですか?」

 政治の最高責任者であるマルガレーテの厳しい問い。グラクトが一瞬言葉に詰まると、その背後に控えていたエドワルドが、流れるような動作で一歩前へ出た。

 

「恐れながら、王妃様。グラクト殿下はすでに、その痛みを倍以上の利益に変換する『還元策』をご決断されております。没収した莫大な財産をすべて大オセロ大会の運営資金と賞金に注ぎ込み、平民から貴族までが熱狂する王家主催の祭典を開催いたします」

 エドワルドの代弁に続き、グラクトが力強く言葉を引き継いだ。

 

「愚か者を討ち、その死肉で民を潤します。この決断により、王都の経済は循環し、少数の無能を切り捨てた損失など比較にもならない称賛が王家にもたらされるはずです。……そして父上、もう一つお願いがございます」

「申してみよ」

 ゼノンが重々しく促すと、グラクトは真っ直ぐに父王を見据えた。

 

「今大会に更なる権威を持たせ、民の不安を完全に払拭するため……父上の特権状によってなされた今回の海運組合の偉業を、『私の発案と指示によるもの』として公式に発表するお許しをいただけないでしょうか」

 マルガレーテの口元に、深く、満足げな笑みが刻まれた。

 

「……見事な政治的判断です。己の威光に群がるだけの無能を大会予算へと変換する冷血な錬金術。そして、国王の偉業すらも自らの飾りに使おうとするその強かさ。次期国王として十分な評価に値しますわ」

 王妃の賞賛を受け、国王ゼノンが国家の「司法官」としての重々しい口を開いた。

 

「法と秩序を乱す者は、たとえ己を崇める者であろうと容赦なく裁き、切り捨てる。……そして、余の威光すらも喰らい、次代の王としての盤石な光とするか。見事な覚悟だ。グラクトよ、全権を委ねる。貴様の信じる『王の道』を、余に見せてみせよ」

「はっ。ありがたき幸せに存じます」

 

 両親から絶対的な権限と「手柄の強奪」の許可を引き出し、深く頭を下げるグラクト。

 その後方で付き従うエドワルドは、表情一つ変えることなく、次なる一手――第二王子リュートに対する冷酷な『踏み絵(事後報告)』の準備を、すでに静かに整え終えていた。

 

 

 

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