リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

224 / 317
第9話『品位の道化7』

7 光と影、そして死地への歩み

 

 王都の中心から湧き上がる熱狂的な大歓声は、夕闇が迫る空気を震わせ、街の隅々にまで反響していた。

 第一王子グラクトが自ら泥に塗れて民を救い、「真の王の器」を示したという噂は、瞬く間に王都中を駆け巡り、彼に対する熱狂をかつてない次元へと押し上げていた。それはエドワルドが計算した台本(プロパガンダ)を超えた、民衆の心からの光への崇拝であった。

 だが、そのまばゆい光が強まれば強まるほど、王都の裏側に落ちる「影」はより色濃く、底知れぬ冷たさを増していく。

 

 王都の裏路地に潜む、東の隠れ家。

 その薄暗い奥室の床で、東の次期当主テオドールは一人、膝を抱えてうずくまっていた。

 

「……くそっ……」

 カイルが放った本物の殺気を前に、自分は指一本動かせず、ただ無様に涙と鼻水を流して這いつくばった。

 次期当主としての責任感など、圧倒的な暴力の前では何の意味も持たなかった。対して、姉であるアイリスは涼しい顔で「すでにリュートと共に断頭台で笑って死ぬ覚悟を決めている」と言い放ち、自ら死地(アイギス公爵との会談)へと向かっていった。

 

 テオドールは、自らの腕を搔き毟り、血が滲むほど強く唇を嚙み締めた。

『姉上が命を懸けているのに……僕は、歴戦の騎士が放つ「本物の殺気」を当てられただけで、呼吸すら忘れてうずくまることしかできなかった。剣を抜かれるまでもなく、ただ睨まれただけで……。これが、温室でぬくぬくと帳簿の数字だけを見てきた人間の、本当の実力……』

 遠くから聞こえるパレードの歓声が、彼の無力さを嘲笑っているかのように響く。

 だが、その両の瞳からこぼれる涙は、もはや恐怖によるものではなかった。己の致命的な弱さと無知に対する、激しい怒りと屈辱の涙だ。

 

 この圧倒的な挫折の底で、十二歳の少年は初めて「本物の為政者(当主)」となるための、血を吐くような産声を上げていた。

 

 ◇

 

 同じ頃、王宮の端に位置する離宮のサロン。

 王女リーゼロッテは、窓辺で静かに冷めた紅茶を口に運んでいた。彼女の背後には、いまだ消えやらぬ殺意を瞳の奥に燻らせたルリカとティナが、影のように控えている。

 

「……ご苦労様でした、二人とも。よく耐えてくれましたわね」

 リーゼはカップを置き、静かに労いの言葉を紡いだ。

 あの時、リーデルの傲慢な言葉を聞いて、彼女自身の胸中にも、かつて母ルナリアを奪われた際の業火のような憎悪が吹き荒れていたのだ。今すぐあの男の首を落とし、その傲慢な舌を踏み躙ってやりたいという、狂気にも似た衝動。

 

 だが、彼女はそれを完璧な王族の微笑みで完全に封じ込めた。

『私個人の復讐で、お兄様が命を削って組み上げている盤面を壊すわけにはいかない。……ええ、今のうちは、その血統という古い飾りに守られていい気になっているといいわ、リーデル・ソリュ・セラフィナ』

 リーゼの瞳は、兄グラクトと同じ王家の血を引く金色の瞳でありながら、そこに宿る光は全く異なる。燃え盛る太陽ではなく、すべてを冷徹に凍りつかせる絶対零度の光だ。

 

『お兄様と私が「法」という絶対的なルールを敷いた時、特権を剝がされた無能な貴方は、勝手に足を踏み外して自滅する。わざわざ私の手を汚す価値もない。……その無様な最期を見届ける日まで、私はただの無害で美しい、完璧な王女でいてあげる』

 大局を見据え、己の憎悪すらも盤面の一部として冷徹に処理した少女。彼女もまた、離宮という影の中で、兄に劣らぬ恐るべき怪物としてその牙を研ぎ澄ませていた。

 

 そして。

 王都の熱狂から完全に背を向け、冷たい風の吹く裏通りを並んで歩く二つの影があった。

 リュートとアイリスである。

 

「……随分と、景気のいい歓声だね」

 リュートは、遠く本宮の方角から響き渡る地鳴りのような熱狂を聞きながら、歩みを止めることなく淡々と呟いた。

 

「エドワルドの書いた台本通りの歓声にしては、熱が入りすぎている。……どうやら兄上は、パレードの最中にただの神輿であることをやめ、自らの意志で民心を引き寄せる『為政者』として立ち回ったようだ」

 

「まあ。あのプライドの高い第一王子が、自ら計算して泥を被るような真似を?」

 扇で口元を隠したアイリスが、興味深そうに目を細める。

 だが、二人の足取りに一切の動揺や焦りはなかった。むしろ、敵(グラクト)が真の王の器として覚醒したという事実を、盤面における極めて有益な『好材料』として冷徹に処理していた。

 

「……いいことだ。兄上が本物の『王の器』として君臨し、民の目を一身に集めてくれるのなら、我々にとってこれ以上都合のいい防壁(隠れ蓑)はない」

「ええ。民衆や貴族たちが、眩い次期国王のカリスマに熱狂し、そちらばかりを見上げている間は……私たちが足元で組み上げている新しい法と経済のシステムに、誰も気づきませんわね。神輿が自ら光り輝いてくれるのなら、最高の目くらましですわ」

 

「ああ。偶像が盤石であればあるほど、裏の実務は安全に育つ。……明日はついに、北の武神との交渉の席だ。化け物の前で、この東の誇りがどこまで通用するか」

「怖いのですか? 殿下」

「まさか。論理の通じない相手に、死のリスクを背負ってこちらの論理(ロジック)を叩きつける。……為政者としては、身の毛のよだつほど最高の舞台だ」

 

 表舞台で光の王が誕生し、熱狂に包まれる王都。その華やかな光を背に受けながら、リュートとアイリスは、明日控えるアイギス公爵との極秘面会――理屈が通用しない『本物の死地』へ向けて、一切の迷いなく歩みを進めていくのであった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。