リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
5 王都の守護者たち
出立前夜。王宮の端に位置する離宮のサロン。
リュートは、王都の留守を任せるため、妹リーゼロッテと面会していた。彼女の背後には、侍女の姿をしたルリカとティナが音もなく控えている。
「半年間、私は王都の盤面を空ける。……第一王子派の動きへの牽制と、例の『計画』の全権はお前に預ける、リーゼ」
リュートの言葉に、リーゼは完璧な王女の微笑みを浮かべて小さく頷いた。
リュートは彼女に歩み寄り、学園入学へ向けた『人材確保スキーム』のさらなる拡大と強化を命じる。
「孤児院の教育機関化についてだが。学園の選抜に漏れた孤児たちを海運組合の構成員として雇用し、物流の歯車にするスキーム……お前は誰一人無駄にすることなく、完璧に回してくれているな」
「ええ。すでに海運組合の資本で、優秀な平民を数名学園に送り込む実績も出ておりますわ」
「ああ、見事な手腕だ。私がお前を頼りにしている所以だよ。……だからこそ、私が北にいるこの半年間で、その盤面をさらに拡大・加速させる」
リュートの言葉の熱に、リーゼは瞬時にその意図を察した。
「……今回のオセロ大会で、第一王子が粛清した貴族たちを利用するのですね?」
「その通りだ。プロパガンダのために没落させられ、復讐心と野心を燻らせている優秀な者たちを、孤児院の『教師』として拾い上げろ」
それは、すでに回っている完璧なシステムに、敵が切り捨てた敗者たちを自らの手足として組み込む冷徹な一の矢だった。
「孤児に徹底的に実務と学問を叩き込ませ、学園の『平民枠(特待生)』として合格させた人数に応じて、教師となった没落貴族たちへの報酬を上乗せする完全な成果主義を敷け。……第一王子が捨てた敗者たちを使って、我々のための『最強の官僚と学園の多数派』の育成を加速させるのだ。この拡大された循環システムの全権も、引き続きお前に任せる」
「第一王子の落とした泥を使って、美しい金と人材の山を築き上げろと? ……ふふっ、見事な循環システムですわ」
大局を見据えた兄の冷徹な盤面構築に、リーゼはふわりとドレスの裾をつまみ、優雅なカーテシーで応えた。
「ご安心を、お兄様。すでに回っている盤面を強固にするなど造作もないこと。貴方が北で泥に塗れている間、この王都に沈む泥は、私がすべて拾い上げておきますわ。……どうか、ご無事で」
己の妹が、すでに王都の裏側を支配する怪物として仕上がっていることを頼もしく思い、リュートは背を向けた。
そのリュートの護衛として控えていたカイルに向かって、これまで無言だったルリカが静かに口を開く。
「……カイル。私は王都に残り、リーゼ様とこの離宮(本拠地)を死守する」
氷のように冷たい、元暗殺者の声音。
カイルは肩をすくめ、「ああ、こっちは任せたぜ、メイド長殿」と気安く笑った。だが、ルリカの射抜くような鋭い視線は、一切の温度を持っていなかった。
「お前は、リュート様の『盾』だ。……北の死地で万が一の事態が起きた時は、迷わずリュート様のために死ね」
それは同僚への別れの言葉ではなく、同じルナリアの意志を継ぐ者としての、徹底した任務の確認だった。
カイルは一瞬だけ歴戦の騎士の凄みを見せ、自らの首をトントンと指で叩きながら、獰猛な笑みを浮かべた。
「違えねえ。俺の首の使い道は、最初からそのために決まってる。……泥に塗れるのは俺たちの仕事だ。王都の綺麗な盤面は、お前に預けたぜ」
裏社会を生き抜いてきた大人同士の、甘さの一切ない命のやり取り。
それを背中で聞きながら、リュートは確かな手応えと共に離宮を後にした。
◇
出発の朝。
王都郊外の秘密の入り江に手配された海運組合の大型魔導船の前で、リュートはアイリスと二人きりで向き合っていた。
冷たい朝の海風が吹く中、アイリスはいつも通り扇で口元を隠していたが、その計算高い瞳には、珍しく微かな憂いの色が宿っていた。
「……東の当主たる我が弟を、どうかお願いいたします。あの子はまだ、本物の血の臭いを知りません」
「ああ、約束しよう。必ず生かして連れ帰る」
東の誇りを証明するために自ら死地へ赴く決意をしたテオドール。姉としての彼女の痛いほどの覚悟を受け取り、リュートが力強く頷く。
すると、アイリスはふわりと扇を下げ、一歩前へ踏み出した。
そして、リュートの首元に滑らかに腕を回すと、東の次期当主ではなく、一人の女としての妖艶な笑みを浮かべる。
「っ……アイリス?」
リュートが身構えるより早く、彼女の柔らかい唇が、リュートの頰に落とされた。
チュッ、という小さな、しかし確かに独占欲を孕んだ音が、朝の静寂に響く。
「……もちろん、貴方のことも、です。私(第一位の契約者)の許可なく、勝手に死ぬことなど許しませんわ。私から逃げ切れるとでも思って?」
それは、彼が自分の所有物(最大の投資先)であることを誇示するかのような、特権の刻印。
リュートは頰の熱さに小さく息を吐き、苦笑しながら彼女の腕をそっと外した。
「……肝に銘じておくよ。東の資本と量産ラインは任せたぞ」
リュートが踵を返し、待機していたライオネル、テオドール、そして護衛のカイルと共に、巨大な魔導船のタラップを登っていく。
アイリスは再び扇で口元を隠し、静かに、しかし確かな野心を燃やす瞳で彼らの背中を見送った。
魔導機関が重低音を響かせ、巨大な船体がゆっくりと水面を滑り出す。
安全な王都の盤面から、血と泥に塗れた本物の地獄――北のアイギス最前線へ。
彼らを乗せた魔導船の勇姿が、極寒の北の大地へと向かって、朝焼けの空へ吸い込まれていくのであった。