リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

233 / 316
第6章 『法治の箱庭』
第1話『箱庭への出陣1』


1 帰還と、東の盾の証明

 

 極寒の北の地獄から、リュートとライオネルが王都へ帰還を果たしたのは、王立学園の入学式を数日後に控えた春の初めのことだった。

 

 二人は王宮や自邸へ戻るよりも先に、極秘裏に手配された馬車で王都の裏路地に構えられた東の海運組合の拠点――アイリス・ルーナ・オルディナの待つ執務室へと足を運んだ。

 

 数ヶ月ぶりに再会した彼らの姿を見て、アイリスは静かに息を呑んだ。

 王都を出立する前の、どこか理屈や理想が先行していた少年たちの面影は、もはや欠片も残っていない。その眼光は、血と泥に塗れ、数字ではない本物の「命のやり取り」を潜り抜けてきた者特有の、重く、鋭く、そして静謐な冷たさを宿していた。

 

「……随分と、本物の『為政者』らしい顔つきになられましたわね」

 アイリスは、完璧な貴族の微笑みをたたえながらも、その言葉には確かな敬意が込められていた。

 

 リュートは小さく肩をすくめ、懐から皺だらけになった一通の封筒を取り出した。

「北の武神は、理屈だけで動かせるほど甘い相手ではなかったよ。……これは、アイギス最前線に残留したテオから預かった手紙だ。君宛てだよ、アイリス」

 手渡された封筒には、泥と血の染みが微かにこびりついていた。

 

 アイリスは常に口元を隠している扇をそっとテーブルに置き、白魚のような指で丁寧に封を切る。

 便箋に綴られていたのは、かつて歴戦の騎士の殺気に当てられて泣き崩れていた、温室育ちの少年の震える文字ではなかった。

 

 そこには、極寒の死線で自らの無力さに絶望し、それでもなお、北が流す血の重さを骨の髄まで理解しようと足搔く、テオドール・ルディ・オルディナの力強い決意が整然と記されていた。

 

『――経済という名の盾を東が担うのなら、僕はここで、彼らの盾の重さを完全に理解しなければなりません。東の誇りに懸けて、必ず北の血の重さを背負える男となって王都へ帰還します』

 それは、東の資本が単なる数字の遊びではなく、誰かの命と血の上に成り立っているという事実を背負い抜く、次代の公爵家当主としての産声であった。

 

 手紙を読み終えたアイリスは、長い睫毛を伏せ、ゆっくりと息を吐き出した。

 そして、いつもは扇で冷徹に隠し続けている彼女の口元が、ほんの僅かに、だが確かに綻ぶ。

 

 それは、冷酷な資本家の顔ではなく、たった一人の弟が死線の中で本物の当主へと成長し始めたことを誇りに思う、姉としての慈愛に満ちた美しい微笑みだった。

 

「……ええ。頼もしくなりましたわね、私の弟は」

 アイリスは便箋を大切に折り畳み、胸元へとしまう。

 

 東の次期当主が北の最前線で「現場の血の論理」を学んでいるという事実は、将来、彼らが王家の分断統治を打破し、新しい経済圏を構築する上で、これ以上ない強固な楔となる。

 

「これで、北と東の連携はテオに任せられる。……さあ、王都の盤面を動かそうか」

 リュートの静かな、しかし熱を帯びた声に、アイリスは再び扇を手に取り、冷徹な覇者の顔へと戻った。

 

 ライオネルもまた、泥に塗れた外套を翻し、獰猛な笑みを浮かべる。

 理屈と現実の両方を兼ね備えた若き怪物たちが、いよいよ王都の心臓部へ向けた侵攻を開始しようとしていた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。