リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 箱庭の解析
離宮陣営の首脳会議が解散した後。
隠れ家の執務室には、リュート、ライオネル、アイリスの三人が残り、テーブルの上に広げられた分厚い冊子を見下ろしていた。
表紙には王家の紋章とともに、『王立学園・入学案内』と記されている。
「……表向きは『身分を問わず優秀な者に門戸を開く、王の恩恵と機会均等の象徴』。ですが、実態はよくできた思想統制の鎖ですわね」
アイリスが扇で冊子をトントンと叩きながら、冷ややかに評した。
リュートは手元の資料――内務省から密かに引き出した学園の裏データ――に目を落としながら頷く。
「ああ。真の目的は『物理と心理の二重支配』だ。体制に牙を剝きそうな優秀な平民や富裕層に議員などの恩恵をちらつかせて取り込み、同時に、四大公爵家をはじめとする有力貴族の次代を王都に縛り付ける。その上で、幼少期から王家の教えで染め上げ、心の中の反逆すら封殺する。……巨大な無力化装置だよ」
「学科は『政経科』『官僚科』『騎士科』からの選択制だが、絶対の必修科目が『君臣論』と『王国史』か」
ライオネルが案内書のページをめくり、鼻で笑った。
「『王は天に代わって民を治める存在であり、王への絶対忠誠こそが天地の理であり正義である』……なるほど。この思想を脳髄に叩き込み、成績と将来の地位に直結させるわけだ。逆らえば未来はない。よくできてるぜ」
「特に平民にとっては、文字通りの生存競争になりますわ」
アイリスが、平民に関する項目の文字をなぞる。
「学園に入学した平民には『一代限りの家名』が与えられますが、卒業時に王家から追認されなければ、成人と同時に剝奪される。この恐怖と恩恵のシステムこそが、平民生徒を死に物狂いで王体制に服従させる究極のモチベーション。……殿下の手足となる特待生たちにとっても、これは強烈な鎖になりますわね」
「だからこそ、利用できる」
リュートは冷徹に言い切った。
「彼らが欲しているのは王家への忠誠ではなく、家名という『生存権』だ。私が学園内に『実力主義のルール』を敷き、それに従う方が生き残れると証明してやれば、彼らは最も忠実な手足となる。……そして、そのルールを敷くための隙(余白)は、この箱庭に十分すぎるほど用意されている」
リュートは案内書の『学園生活と自治』の項目を指差した。
学園は全寮制であり、寮は「男女別」「貴族・平民別」の四つに分かれている。しかし、問題は共有施設だ。
「明確な門限などの明文規則はなく、自治会という名の生徒たちのルールに委ねられている。食堂や図書室にはルールがなく、現在は上位貴族の『顔色(品位)』が空間を支配している状態だ」
「なるほど」と、ライオネルが獰猛な笑みを浮かべた。
「ルールがない無法地帯だからこそ、新しく『法』を作り出し、それに従わせる大義名分になるってわけか」
「その通りだ。グラクト兄上を神輿にして明文化された『学則』を叩きつけ、曖昧な品位による支配を駆逐する。これが我々の第一歩となる」
アイリスは目を細め、少しだけ懸念を示すように扇を傾けた。
「ですが殿下。学園の教師たちは、基本的に王妃マルガレーテ様への報告義務を負う『無自覚なスパイ』ですわ。私たちが裏で学園を法治化していけば、すぐに本宮に警戒されるのでは?」
「いや、王妃の目は欺ける」
リュートは内務省での経験から、王宮の官僚組織の硬直化を正確に見抜いていた。
「教師たちが王妃に上げるのは、『グラクト兄上が今日も立派に生徒を導いた』という、賛美の報告だけだ。王妃が求めているのは次期国王の完璧な権威付けであり、現場の泥臭い規則の変容など見向きもしない。我々がグラクト兄上を神輿にして規則を作れば、教師たちは『殿下の手柄』として上に報告する」
「……なるほど。光の神輿が眩しすぎるがゆえに、足元で進行する『改革』には誰も気づかないというわけですか」
アイリスが感嘆の吐息を漏らす。
リュートは案内書を閉じ、その表紙の王家紋章を静かに見つめた。
彼の脳裏に、極寒の北で泥に塗れて死んでいった兵士たちの顔と、北の将軍ベアトリスの言葉が蘇る。
『いつかお前が多数のために少数を切り捨てる決断を下す時。その切り捨てられる少数の顔を、今日泥に塗れて死んでいった彼らの顔を、どうか思い出してやってほしい』
「……学園に『法』という劇薬を投下すれば、特権を奪われる上位貴族たちは確実に反発する。摩擦が生じ、暴発する者も出るだろう。その波紋は王都全体に広がり、間違いなく新たな血が流れる」
リュートの声は、ひどく静かで、鉛のように重かった。
制度を変えるということは、古い制度に縋って生きる者たちの首を絞めることと同義だ。無傷で終わる革命など存在しない。
「だが、この狂った『血統と品位』のシステムを放置すれば、北の最前線のように、声なき民が理不尽に死に続けるだけだ。……流れる血の重さを直視し、犠牲の痛みを背負ってでも、私はこの手で国の根幹を解体する」
机上の空論で国が変えられると信じていた、かつての愚かで安全な自分は、もう北の雪原に置いてきた。
「……行くぞ。これより先、安全な教室などどこにもない」
犠牲を覚悟した若き為政者たちの眼差しは、冷徹な法と論理の刃を秘め、次なる戦場である王立学園へと向けられていた。