リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第1話『箱庭への出陣4』

4 光の裏側:完璧な令嬢の葛藤

 

 王宮の奥深く、重厚な調度品に囲まれた王妃の私室。

 息の詰まるような白檀の香りが漂う中、西の次期当主であるヴィオラは、一切の瑕疵がない完璧な淑女の微笑みを顔面に貼り付けていた。

 

「グラクトも十五歳。王立学園への入学を機に、第三側妃ソフィアには情交奉仕の任が終了します」

 向かいのソファに座る王妃マルガレーテが、氷のように冷ややかな美貌を僅かに綻ばせ、一冊の豪奢な装丁が施された名簿をテーブルに滑らせた。

 

「次代の王を支える正妃として、『管理』してもらいます。グラクトの心身を安定させ、学園という箱庭の中で野良猫に手を出させぬよう、適切な令嬢を選びなさい。……もちろん」

 王妃は、試すような、ひどく冷徹な眼差しでヴィオラを見据えた。

 

「正妃となる貴女自身が、今からグラクトの閨に侍り、自らの身をもって絆を深めたいというのであれば、私は止めませんよ。どうしますか、ヴィオラ」

 その甘く悍ましい提案に、ヴィオラの内心では前世の現代日本の倫理観が激しい吐き気を催していた。

 

『自分と同じ歳の少年と、愛もないのに寝室を共にしろというの……!』

 だが、その生理的嫌悪以上に、彼女の冷徹な理系頭脳が、絶対的な『拒絶』の警鐘を鳴らしていた。王家の血統を遺すための「道具」としての奉仕。そんなおぞましい特権意識に吞まれてグラクトと肉体関係を持てば、リュートと交わした『灰かぶり姫のスキーム』が完全に破綻する。

 

 グラクトが学園で「真実の愛」を見つけた際、無傷で婚約破棄をして身を引くためには、彼女は『純潔のまま捨てられた悲劇の聖女』でなければならないのだ。王家の都合で処女を散らされれば、それは西のクロムハルト公爵家全体への致命的な政治的瑕疵となり、円満な離脱など不可能になる。

 

 ヴィオラは震えそうになる指を必死に抑え込み、扇で口元を優雅に隠すと、この人治国家における最も正しく、最も冷酷な『貴族の論理』を紡いだ。

 

「勿体なきお言葉ですが、辞退させていただきますわ、王妃様。……私の胎は、正式な婚姻の儀を経て、王家の『正統な後継者』を成すためのみに存在しております。学園という不確定な箱庭で、万が一にも順序を違え、不用意な身籠り方をすれば、王家と西のクロムハルトの『品位』に致命的な傷がつきましょう」

 ヴィオラは王妃の冷たい瞳を真っ直ぐに見返し、言葉を続ける。

 

「それに、正妃たる者の最大の役割は『王の寵愛を独占すること』ではなく、後宮全体を俯瞰し『適切に管理・統制すること』であると、王妃様のお背中から学んでおります。私が自ら慰み者と同じ盤面に降りてしまえば、将来、下の者たちに示しがつかなくなりますわ」

 嫉妬や個人の感情ではなく、あくまで血統の純潔と、将来の支配構造を重んじた完璧な回答。

 

 王妃マルガレーテは、その冷徹なまでの自己管理と特権階級の傲慢さに満足し、深く頷いた。

 

「……ええ。見事な覚悟です。嫉妬に狂って自ら泥に降りるような愚かな娘なら、この場で婚約の見直しを口にせねばならないところでした。貴女なら、次代の後宮を完璧に統治できるでしょう」

 試練を乗り越え、王妃からの絶対的な信頼を勝ち取ったヴィオラは、優雅な所作で名簿を手に取った。

 

『他の少女を夫の性処理の道具として選び、ルナリア様を殺したこのシステムを、私自身の手で回せというのね……』

 名簿のページをめくると、没落寸前の男爵令嬢、借金を抱えた子爵令嬢など、家名を存続させるため、あるいは金のために売りに出された少女たちの名が並んでいる。

 ふと、ヴィオラの視線がある名前に止まった。

 

『レティシア・ラ・ハーテス』

 年齢は十四歳。グラクトやヴィオラたちの一つ下の世代にあたる子爵家の令嬢だ。

 

 王立学園は厳格な全寮制であるため、入学年齢に満たない十四歳の彼女を、今年からグラクトの側に置くことは物理的に不可能だ。おそらく、来年以降の「候補」として、親が先走って名簿に記載させたのだろう。

 

『レティシア・ラ・ハーテス……。覚えておこう。この狂ったリストに名を連ねる少女が、来年以降の盤面でどのような変数になるかは分からないわ』

 

 ヴィオラは冷徹な頭脳でその名を記憶の隅に留め、再び名簿に目を落とす。

 今すぐ、この名簿ごと暖炉の炎に投げ捨てたい衝動を嚙み殺し、彼女はリストの中から、王妃マルガレーテが最も推しているであろう、実質的に拒否権を持たない没落寸前の令嬢を指先で示した。

 

「……王妃様。グラクト殿下の学園での安らぎには、こちらの令嬢が最もふさわしいかと存じますわ」

 完璧な笑みを浮かべたまま名簿を返すヴィオラの瞳の奥底には、自分たちを部品としか見なさないこの悍ましい王家のシステムを、リュートと共に根底から物理的・社会的に解体し、跡形もなくぶち壊すという、絶対零度の怒りと決意が燃え盛っていた。

 

 

 

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