リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
2 転生者の失言と、見えない規則
退屈な起立と着席が繰り返される、ひどく形式的な式典の最中。
次期正妃として一切の隙を見せず、完璧な令嬢の仮面を被って隣に立っていたヴィオラが、ふと、誰にも聞こえないほどの小さなため息とともに、この世界の言語ではない言葉をこぼした。
『……入学式って、同じなのね』
それは、この王国の貴族社会には存在しない、極めて平坦で、どこか郷愁すら帯びた『現代日本語』そのもののイントネーションと概念だった。
リュートの耳が、その異質な響きを逃さず拾い上げる。
彼の深紅の瞳に、冷徹な光が宿った。
『魔導具の設計図を見た時点で確信はしていたが……これで完全に裏が取れたな』
異世界の魔法技術に、前世のITインフラの概念を強引に落とし込んだ異常な設計図。あれは極めて強力な状況証拠であったが、今の無意識の『日本語』の発話により、彼女が同郷の転生者であるという事実は、リュートの中で疑いようのない『確定』へと変わった。
だが、リュートは表情を一切変えず、ただ静かに前を見据え続けた。自分が同郷であるという最強の手札をいつ切るべきか、冷徹に計算を回しながら。
やがて式典が終了し、大講堂の重厚な扉が開かれる。
新入生と在校生たちが一斉に外へ溢れ出すと同時に、学園という箱庭の中で、早くも冷酷な『身分秩序』が物理的に稼働し始めた。
リュートは群衆の端を歩きながら、その光景を為政者の視線で観察していく。
幅の広い廊下の中央を上位貴族が歩き出すと、周囲の下位貴族や平民の特待生たちは、まるで目に見えない壁に弾かれたかのように自然と道を開け、壁際にへばりついて頭を下げる。誰も「道を譲れ」と命令したわけではない。恐怖と忖度が、彼らの身体を自動的に動かしているのだ。
少し離れた図書室の入り口に目を向ければ、まだ本格的な授業すら始まっていないにもかかわらず、伯爵家の紋章が刻まれた私物が無造作に積み上げられ、事実上の『空間の私物化(占有)』が行われていた。
さらに、通りがかった食堂の様子を窺えば、日当たりが良く最も快適なテーブル群だけが不自然に空けられている。そこには何の予約札もないが、下位の生徒は誰一人として近づこうとはしない。上位貴族の「いつもの席」という、言語化すらされていない暗黙の了解が、すでにその場を完全に支配しているのだ。
公共の教育施設が、血統と品位という暴力によって当然のように蹂躙されていく光景。
だが、廊下の端に立つ教師たちは、その理不尽な光景を見て見ぬふりをするどころか、むしろ「身分の秩序が正しく機能している」と満足げに頷いていた。
『……この学園の共有施設には、明文化された規則が存在しない。あるのは、上位者の顔色と特権意識のみ』
学園の教師たちは、王妃マルガレーテの忠実な目と耳だ。彼らにとって、この光景は「是」であり、王家が望む完璧な体制の縮図に他ならない。
だが、リュートにとっては、この『明文化されていない規則(無法地帯)』こそが、彼が持ち込む劇薬を最も効果的に炸裂させるための、最高の土壌であった。
曖昧な品位ではなく、文字として固定され、身分に関わらず事実のみを裁く『成文法』。
この人治の箱庭を根底から破壊し、再構築するための最初の標的が、リュートの眼前に明確な形を持って横たわっていた。