リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
5 東の覇者の甘い要求と、影の報告
特別サロンでの密会が終わり、日が暮れ始める学園の中庭。
茜色に染まる空を見上げながら、ライオネルが短く首を鳴らした。
「方針は了解した。俺は南の連中に挨拶してくるから、あとは若い二人で」
南の次期当主は野獣のような笑みを浮かべ、気を利かせるようにひらひらと手を振って足早に立ち去っていった。
残されたリュートとアイリス。周囲から人影が完全に消えたことを確認すると、アイリスは先ほどまでの冷徹な『経済の覇者』の顔から一転、リュートの隣に寄り添い、その腕に少しだけ自身の体重を預けた。
「……入学早々、盤面を動かすのに忙しいのはわかりますけれど。私への構い方が足りませんわよ?」
上目遣いでリュートを見つめる彼女の声には、確かな甘さが混じっていた。
それは、ただの駒としてではなく、一人の女性としてもっと自分を見てほしいという、彼女なりの遠回しで愛らしいアピールだった。
リュートは思わず苦笑を漏らす。常に他者の思考をハッキングし、血生臭い政治の波間を泳ぎ続ける彼にとって、己のすべてを理解し、対等な視座で隣に立ってくれる彼女の存在と温もりは、何者にも代えがたい確かな安らぎとなっていた。
「すまない。この箱庭に法を敷き終わったら、少し時間を取ろう」
「ええ。約束ですわよ」
アイリスは満足げに微笑み、リュートの腕にさらに身を寄せた。
二人は夕暮れに染まる学園の中庭を、ほんのひと時だけ、ただの少年と少女として静かに歩くのだった。
◇
その夜。
男子寮に与えられたリュートの自室に、音もなく一つの影が滑り込んできた。実働部隊のリーダー、テトラである。
彼の手から、特待生たちを束ねた独自の草の根情報網――通称『士爵ネット』から上がってきた、最初の調査報告書が提出された。
リュートはランプの灯りの下で、その内容に冷徹な目を通す。
・図書室における、上位貴族の私物化と下位者への暗黙の立ち入り制限。
・食堂における特等席の占拠と、空間の支配。
・それらの無法状態に対する、教師陣の完全な黙認。
そして、今日起きたばかりの『ある事件』の詳細が記されていた。
『平民の生徒が、空いている席に座っただけで、伯爵家の子息に激しく怒鳴りつけられた。理由はただ一つ――「身分を弁えろ」』
暴力すら伴わない、特権という名の理不尽な圧力。
だが、被害を受けた平民や下位貴族たちの間には、間違いなく確かな「不満」と「屈辱」が澱みのように蓄積し始めている。それこそが、ルナリアがかつて語った『声なき者たちの痛み』の可視化であった。
リュートはパタン、と報告書を閉じた。
「……十分だ。ご苦労だったな、テトラ」
リュートの深紅の瞳に、極めて冷たく、絶対的な支配者の笑みが浮かび上がる。
学園内にこれだけの明確な不満と無法状態が蔓延しているのであれば、それを是正するための『規則』を導入することは、もはや不当な弾圧ではなく「救済」となる。
完璧な大義名分が揃った。
「さあ、始めようか。」
静かな夜の自室で放たれたその言葉は、ローゼンタリア王国の数百年続く「血統と品位による支配」に引導を渡す、最初の楔となるのであった。