リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
1 知将への根回し
学園の夜。特権貴族の狂騒が静まり返った頃合いを見計らい、リュートは第一王子の知将エドワルド・シーン・カルネリアを自室のサロンへと極秘裏に招き入れた。
豪奢な円卓を挟んで対峙する二人。その間に横たわるのは、士爵ネットが収集した分厚い『学園の無秩序の現状報告書』であった。
「……なるほど。食堂における座席の不法占拠、図書室の私物化、そして下位者への理不尽な恫喝。学園の風紀が乱れていることは、私も憂慮しておりました」
報告書に素早く目を通したエドワルドが、氷青の瞳を細めてリュートを見据える。
「しかし、殿下。これが貴族社会の『在り様』です。上位の者が下位の者を力と品位で屈服させ、秩序を保つ。少々の摩擦はあれど、放置しておけば自然と身分の壁が固定化され、平穏は訪れます。……わざわざ事を荒立てる意図が読めませんな」
「事を荒立てる? 逆だよ、エドワルド殿」
リュートは深く長椅子に背を預け、冷徹な法曹の視線で敵の知将を射抜いた。
「このまま自然に固定化されるのを待てばどうなるか。……新入生総代であり、次期国王たるグラクト兄上の足元で、泥にまみれた小競り合いが日常的に繰り広げられることになる。それは『第一王子には、学園の秩序一つ維持する統治能力がない』という致命的な無能の証明になり、兄上の威光に回復不能な傷をつける」
その言葉に、エドワルドの眉がピクリと動く。
エドワルドが今最も恐れているのは、グラクトの「評価の失墜」である。リュートはその最大の急所を、正確に突いた。
「……殿下は、グラクト殿下の威信を守るために、この無秩序を是正すべきだと仰るのですか」
「その通りだ。兄上をトップとした『生徒会』を創設し、明文化された『学則』を導入すべきだ。誰の目にも明らかな基準を設けることで、不要な摩擦を根本から消し去る」
「お待ちください」
エドワルドは即座に反論の刃を突き返す。
「殿下の仰る『見えない品位』ではなく、明文化された『規則』で縛るという思想。……それは裏を返せば、下位貴族や平民にも『規則さえ守っていれば上位貴族と同等の権利を主張できる』という盾を与えることになりませんか? 身分の壁を溶かすような真似は、王宮の保守派が絶対に許しません」
貴族政治の根幹を揺るがす危険性を、エドワルドは正確に看破した。
だが、リュートの唇には、その反発すらも飲み込む悪魔のような冷笑が浮かんでいた。
「だからこそ、生徒会の役員に『四大公爵家の次代』をすべて取り込むのです」
「……何?」
「東のアイリス、南のライオネル、西のヴィオラ、そして北のベアトリス。彼らを生徒会の中枢に据え、兄上の麾下で強固な友誼を演出する。四方の頂点に立つ次期当主たちが、グラクト兄上の定めた『規則』に率先して頭を垂れる姿を全校生徒に見せつける。……そしてもう一つ、決定的な理由があります」
リュートは身を乗り出し、この国の最高規範である「品位」を逆手にとる、恐るべきハッキングの論理を展開した。
「この国の貴族は『規則』よりも己の『品位』や『特権』を重んじる。ならば、その『品位』そのものを武器にするのです。……エドワルド殿。もし、次期国王たる兄上が自ら『学則』を定め、四公爵家がそれを認可し遵守したとしましょう。その絶対的な状況下で、一部の上位貴族がこれまで通り己の身分を振りかざして規則を破れば……それは、一体誰の顔に泥を塗ることになりますか?」
その瞬間、エドワルドの息が止まった。
彼のような極めて優秀な実務家であれば、リュートの仕掛けた恐るべき論理の帰結に一瞬で気づく。
「……規則を破る行為そのものが、それを定めたグラクト殿下の『品位を貶める不敬』と同義になる……!」
「ご名答です」
リュートは満足げに、氷のように冷たく微笑んだ。
「特権を振りかざす者ほど、自らの行いが『王家への不敬』に直結するジレンマに陥る。私は下位の者に権利を与えるのではありません。上位の者たち自身の『品位』という概念を鎖に変換し、彼ら自身の手で己を縛らせるのです。これこそが、グラクト兄上の威光を絶対不可侵のものとする、最も強固な防波堤となる」
エドワルドは絶句した。
『……なんという怪物だ。この第二王子は、貴族が最も大切にする「品位」という概念すらもねじ曲げ、我々の首を縛るロープへと変換してみせたのだ』
だが、同時にエドワルドの脳内で、凄絶な損得勘定の演算が回る。
この『生徒会という権力機関と、四公爵家の平伏、そして不敬を盾にした絶対的な秩序』。毒があると分かっていても、現状のグラクトの窮状を打開するためには、この実績が喉から手が出るほど必要なのだ。
『……この提案、乗らざるを得ない。どんな猛毒が仕込まれていようと、私が実務の段階で解毒し、グラクト殿下に都合の良い機関へと作り変えてみせる』
有能な官僚としての傲慢さと、第一王子への絶対の忠誠心。その二つが完全に合致した瞬間、エドワルドは自らの意思で、リュートの差し出した毒杯を飲み干した。
「……殿下の深謀遠慮、恐れ入りました」
エドワルドは立ち上がり、極めて事務的に、しかし深い一礼を捧げた。
「四公爵家の協力と、殿下が提示された『品位の論理』があれば、これほどグラクト殿下の威光を高める策はありません。承知いたしました。グラクト殿下の御ため、私が全力で本宮への根回しを行いましょう」
「頼もしい限りだ、エドワルド殿。兄上のため、共に良き制度を作り上げよう」
リュートは完璧な『忠弟の微笑み』で頷き返した。
かくして、第一王子の首を絞めるためのロープ(成文法)の編み込み作業は、他でもない第一王子派の知将の承認によって、正式に開始されたのであった。