リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 神輿の矜持と、最強の箱庭内閣
数日後、学園の大講堂に、全校生徒が緊急の招集を受けた。
ざわめきが満ちる中、重厚な緞帳が上がり、壇上の光景が露わになった瞬間――講堂を揺るがすほどの熱狂的な歓声と、そして水を打ったような静寂が同時に巻き起こった。
中央に立つのは、新入生総代にして次期国王の第一王子グラクト。
その背後には、彼を補佐する副会長として、第二王子リュートが静かな笑みを湛えて控えている。
さらに彼らの両脇を固めるのは、西のヴィオラ、東のアイリス、南のライオネル、北のベアトリスという、王国四方の頂点に立つ四大公爵家の次期当主たち。そして、実務を統括する書記官として、第一王子派の知将エドワルドが隙のない立ち姿で控えていた。
王族と、四公爵家。
学園の歴史上類を見ない、極めて異常で、圧倒的な威光を放つ『最強の箱庭内閣』の誕生であった。
「静粛に」
グラクトのよく通る声が、講堂の熱狂を一瞬で鎮めた。
「本日この時より、学園の風紀を正し、皆が等しく切磋琢磨できる環境を築くため、私の名の下に『王立学園生徒会』を発足する。そして、我々の学園生活の絶対的な規範となる『学則』を……これより布告していく!」
グラクトの力強い宣言が、大講堂に響き渡る。
その言葉の裏で、これから膨大な法案を文字通り血を吐く思いで書き上げなければならないリュートとエドワルドの実務家二人は、表情を変えずに内心で静かにデスマーチの開始を覚悟していた。
「よく聞け、生徒諸君! これから随時布告されるすべての学則は、私と第二王子、そしてここに並ぶ四大公爵家の次期当主たちによる『満場一致』をもって可決されたものである! ゆえに、生徒諸君は布告される規則を常に正確に把握し、いかなる身分であろうとも例外なく遵守することを命ずる!」
王家と四公爵家の完全な一枚岩の意志。
その絶対的な権威と品位を前に、生徒たちは身分を問わず割れんばかりの熱狂的な喝采を浴びせた。第一王子派が喉から手が出るほど欲していた『光の象徴の威信回復』が、この瞬間、最高潮に達したのである。
だが、その熱狂の渦の中心で。
副会長の立ち位置から眼下の生徒たちを見下ろすリュートの深紅の瞳には、一切の熱も感動もなかった。
『……そうだ。熱狂し、喜べ、次世代の貴族たちよ。そして己の目で、これから始まる没落をよく見ておくことだ』
リュートは、狂喜する生徒たちを眺めながら、極めて冷酷に嗤った。
『君たちが何百年も頼りにしてきた「特権」という名の鎖は、今日、この瞬間から……僕たちがこれから一から書き上げる「法」にすり替わる』
光の神輿が放つ眩い威光の裏で、国家の根幹を解体するための法治の劇薬が、ついに学園という箱庭のど真ん中に投下されたのであった。
◇
大講堂での熱狂的な生徒会発足宣言から数時間後。
夜の闇に包まれた学園の生徒会室では、常軌を逸した光景が繰り広げられていた。
机上に山と積まれた真新しい羊皮紙と、底を突きかけるインク壺。
文字通り血を吐くようなデスマーチの中、第二王子リュートと第一王子側近のエドワルドは、全生徒の行動を縛る『学則』の作成に没頭していた。
「……リュート殿下。この第十二項、『食堂における身分に基づく占有の禁止』はやりすぎです。上位貴族たちの特権意識を真正面から否定すれば、猛反発を招き、不要な反感を第一王子陣営に向けさせることになります」
充血した目で条文を睨みつけ、エドワルドが羽ペンを止めて鋭く異議を唱える。
対するリュートは、前世の法曹としての思考エンジンを極限まで回転させ、冷徹な理知をもって即座に代案を提示した。
「ならば、表現を変えよう。原則を『先着順』と定めた上で、『学園の任務を帯びる者への優先枠』を設けるという妥協案でいかがか」
「……任務を帯びる者、ですか?」
「そうだ。平民の特待生たちは、図書室の管理や清掃、そしてこれから新設される風紀官などの『実務』を担っている。彼らの時間が削られれば、学園の機能が滞る。……『特待生を上位貴族と対等に扱う』のではなく、『学園の労働力に素早く食事を済ませるための合理的な措置』であると定義するのだ」
リュートは、法律の条文における「定義のすり替え」という法務の絶技を涼しい顔で披露した。
「これならば、上位貴族たちも『下賤な者たちに席を譲った』のではなく、『王家が管理する学園の運営に、寛大にも協力してやった』という建前を保つことができる。彼らの品位を傷つけることなく、空間の無秩序を解消できるはずだ」
「……なるほど。身分の平準化ではなく、あくまで運営上の機能的配慮という法解釈ですか。それならば、保守派の貴族たちも反発する大義名分を失う」
エドワルドは小さく唸り、即座にその条文の修正案を書き殴った。
思想は完全に正反対である。
エドワルドは「絶対的な身分の秩序」を守るために規則を編み、リュートは「身分に関わらず事実のみを裁く絶対の法」を定着させるために規則を編んでいる。
だが、互いに感情や精神論を排し、システムを構築する『合理主義の化け物』であるという点において、二人の相性は異常なまでに嚙み合っていた。
リュートが法の抜け穴を塞ぐための厳密な定義と罰則規定を提示し、エドワルドがそれを王国の貴族社会で反発を生まないような文言へと翻訳・調整していく。
二人の実務家は、一切の無駄口を叩くことなく、膨大な法案を恐ろしい速度で叩き合い、洗練させ、次々と『学則』として完成させていった。
やがて、東の空が白み始めた頃。
最後の条項に承認のサインを書き終えたエドワルドが、疲労の極致で羽ペンを机に置いた。深く息を吐き出した彼の顔には、疲弊とともに、目の前の十三歳の少年に対する底知れぬ戦慄が浮かんでいた。
「……殿下の法整備の才能は、恐ろしい」
エドワルドは、完成した美しくも残酷な学則の束を見つめ、皮肉めいた、しかし偽りのない称賛の言葉を送った。
「これほど緻密で、人間の行動の隙を逃さない論理構造をたった一夜で組み上げるとは。……もし貴方が、第一王子派の敵に回っていたらと考えると、背筋が凍りますよ」
王家の権威を守り抜くという大義名分のもと、エドワルド自身も持てるすべての知恵を絞り尽くした。だからこそ、この法体系がどれほど強固で、隙のない鎖であるかを誰よりも理解していた。
その言葉に対し、リュートは一切の疲労を感じさせない、完璧な『忠弟の微笑み』を浮かべてみせた。
「何を仰るのですか、エドワルド殿。次期国王たるグラクト兄上の威光を盤石にし、お支えすること。……それが、私の唯一の喜びですから」
涼やかな声でそう返しながら、リュートは深紅の瞳の奥で、極めて冷酷に嗤った。
『……そうだ。見事な実務能力だったよ、エドワルド。お前たちの首を絞めるロープの編み方を、他でもないお前自身が手伝って完成させたのだ』
彼らが徹夜で編み上げたこの「完璧な学則」こそが、特権を振りかざす貴族たちの足元に火をつけ、やがて学園を大混乱に陥れるための『絶対の基準』となる。
法の整備というリュートの真骨頂は、敵の知将の労力すらも巻き込みながら、極秘裏に、そして完璧に完了したのであった。