リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第6話『外側:法なき夜の死神1』

1 タガの外れた王都

 

 特権階級の子弟が集う王立学園という箱庭の中で、リュートたちが『学園裁判』という新たな秩序の刃を静かに研ぎ澄ませていたこの一年。

 外の世界――ローゼンタリア王都の裏側では、深刻な「権力の空白」による治安の悪化が、ひたひたと、しかし確実に進行していた。

 

 すべての発端は一年前。王宮警備と王都の治安維持を本務とする武門の筆頭、近衛騎士団長たるゼノビア侯爵家の失脚である。

 

 第一王子グラクトの狂信的な側近であった嫡男セオリスが、大罪を犯して処刑された。ゼノビア侯爵は王家への忠義を何よりも優先し、次代を担うはずの嫡男であっても情を挟むことなく切り捨てた。彼は自家の職務と王家への絶対的な忠誠に対し、どこまでも愚直であった。

 

 だが、その武門としての冷酷な筋を通したとしても、王家の品位を根底から揺るがした身内の暴走に対する監督責任は極めて重く、ゼノビア侯爵は家職停止および謹慎の身に置かれ続けている。

 

 王都の治安維持を担う「絶対的な武の象徴」が現場から消えた影響は、この一年という時間をかけて、じわじわと王都の構造を蝕んでいった。

 

 第一の要因は、実働部隊である近衛騎士団自体の機能不全(麻痺)である。

 愚直なまでに法と規律を重んじていた侯爵という強烈なトップを失ったことで、騎士団内部の指揮系統は混乱を極めていた。

 

さらに「侯爵の嫡男が大罪を犯して処刑された」という政治的余波に巻き込まれることを恐れた指揮官たちは、極端な責任逃れと事勿れ主義に陥った。結果として、明確な命令が下されないまま、末端の騎士たちは街の異常事態を見ても「動かない(動けない)」という最悪の麻痺状態に陥っていたのである。

 

 そして第二の要因が、騎士団の弱体化を嗅ぎ取った裏社会の暗躍であった。

 これまで王都の裏社会は、強権と武力を兼ね備えたゼノビア侯爵の睨みが利いていたため、一定の「越えてはならない一線」を守って息を潜めていた。

 

 しかし、騎士団が動かないことを知った彼らは、この一年で徐々にその境界線を踏み越え始めた。最初は小競り合い程度の抗争から始まり、騎士団が介入してこないことを確認すると、次第に非合法な賭場を開帳し、縄張りを拡大していった。

 

 絶対的な武力を持つ強者(ゼノビア侯爵)が暴力で押さえつける間だけ成立する「人治」は、その強者が不在となった瞬間、より凄惨な暴力の連鎖を生み出す。それが、属人的な統治システムの最大の欠陥であった。

 

 そして一年が経過した現在。

 かつて近衛の顔色を窺っていたマフィアの顔役や、彼らと裏で癒着して私腹を肥やす悪徳貴族たちは完全に図に乗り、最も極悪非道で、最も莫大な利益を生む利権――身寄りのない平民や孤児を狙った『人身売買』へと本格的に手を染め始めていた。

 

 光が届かず、騎士団の剣も届かなくなった泥の中で。

 王都は今、弱者を食い物にする無秩序な狩り場へと完全に堕ちようとしていたのである。

 

   ◇

 

 王都の裏通りにひっそりと、しかし清潔に保たれている中規模の孤児院。

 その通りを挟んだ向かいの路地に停められた黒塗りの馬車の中から、下位貴族であるバルガス男爵は、舌舐めずりをするように窓越しの獲物を値踏みしていた。

 

「……なるほど。お前が『極上の仕入れ場』と豪語するだけのことはある。その辺の泥水を啜っている薄汚い浮浪児とは、まるで毛並みが違うな」

「へへっ、お気に召しましたか、男爵閣下」

 馬車に同乗している裏社会の人買いブローカーが、卑屈な笑みを浮かべて揉み手をする。

 

「新興の『海運組合』とやらが資金を出している孤児院ですがね、ここのガキどもはただ飯を食わせてもらっているだけじゃありません。読み書きや計算の基礎から、礼儀作法まで叩き込まれている。文字の読める健康な娘となれば、裏のオークションや変態貴族(好事家)どもの間じゃあ、目の飛び出るような値がつきますぜ」

 バルガス男爵は、濁った瞳をギラつかせた。

 

 この孤児院が、第一王女リーゼロッテの資金によって運営されている「新国家のための特待生育成機関」であることなど、場末の悪徳貴族が知る由もない。彼らにとって、後ろ盾のない平民の子供など、ただの金に換わる『質の高い商品』でしかなかった。

「だが、警備の目はどうなっている? 海運組合とやらは、そこそこ腕の立つ傭兵を雇っていると聞くが」

 

「ご心配なく。組合の最大の武力であり、裏社会でも恐れられている警備統括のカイルという男は、今、王都を離れてはるか北の領地へ出向いております。……それに、ゼノビア侯爵が失脚して近衛騎士団が機能不全に陥っている今、多少強引に事を構えても、我々を取り締まる力も、この王都には存在しませんよ」

 

「違いない。組合の出資者である第一王女殿下も、学園内の公務で身動きが取れまい。……平民どもに、貴族の『特権』というものを教えてやろう」

 バルガス男爵は下劣な笑みを浮かべ、馬車を降りた。

 

 数人の屈強なゴロツキを護衛に従え、孤児院の門を乱暴に蹴り開ける。

 

「な、何事ですか!?」

 庭で子供たちの世話をしていた平民の院長が、血相を変えて飛び出してきた。

 男爵は懐から、偽造した借用書と、己の身分を示す貴族の紋章章を突きつける。

 

「控えろ、下賤な平民! 私はバルガス男爵である! この院で引き取っている七歳の少女、ニーナの両親は、生前我が領地において莫大な負債を抱えたまま夜逃げをした大罪人だ!」

 

「そ、そんな馬鹿な……! あの子の親は王都の流行り病で亡くなって……!」

「黙れ! 貴族である私の言葉を疑うというのか。これは不敬罪に当たるぞ!」

 男爵の一喝と、背後のゴロツキたちが剣の柄に手をかけたことで、院長や保母たちは恐怖に顔を青ざめさせ、その場に縫い留められた。

 

 騎士団という重しが消えたこの王都において、貴族の言葉は絶対である。「不敬」と言いがかりをつけられれば、その場で斬り殺されても文句は言えない。絶対的な身分制度という見えない鎖が、大人たちの抵抗の意志を完全に麻痺させていた。

 

「さあ、負債のカタとして、その娘は我が男爵家で引き取らせてもらう!」

 男爵の顎振りに従い、ゴロツキの一人が子供たちの群れに踏み込み、怯えて泣き叫ぶ少女の腕を強引に摑んで引きずり出した。

 

「いやぁっ! 院長せんせぇっ!」

「ニーナ! お待ちください、せめて海運組合の方に確認を……っ!」

「たかが平民の商人風情が、男爵たる私に意見するというのか? 身の程を知れ。負債が返せぬのなら、この娘には裏の娼館で死ぬまで働いて借金を返してもらうだけのことだ」

 

 すがりつこうとする院長をゴロツキが蹴り飛ばし、男爵は少女の首根っこを摑んで馬車へと放り込んだ。

 

 周囲の子供たちが泣き叫ぶ中、男爵は己の身分という暴力を最大限に利用し、カイル不在の隙を突いて何一つ反撃を受けることなく「極上の商品」の略奪を完了させた。

 

「はっはっは! たかが孤児一人、どこに売られようと誰も気に留めまい! 海運組合の商人どもが後で泣きついてきても、貴族である私に手を出せるはずがないからな!」

 バルガス男爵は、馬車の中で高笑いを響かせながら、夕闇の王都へと消えていった。

 

 己がどれほど致命的な逆鱗に触れたのか。

 この孤児院が単なる慈善事業ではなく、リュートとリーゼの創り上げた『家族の大切な場所』であり、強固な盾(カイル)が不在の今、彼らの代わりに王都の闇を統べる『冷酷なる最強の長女』が単独で控えているという、恐るべき地雷を踏み抜いたことに、三流の悪党は微塵も気づいていなかったのである。

 

 

 

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