リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『王家の歪4』

4 影の勲章(離宮への帰り道)

 

 王宮の回廊は、陽が傾き始めた頃の淡い橙色に染まっていた。石畳の足音が静かに響き、遠くで侍従たちの声が途切れ途切れに聞こえる。魔法修練場から離宮へ続く長い通路は、すでに人影がまばらになっていた。

 

 王宮の視線が届かなくなる境界線――そこを越えた瞬間、リュートは足を止めた。

 繋いだままのリーゼロッテの手を、そっと離さないまま、彼はゆっくりとしゃがみ込んだ。黒髪が額にかかり、赤い瞳が妹の姿をまっすぐに見つめる。

 

 リーゼロッテのスカート裾はまだ焦げた臭いを残し、転倒した膝には薄い擦り傷ができていた。血はにじんでいないが、赤く腫れ上がっている。リュートは無言で視線を落とし、傷を確かめた。

 

「……痛かっただろう。よく耐えたね、リーゼ」

 その一言が、まるで鍵のようにリーゼロッテの胸の扉を開いた。

 気丈に仮面を被り続けていた六歳の少女の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。張り詰めていた緊張の糸が切れ、彼女はただの幼い子供に戻った。肩が震え、唇がわなわなと動く。

 

「お、お兄様……!」

 リーゼロッテは勢いよくリュートに抱きついた。小さな体が兄の胸に埋まり、震える声で吐き出すように言葉をこぼした。

 

「怖かった……! 炎が飛んできて……熱くて……転んで……セオリス様に怒鳴られて……! 私、間違ったこと言おうとしちゃった……『私は悪くない』って、叫びそうになって……! でも、お兄様の顔が浮かんで……離宮で言われたこと、思い出して……!」

 涙がリュートの服を濡らす。彼女は必死に言葉を紡ぎながら、恐怖と理不尽さを吐き出そうとしていた。

 

 リュートは静かに妹の背中を抱き、優しく撫で続けた。声は穏やかで、しかし確かだった。

 

「うん。怖かったね。理不尽だったね」

 彼はリーゼロッテの頭をそっと自分の肩に寄せ、耳元で囁くように続けた。

 

「でも、君はやり遂げた。あの瞬間、君はグラクト兄様よりも、セオリスよりも、誰よりも『王族』として完璧だった」

 リーゼロッテの嗚咽が一瞬止まる。リュートは妹の顔を両手で包み、真っ直ぐに目を見て、真剣な声音で告げた。

 

「自分の感情を殺して、場を収めるための『正解』を選んだ。それは、大人の貴族だってなかなかできることじゃない。……君はすごいよ、リーゼ」

 彼はポケットから取り出したハンカチで、リーゼロッテの頰を優しく拭った。煤と涙が混じった跡を、丁寧に取り除いていく。

 

「君のその火傷と汚れは、恥ずかしいものじゃない。君が僕たちの居場所を守った、何よりの勲章だ」

 リーゼロッテは涙目で兄を見上げた。金色の瞳が揺れ、声はまだ震えていた。

 

「……私、守れた? お兄様とお母様のいる場所……守れた?」

 リュートは迷いなく、力強く頷いた。

 

「ああ、守れたよ。君のおかげだ」

 その言葉を聞いた瞬間、リーゼロッテの表情がぱっと変わった。涙で濡れた顔に、へにゃりと、幼いながらも本物の笑みが浮かぶ。

 

「……よかった。私、役に立てたのね」

 彼女は小さな手で涙を拭い、リュートの服の裾をぎゅっと握った。リュートは立ち上がり、再び妹の手を繋いだ。指を絡め、しっかりと。

 

 二人は言葉少なに歩き出す。回廊の先には離宮の庭園入り口が見え、柔らかな夕陽が木々の間から差し込んでいた。足音が重なり合うたび、二人の背中はただの兄妹ではなく、歪んだ王国を共に生き抜く「戦友」のそれになっていた。

 リーゼロッテは歩きながら、小さく呟いた。

 

「お兄様……また、守るね。私も」

 リュートは妹の頭を軽く撫で、静かに答えた。

 

「ああ。一緒に、守ろう」

 離宮の門が近づくにつれ、二人の影は夕陽に長く伸び、寄り添うように重なった。そこには、もう誰も踏み込めない、二人だけの絆が確かにあった。

 

 

 

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