リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『外側:白き軍服の誓い1』

1 名家の結託と、幼馴染のふたり

 

 ローゼンタリア王国の歴史において、かつて「地図を睨む王」と呼ばれた稀代の英主がいた。

 彼は貴族たちがバラバラに領地を支配する封建制度の限界を悟り、国家の権力を王家に一極集中させるという、前代未聞の「中央集権化(領地返上)」の断行に踏み切った王である。

 

 当然、代々の土地と特権を奪われる貴族たちの猛反発は凄まじく、国は内乱の一歩手前まで荒れた。

 だが、その混沌の時代において、国家の百年先を見据え、真っ先に広大な自領を王家に返上し、王権の絶対的な守護者として下った二つの名門があった。

 

 軍部を統括するアイゼンガルト侯爵家(元帥家)と、国政を担うヴァルメイユ侯爵家(宰相家)である。

 

 彼らは領地という「物理的な面」の支配を捨てる代わりに、軍と政という「国家の機能」そのものを司ることで、王国の屋台骨となった。王都の治安を担う近衛(ゼノビア侯爵家)が内向きの武力であるなら、アイゼンガルトは国境線を守護し外敵を睨む、純粋かつ王国最強の武門である。そしてヴァルメイユは、冷徹な計算で国の血流(経済と法)を循環させる最高の頭脳であった。

 

 「政」と「軍」。

 

 本来であれば、権力の暴走を防ぐために明確に分離されるべき両輪だが、建国の危機を共に乗り越えたこの二つの侯爵家の間には、制度や派閥を超えた、極めて強固な信頼関係が存在していた。

 

 公的な場では厳格な一線を引いているものの、私的な場における両家の交流は今も深く、当主同士が腹を割って酒を酌み交わすことも珍しくない。当然、その子供たちも、幼い頃から家族ぐるみの付き合いを重ねて育ってきた。

 

 アイゼンガルト侯爵家の嫡男、レオンハルト(十四歳)。第二王子リュートより一つ年下の彼は、将来王国軍を背負って立つ「次期元帥」として、幼少期から己を厳しく律する武の教育を受けていた。

 

 そして、ヴァルメイユ侯爵家の令嬢、セシリア(十二歳)。過労で倒れる寸前だったあの新宰相の愛娘であり、リュートより三つ年下の彼女もまた、この両家の強固な結びつきの中で、レオンハルトと兄妹のように共に時間を過ごしてきた一人である。

 

 王宮の権力闘争がドロドロとした愛憎と毒に塗れていく中、侯爵家の邸宅の美しい庭園では、大人たちの謀略とは無縁の、眩しいほどに純粋で穏やかな時間が流れていた。

 

 ◇

 

 王国最強の武門、アイゼンガルト侯爵家の嫡男。

 その肩書きがレオンハルトに要求するものは、決して生半可なものではなかった。次期元帥として、彼には幼少期から己の限界を叩き潰すような苛烈な剣術の鍛錬と、軍事戦略の座学が絶え間なく課せられていた。

 

 元来がヤンチャで活発な気質の彼にとって、息を抜く暇もなく「完璧な将器」たることを求められる日常は、時に窒息しそうになるほどの重圧であった。

 

 だが、そんな張り詰めた軍靴の響きに満ちた彼の日々の中で、唯一、心から鎧を脱ぎ捨てて呼吸ができる「癒し」の場所があった。

 それが、ヴァルメイユ侯爵邸の緑豊かな庭園である。

 

「――それでね、昨日の山岳演習では、馬から降りて崖を登らなければならなかったんだ。王都とは風の匂いも、土の冷たさも全く違って……見晴らしの良い頂上から見下ろす森は、まるで緑色の海みたいだったよ」

 木漏れ日の落ちる白いテーブル越し。

 

 少しだけ日焼けした顔に快活な笑みを浮かべ、身振り手振りを交えて外の世界の景色を語るレオンハルトの前で、セシリアは両手でティーカップを包み込むように持ちながら、キラキラと瞳を輝かせて聞き入っていた。

 

「まあ……。緑の、海。鳥たちはどんな声で鳴いていたの? 王都の庭園にくる子たちとは違うのかしら」

「ああ、全然違うよ! もっと高くて、空を切り裂くような声なんだ。今度、その鳥の羽根を見つけたら、君の栞にして贈るよ」

 

「ふふっ、約束ですよ、レオン様」

 セシリアは、花が綻ぶような、柔らかく愛らしい笑みをこぼした。

 

 彼女は、次期宰相の家系という重責を担う名門の令嬢であり、生来の物静かで控えめな気質も相まって、屋敷の敷地からほとんど出ることなく育てられた「深窓の令嬢」であった。彼女の知る世界は、書庫の分厚い本の中と、美しく刈り込まれたこの箱庭だけである。

 

 だからこそ、厳しい軍の訓練の合間を縫って邸を訪れ、土の匂いと共に「広くて果てしない外の世界の冒険譚」を運んできてくれるこの少年は、セシリアにとって眩しい太陽そのものであった。

 

 レオンハルトは、武門の生まれらしく快活でありながら、セシリアの前では決して粗野な振る舞いをしない。彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩き、段差があればごく自然に手を差し伸べる。壊れやすい硝子細工を扱うような、生真面目で不器用なほどに優しいエスコート。

 

『レオン様は、いつも私を広い世界へ連れ出してくれる……』

 本の中でしか知らなかった荒野の風を、彼がその言葉と温かい手で教えてくれる。

 

 セシリアの胸の奥には、幼い頃から少しずつ積み重なってきた、砂糖菓子のように甘く、決して誰にも言えない淡い恋心が、静かに、しかし確かな熱を持って息づいていた。

 

 そしてそれは、レオンハルトも同じであった。

 どれほど泥にまみれ、厳しい父の叱責に唇を嚙み締めた日であっても。ここに来て、セシリアの澄んだ瞳と穏やかな微笑みに触れるだけで、胸の奥のささくれ立った感情がすべて浄化されていくのを感じるのだ。

 

「セシリアの淹れてくれるこの紅茶を飲むと、本当に、生き返る心地がするよ」

「大袈裟ですわ。……でも、レオン様の疲れが少しでも取れるなら、私はいつだって、ここで紅茶を淹れてお待ちしています」

 春の陽だまりの中、二人は照れ隠しのように視線を交わし、ふわりと微笑み合った。

 

 大人たちが権力と欲望にまみれた王宮の暗闇で致命的な罠を張り巡らせていることなど、このうら若き少年少女は知る由もない。

 ただ互いを想い、互いの存在を心の拠り所とする、痛いほどに純粋で美しい恋の蕾が、そこには確かに芽吹いていたのである。

 

 

 

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