リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第8話『外側:白き軍服の誓い2』

2 父からの打診

 

 その数日後。

 アイゼンガルト侯爵邸にある、無骨な剣や武具が飾られた厳格な書斎。

 屈強な体軀を持つ現アイゼンガルト侯爵(王国軍元帥)の前に呼び出されたレオンハルトは、背筋を真っ直ぐに伸ばし、緊張の面持ちで直立不動の姿勢をとっていた。

 

 訓練の成果に対する厳しい叱責か、あるいはさらに過酷な演習地への派遣か。軍のトップである父にこの書斎へ呼ばれる時は、いつだって武門の跡取りとしての覚悟を問われる場であったからだ。

 

 だが、分厚い書類から顔を上げた父の口から紡がれたのは、全く予想だにしない問いであった。

 

「レオンハルト。お前も来年は王立学園への入学を控えている。そろそろ、将来身を固める伴侶について考える時期だ」

「……はい、父上」

 不意打ちに少しだけ目を瞬かせたレオンハルトに対し、父は鋭い鷹のような目で息子を真っ直ぐに見据えた。

 

「単刀直入に聞く。ヴァルメイユ侯爵家の令嬢……セシリア嬢との婚約について、お前はどう考えている?」

 

 ドクン、と。

 レオンハルトの心臓が、訓練の時よりも遥かに大きく、激しく跳ねた。

 

 幼い頃から当たり前のように隣にいて、誰よりも自分に安らぎを与えてくれる大切な少女。彼女への淡くも確かな恋心は、武に生きる己の胸の奥底にずっと大事に隠してきたつもりだった。

 

 だが、それが「婚約」という明確な言葉となって提示された瞬間、彼の顔つきから少年のあどけなさが消え、一人の男としての真剣な色へと変わる。

 

「……父上。それは」

 レオンハルトは、無意識に強く拳を握り込んでいた。

 

「あちらの……ヴァルメイユ侯爵閣下の許可は、すでに取れているお話なのですか?」

 軍と政のトップ同士の結びつき。それが単なる大人の勝手な政略の道具として彼女を縛るものであれば、レオンハルトは素直に喜ぶことはできなかった。彼女のあの穏やかな微笑みを、政治の鎖で曇らせたくはなかったのだ。

 

 息子の真剣な眼差しを受け止めた父は、厳格な顔の相好をほんのわずかに崩し、静かに頷いた。

 

「親同士の合意はすでに済んでいる。長年国を支え合ってきた両家の結びつきを、次代へ繫ぐための誇り高き話だ。……だが」

 父は言葉を区切り、軍の司令官としてではなく、一人の父親としての温かな視線を向けた。

 

「セシリア嬢本人は、まだこの話を知らない。我々は、家同士の都合だけでお前たちの未来を縛りつけるつもりはない。……あとは、当人同士の想いと相性次第だ。お前が望まぬというのなら、この話は白紙に戻す」

 その言葉を聞いた瞬間、レオンハルトの胸の中に、堰を切ったように熱い感情が溢れ出した。

 

 白紙になど、絶対にさせるものか。

 庭園で自分を見つめてくれる、あの花が綻ぶような笑顔。自分の不器用な土産話を、誰よりも嬉しそうに聞いてくれる澄んだ瞳。彼女の隣に立つ男は、他の誰でもない、自分でありたい。自分でなければならない。

 

「……白紙になど、させません」

 レオンハルトは一歩前に踏み出し、父に向かって深々と、これ以上ないほど力強く頭を下げた。

 

「私は、セシリアを妻に迎えたい。ただの幼馴染としてではなく、彼女を一生涯、この手で守り抜きたいと……ずっと、そう思っておりました」

 

「……そうか」

 迷いのない息子の宣言に、父は満足げに目を細めた。

 

「ならば、自らの言葉で、彼女の心に直接問いかけてこい。お前の長年の想いを伝える時だ。……アイゼンガルトの男として、一世一代の誠意を尽くしてな」

「はいッ!!」

 弾かれたように書斎を後にするレオンハルトの足取りに、もはや迷いは微塵もなかった。

 

 ただの「冒険を語る少年」という安全な距離感は、今日で終わる。愛する少女の隣に生涯立ち続けるただ一人の男となるために、彼は己の持てるすべての誠意を形にすることを決意したのである。

 

 ◇

 

 のちにこの時代の宮廷劇が舞台化された際、観客の涙を最も誘う「美しき名シーン」として語り継がれることになる瞬間が、いま、ヴァルメイユ侯爵邸の庭園で幕を開けようとしていた。

 

 春の柔らかな日差しの中、セシリアはいつものように木陰のベンチで、膝の上に広げた分厚い詩集に目を落としていた。

 風がページを揺らし、小鳥がさえずる静謐な時間。

 そこに、いつもとは違う足音が響いた。軽やかな少年の駆け足ではなく、大地を踏みしめるような、軍靴の重く、そして極めて真っ直ぐな足音。

 

 セシリアが不思議に思って顔を上げた瞬間、彼女の藤色の瞳が大きく見開かれた。

 緑の木漏れ日を背にして立っていたのは、いつもの身軽な平服姿の幼馴染ではない。

 

「……レオン、様?」

 アイゼンガルト侯爵家が代々受け継ぐ、国家への絶対の忠誠と神聖な誓いの場でのみ纏うことを許された『白亜の正装軍服』。

 太陽の光を弾くほどに眩しい白銀の装飾に身を包んだレオンハルトが、両腕に抱えきれないほどの深紅の薔薇の花束を持って、そこに立っていた。

 

 その神々しいまでの美しさと、彼の顔に浮かぶ見たことのない真剣な熱に当てられ、セシリアは手からふさりと詩集を取り落とし、ふらふらと立ち上がった。

 レオンハルトは、彼女の目の前まで歩み寄ると、一切の迷いなく、その場に片膝をついた。

 まるで、女神に己の生涯の忠誠を誓う、物語の中の騎士のように。

 

「セシリア。……突然、こんな格好で押しかけてすまない。だが、どうしても今日、私の口から君に伝えなければならない言葉があったんだ」

 深紅の薔薇の花束を彼女へ真っ直ぐに掲げ、レオンハルトは黒曜の瞳で、セシリアの潤んだ瞳を真っ直ぐに射抜いた。

 その声は、まだ少年の面影を残しながらも、一人の男としての、決して揺らがぬ覚悟に満ちていた。

 

「私は将来、父のように軍を率いて、この国の果てから果てまで各地を飛び回ることになる。常に死と隣り合わせの任務に就き、君に寂しい思いや、不安な夜を過ごさせるかもしれない。……それでも」

 彼は言葉を紡ぐ。飾られた美辞麗句などではない、彼自身の魂から絞り出された、不器用で誠実すぎるプロポーズ。

 

「過酷な戦場から私が帰り着いた時、一番に待っていてくれるのは、君であってほしい。君の淹れてくれる紅茶と、その笑顔だけが、私の心を繫ぎ止める唯一の光なんだ。……私と共に、この国に尽くす道を歩いてくれないか。私には、君が必要なんだ」

 風が吹き抜け、真紅の薔薇の甘い香りが二人を包み込んだ。

 

 突然の、しかしあまりにも真っ直ぐな求婚。

 セシリアの目から、ポロポロと、真珠のような大粒の涙が溢れ出した。深窓の令嬢として、ただ待つことしかできなかった自分の人生に、彼が自ら「君が必要だ」と手を差し伸べてくれたのだ。これ以上の幸福が、この世界のどこにあるというのか。

 

「私……っ」

 セシリアは両手で顔を覆い、しゃくり上げながらも、必死に言葉を絞り出した。

 

「私、軍部の妻として、至らないところばかりだと思います……剣も振れませんし、お転婆なこともできません……っ」

「そんなことは望んでいない。君は、君のままでいいんだ。君の隣に立つために、私は誰より強くなる」

 その力強い断言に、セシリアは涙で濡れた顔を上げ、花が綻ぶような、この世で最も美しい微笑みを浮かべた。

 

「……はい。私でよろしければ。……レオン様と一歩一歩、共に歩んでいきたいと思います。ずっと、ずっと、お慕いしておりました」

 セシリアは震える両手で、彼から深紅の花束を受け取った。

 

 重なり合う手と手。白き軍服の少年と、深窓の少女。緑の庭園の中で、絵画のように美しい二人の純愛が、正式な『婚約』として結実した瞬間であった。

 

 

 

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