リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第9話『外側:白金の防衛戦1』

1 毒蜘蛛の両面待ち、知性の証明

 

 リュートたちが王立学園という箱庭で静かなる「法治の実験」を進めていた頃。

 王都の本宮では、隣国である強大な『ファブリス帝国』から使節団を招いた、極めて重要な外交の場が設けられていた。

 

 名目は、ローゼンタリア王家の第一王女リーゼロッテ(十三歳)に対する、帝国皇族からの『婚約の打診』である。

 

 シャンデリアが眩く輝く、王宮の豪奢な大応接室。第一側妃ヒルデガードは、この高度な政治的駆け引きが要求される場において、あろうことか交渉の当事者であるリーゼロッテ本人を接待のメイン役に据えるという異例の采配を下していた。

 

『……さあ、見せてごらんなさいな。貴女の真の価値を』

 特等席に座るヒルデガードは、扇の陰で極めて冷徹な、為政者としての笑みを深めていた。

 

 これは、リーゼロッテに対する最終的な『値踏み』である。

 

 百戦錬磨の帝国の外交官たちを前に、当事者である十四歳の小娘を矢面に立たせる。もし彼女が重圧に耐えかねて無知と無作法を晒せば、帝国は「ルナリアの後継者などと持て囃されているが、所詮はプラチナブロンドの出来損ない」と失望し、婚約の話ごと白紙にするだろう。

 

 だが、ヒルデガードにとってそれは「失敗」ではない。

 帝国の関心(後ろ盾)が消滅すれば、リーゼロッテは完全に自分の意のままになる『安価な手駒』となる。

 

 来春、アイゼンガルト家(軍部)の嫡男・レオンハルトが学園へ入学するのと同時に、宰相の愛娘セシリアが『行儀見習い』として自らの手元へ送られてくる約束はすでに取り付けている。

 

 もし今後、手元に置いたセシリアをグラクトの側室として取り込み、軍部との婚約を完全に破棄させる事態になれば、軍部は激怒するだろう。その際、空いた次期元帥の隣に、帝国から見限られたこのリーゼロッテを『王女の下賜』という名目であてがってやれば、不満を宥めるための都合の良い慰謝料として消費できる。

 

 逆に、もしこの小娘が帝国を魅了するほどの才覚を見せたなら。それはそれで、帝国との間に強力な『極上の外交兵器』を保持し続けることができる。

 

 どちらに転んでも、ヒルデガードの利益にしかならない完璧な「両面待ちの罠」であった。

 やがて応接室の重厚な扉が開き、リーゼロッテが足を踏み入れた。

 

 プラチナブロンドの髪を美しく結い上げ、王女の正装に身を包んだ彼女は、居並ぶ帝国の高官たちを前にしても臆する気配を微塵も見せない。それどころか、ローゼンタリアの仰々しい礼法ではなく、彼ら帝国の最上級の作法(カーテシー)をもって、流れるように優雅な一礼を見せた。

 

「帝国の皆様。本日は長旅の疲れも癒えぬ中、ローゼンタリア王宮へようこそお越しくださいました。父たる国王陛下に代わり、心よりの歓迎を申し上げますわ」

 凛と響き渡る、鈴を転がすような美しい声。

 

 帝国使節団の代表を務める初老の高官は、二年前のルナリアの葬儀で見せたあの「恐ろしくも美しい少女」が、十三歳となって完璧な礼儀と威厳を纏い、自ら盤面に立っている事実に、獰猛な興味の目を向けた。

 

「おお……リーゼロッテ殿下。二年前の悲しみの席から、さらに美しく、ご立派に成長なされたお姿を拝見でき、我ら帝国は心より嬉しく思います。帝国は常に、貴女を歓迎いたしますぞ」

 

 代表の男は、恭しく胸に手を当てて深く一礼を返す。礼儀には最高の礼儀をもって応える。それが実力と知性を尊ぶ帝国の流儀であった。

 

 そして顔を上げると、ふと声のトーンを一つ落とし、極めて穏やかな、だが有無を言わせぬ強引さを孕んだ眼差しでリーゼロッテを見つめた。

 

「……本題の婚約につきまして、正式な回答は後日であっても構いません。よろしければ、まずは一度『観光』として、帝国の地を訪れてみてはいかがでしょうか? 亡きルナリア様が愛した我が国の風土は、きっと殿下のお心にも馴染むことでしょう」

 

 代表の男の口から出たのは、高度な挨拶の応酬から息をつかせぬ間に切り込まれた罠。一度帝国へ足を踏み入れさせ、そのまま「精神的な母の祖国」という安全を盾にして、この優秀な王女をさっさと自国へ囲い込んでしまおうという、強国ならではの強烈な『誘拐(引き抜き)の誘い』であった。

 

 ◇

 

 ピリッと張り詰めた応接室の空気の中で、特等席のヒルデガードは扇の陰で静かに目を細めた。

 

『さあ、どうするのかしら? この誘いに乗ってノコノコと帝国へついて行けば、国を売った軽薄な王女として国内での立場を完全に失い、私の手駒としての価値も下がるわよ?』

 

 ヒルデガードが冷ややかに見極める中、リーゼロッテは瞬き一つせず、慈愛に満ちた完璧な微笑みを返した。

 

「勿体なきお言葉ですわ。……ですが、そのありがたいご提案は、どうか今しばらくお待ちいただけないでしょうか」

 

 それは、怯えからくる拒絶でも、感情的な反発でもない。極めて穏やかで、しかし断固とした外交辞令であった。

 

「母・ルナリアからは、生前よく帝国の誇り高さについて聞いておりました。血統ではなく、純粋な才覚と実力のみが評価される峻烈な世界であると。……それに比べ、今の私はまだ十四歳。学問の入り口に立ったばかりの、あまりに未熟な身です」

 

 リーゼロッテは、あえて「ルナリア」という名と「母」という言葉を極めて自然に結びつけて語った。

 

 二年前の葬儀では、涙を堪えて母への愛を訴えることで帝国の心を動かした彼女だが、今は違う。彼女は自らの若さを理由としつつ、同時に『帝国の実力主義』という相手の根幹たる価値観を完璧に理解し、それに対する最大限の敬意へと変換してみせたのである。

 

「そのような半端な状態で帝国の地を踏めば、才覚を尊ぶ帝国の方々に対してかえって無礼となりましょう。……今はまだこのローゼンタリアの地で研鑽を積み、いずれ、母が愛した帝国の誇り高き方々と対等に言葉を交わせるだけの実力を身につけることこそが、ルナリアの娘としての私の責任だと考えております」

 

 流れるような美しい発声と、一点の隙もない論理。

 

 血縁を持たぬ「母」への純粋な敬愛を示しながら、「今はまだ時期尚早」と謙虚に退く。この見事な切り返しにより、使節団の代表は、誘いを断られた不快感よりも、彼女の『研鑽』の底を見たという強い好奇心に駆られた。

 

「殿下は『研鑽』と仰られた。なれば、不躾ながら一つ問わせていただきましょう。我ら帝国は、富とは強大な武力によって守られ、国庫に蓄えられるものと考えております。……殿下は、これからの国家において『真の富と防衛』とは何であるとお考えか?」

 

 使節団からの、国家運営の根幹たるマクロ経済と国防の概念を問う容赦のない刃。ここで無知を晒せば、帝国の関心は完全に消滅する。

 

『そうなれば、私は第一側妃様(このおんな)の都合の良い手駒として、国内のどこかの貴族へ恩売りの道具として適当に嫁がされることになるだろう』

 

 リーゼロッテは内心で冷たく状況を俯瞰していた。

 敬愛する兄、リュートならば裏で手を回して救ってくれるかもしれない。だが、彼が血反吐を吐く思いで進めている法治の盤面に、これ以上無駄な負担をかけるわけにはいかない。

 

 これは、誰かに守られるための戦いではない。自らの自由と価値を証明し、強国という『絶対の盾』を維持し続けるための、たった一人での生存競争なのだ。

 

「……富を、国庫に蓄え死蔵させる。それは、もはや時代遅れの幻想ですわ」

 リーゼロッテの金色の瞳に、リュートとアイリスから吸収した、極めて冷徹な実体経済の知性が宿る。

 

「富は市場という血管に乗せて循環させることでこそ、初めてその真価を発揮し、国家を真に豊かにします。需要と供給という見えざる波を止めず、流動性を極限まで高めること。他国と密接な経済網を築き上げれば、武力で攻め滅ぼすこと自体が自国の経済的損失に直結する。……すなわち、資本の流動性と経済的な相互依存こそが、これからの国家における最大の『防壁』となるのですわ」

 

 しんと。応接室が、水を打ったような静寂に包まれた。

 領土の広さや血統ばかりに縋るローゼンタリアの旧態依然とした貴族たちとは、完全に対極にある視点。

 

 実力主義と合理主義を重んじる帝国でさえ、一部の最優秀な官僚や大商人しかたどり着いていない「資本主義経済による国防」の真髄を、目の前の十三歳の王女は、完全に自らの血肉として語り尽くしたのだ。

 

「――――素晴らしい」

 代表の初老の男の顔から、外交官としての計算高い仮面が剝がれ落ち、純粋な知への感嘆と歓喜が溢れ出した。

 

「まさか、これほど有意義な対話ができるとは……! ええ、殿下の仰る通りです。血を止めれば体は死ぬ。いやはや、我ら帝国の高官でさえ、その域の視座を持つ者は数えるほどしかおりませぬぞ」

 

「過分なお褒めの言葉、恐縮ですわ」

「……殿下。貴女のその『研鑽』の底知れなさ、確かに見せていただきました」

 代表の男は、恭しく、先ほどよりも遥かに深い敬意を込めて頭を下げた。

 

「本日のところは、これにて身を引かせていただきましょう。……ですが殿下、貴女がさらなる研鑽を積まれた暁には、必ずや次回、帝国の本国にて、より深く有意義な対話をさせていただけることを、我ら一同、心より楽しみにしております」

 

 それは、事実上の「婚約交渉の無期限延長(引き延ばし)」の確約であった。

 帝国は彼女の才覚に心底惚れ込んだ。だからこそ、無理に急かして価値を損なうのではなく、彼女が自ら「時期が来た」と頷くまで、いくらでも待つ価値があると判断したのだ。

 

 見事だった。

 たった一人で矢面に立たされた美しき白金の王女は、己の知性という最強の武器のみで帝国使節団を完璧に魅了し、自らの「自由」と「盾」を確固たるものとして守り抜いたのである。

 

 

 

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