リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第10話『外側:法理の文通1』

1 検閲された挑戦状

 

 春。王宮を包む柔らかな陽光とは裏腹に、ローゼンタリア王室に届けられた一通の親書は、極めて重い政治的意味を持っていた。

 

 宛先は第一王女リーゼロッテ。差出人は、強大なファブリス帝国の第二皇子、アレクシス・グラム・ファブリス。

 

 他国の皇族からの手紙である以上、親書はまず王宮の検閲官の手を経て、国王ゼノンと王妃マルガレーテの目前へと運ばれた。

 

「帝国の第二皇子から、直筆の手紙か」

 ゼノンは、重厚な封蠟を見つめながら低く唸った。隣に立つマルガレーテの目にも、冷徹な為政者としての光が宿る。

 

「……使節団の報告だけにとどまらず、皇子自らが直接コンタクトを取ってきた。これは、帝国がリーゼロッテの価値を高く評価し、婚約交渉が極めて優位な段階に入ったという明確な意思表示ですわね」

 

「ああ。帝国の後ろ盾が盤石になれば、我が王家の権威もさらに揺るぎないものとなる。見事な外交成果だ」

 

 まずは一国の統治者として、この手紙がもたらす「外交的勝利」を冷徹に確認し合う二人。だが、検閲のために羊皮紙の封を切った彼らは、その内容に微かに眉をひそめることとなった。

 

『――実行犯の陰に指示者が別にいる場合、その指示者に実行犯より重い罰を科すことはできるか』

 

 そこに書かれていたのは、情熱的な愛の言葉でも、一般的なご機嫌伺いでもない。

 

 かつてルナリア殺害裁判において、見事な比較衡量を用いてセオリスを処断したゼノンは、すぐさまこの問いが『教唆(指示者)』と『正犯(実行犯)』の責任の所在を問う、学術的な法理の命題であると看破した。その上で、鼻で嗤う。

 

「……なるほど。帝国の実力主義教育というのも恐ろしいものだな。色恋の言葉一つなく、このような小難しい法理を突きつけて、婚約者候補の『知能』を測ろうというのだろう」

 

「背伸びをしたいお年頃なのでしょう。ですが、具体的な事案もなしに罪の重さを量ろうなどと……所詮は実務を知らぬ子供の、机上の空論ですわね」

 マルガレーテが冷ややかに嗤う。ゼノンもそれに同意した。

 

 彼にとって法とは、絶対的な権力を持つ己の意志そのものであり、事件ごとの状況や当事者の身分(品位)を比較衡量して下々を統治するための道具である。「具体的な前提条件」がすっぽり抜けた純粋な法理の問いなど、彼らからすれば実務的価値のない滑稽な学問遊びに過ぎなかった。

 

 ◇

 

 検閲を通過し、自室に届けられた手紙を受け取ったリーゼロッテは、白金の髪を揺らし、手元の封蠟をじっと見つめた。

 そこには、アレクシスからのこのような問いが記されていた。

 

『――実行犯の陰に指示者が別にいる場合、その指示者に実行犯より重い罰を科すことはできるか』

 

 リーゼロッテは、この手紙が届いたことによる『外交的勝利(盾の強化)』を確信した上で、アレクシスの意図を完璧に読み解いていた。

 

『……ご機嫌伺いや、甘い愛の言葉ではない。あえて難解な法学をテーマに選んだのね。国王陛下たちはこれを「具体的な事案を持たない子供の空論」と笑って通したでしょうけれど……貴方の真意は違う。帝国の皇子として、私が真に「対等な知性」を持つに足る存在か、妥協なくその底を試そうというのね。ええ、面白いわ、アレクシス殿下。貴方のその知恵比べ、受けて立ちましょう』

 

 リーゼロッテは、静かに羽ペンを執った。

 彼女の脳裏にあるのは、王宮書庫でリュートから学んだ、この世界の誰一人として提唱していない前世の近代法学の概念。

 

「……刑罰の必要性が社会秩序の維持にあるとすれば、真に罰せられるべきは秩序を根底から破壊する指示者。ですが、刑事法においてそれを処罰する理論的許容性は、指示者を『実質的な行為者』として同一視できるかにかかっている」

 

 指示者が存在する場合の責任の所在。彼女はその広い問いに対し、決して感情的な「べき論」に逃げることなく、極めて精緻な理論の刃を組み立てていく。

 

『もし指示者が、絶対的な権力や情報という優位性をもって実行犯を意思なき道具として意のままに操った場合。それは実質的に、指示者自身がナイフなどの道具を使って手を下したことと同義といえ、指示者を行為者と見なす法理が成立します。ゆえに、実行犯より重い正犯としての処罰が可能です。また、実行犯に己の意思があった(道具とは言えない)としても、指示者の提供した情報や影響力が犯罪の成立に不可欠な「重要部分」を構成していた場合。直接的な犯罪行為の一部を担っていなくとも、犯罪の実質的な構成要件を満たしたと同視し得ます。ゆえに、これもまた正犯として等しい刑責を問う理論が成立すると考えます』

 

 書き進めるうちに、リーゼロッテの金色の瞳に、極めて冷徹な理知の光が宿る。

 奇しくも、この「指示者と道具」という構図は、最愛の義母ルナリアを死に追いやった第一側妃ヒルデガードのやり口(常套手段)そのものであった。彼女は常に己の手を汚さず、後宮の絶対的な権力と情報操作を盾にして他人をすり潰す。

 

『法の不遡及の原則がある以上、過去の暗殺事件をこの法理で後から裁くことはできない。……けれど、あの女の「他者を都合の良い道具として使い捨てる」という本質は決して変わらない。今この王宮の裏側でも、必ず誰かを操り、罪を重ねているはず』

 

 この間接正犯や共謀共同正犯といった、実質的な行為性を問う法理を極限まで研ぎ澄ませておくこと。それこそが、いずれあの毒蜘蛛が再び誰かを操って盤面を動かそうとした時、決して言い逃れを許さず、その首を理論的に刎ねるための最強の刃となる。

 

 リーゼロッテは紙の上で思考を深く潜らせた。

 近代法学の概念を、十三歳の少女の言葉とは思えぬほどの厳密な理論と説得力で展開したその完璧な解答は、やがて帝国の若き獅子を驚愕させることとなる。

 

 ◇

 

 場面は再び、強大な軍事力と法治を誇る帝国の宮廷へと移る。

 

 第二皇子アレクシス・グラム・ファブリスの私室。彼は届けられたローゼンタリアからの返書を手にし、静かに封蠟を割った。

 

『さて。ローゼンタリアの法など、所詮は為政者が「品位」という曖昧な言葉で恣意的に振るう権力行使に過ぎない。その前時代的な泥濘の中で、彼女は私の問いにどう答えるか……』

 

 優秀な手駒としての期待と、同時に、彼女の限界を試すような冷徹な眼差し。

 しかし、文面に目を通した瞬間、アレクシスの端正な顔から一切の余裕が消え去り、その切れ長な瞳が限界まで見開かれた。

 

 そこには、彼が少しでも予想していた「悪いことをしたのだから重く罰するべきだ」というような幼稚な感情論や、単なる道徳的非難は一文字も書かれていなかった。

 

『――刑罰の必要性が社会秩序の維持にあるとすれば……処罰する理論的許容性は、指示者を実質的な行為者として同一視できるかにかかっている』

 

 そこから流れるように展開される、「意思なき道具の操作」と「犯罪成立の重要部分への関与」という、極めて精緻で論理的な『実質的行為性』の証明。

 

「……くっ、ふふっ、はははははっ!」

 静寂に包まれていた私室に、少年の腹の底からの歓喜の笑い声が響き渡った。

 

「見事だ……! ただ結論を急ぐのではなく、処罰の必要性と許容性を完全に切り離し、指示者を『実質的な行為者』と見なす理論を完璧に組み上げている。ローゼンタリアのような国にありながら、感情を排し、これほど純粋に法のシステムを解剖できるとは!」

 

 それは、厳格な法治主義を掲げるこの帝国においてさえ、一部の最高位の法学者しかたどり着いていない深淵の法理であった。

 

 それを、顔も知らぬ異国の同い年の少女が、いとも容易く、そして美しく解き明かしてみせたのだ。

 

『ああ、なんと恐ろしく、そして圧倒的な知性か』

 アレクシスの胸に、これまで感じたことのない激しい高揚感が渦巻いていた。

 

 権力や血統に守られただけの凡庸な姫ではない。他国の腐敗した盤面に一人立ちながら、その頭脳一つで自らと同等、いや、それ以上の高みから世界を俯瞰している『完全なる対等者』。

 

「……素晴らしい。これほど次の返事が待ち遠しい手紙は、私の短い生涯で初めてだ」

 アレクシスは熱を帯びた吐息を漏らしながら、すぐさま真新しい羊皮紙と羽ペンを引き寄せた。

 

 もはやこれは、一方的な知能のテストなどではない。互いの知性の底を覗き込み、魂の形を確かめ合う、最高難度の盤上遊戯。

 

 国境を越え、大人たちの「ただの子供の学問遊び」という愚かな慢心の目をすり抜けながら。

 孤独な天才皇子と白金の王女による『法理の文通』という名の、深く密やかな知の共鳴が、ここに幕を開けたのである。

 

 

 

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