リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
3 知将の絶対警戒と、致命的な勘違い
グラクトとの「再会イベント」を上々の手応えで終えたレティシアは、その日のうちに次の標的を定めていた。
第一王子ルートにおいて、絶対に外せない重要人物。主君の傍らで常に盤面を整え、攻略の難度を底上げしてくる氷の知将――エドワルドである。
『ここで側近ポジとも接点を作っておけば、ルート固定がぐっと安定するのよね。最初は塩対応でもいいの。むしろそれが定番なんだから』
そんな甘い確信を胸に、レティシアは数日のあいだ、さりげなく彼の動線を追い始めた。
とはいえ、エドワルドはグラクト以上に捕まえにくい。彼は王子のように目立たず、しかし常に主君の少し後ろ、あるいは少し先にいて、教師との連絡、生徒会の書類、各派閥の視線、そのすべてを静かに捌いている。
目立たぬくせに隙がない。
まるで、華やかな舞台の裏で糸を操る黒子そのものだった。
最初に声をかけたのは、図書室へ続く石廊下だった。
「エドワルド様、ですよね?」
手に資料束を抱えたまま歩いていた彼は、呼びかけに対して足を止めなかった。ただ一瞬だけ、氷青の瞳がこちらを流し見たきり、そのまま前を向く。
「……何か」
抑揚の薄い声。歓迎どころか、警戒を隠そうともしない声音だった。だがレティシアは怯まない。むしろ、その分かりやすい冷たさに内心で拳を握った。
『きた……! これこれ、この感じ!』
「わたくし、ハーテス子爵家のレティシアと申します。入学式の時から、ずっとご挨拶したかったんです。エドワルド様って、いつもグラクト殿下のすぐお傍にいらっしゃるでしょう? すごく頼りにされてるんだなって」
普通の令嬢であれば、ここで少しは遠慮する。相手の反応の薄さと空気の冷たさを読み取り、それ以上は踏み込まない。
だがレティシアにとってこの場は、現実の社交ではなく「好感度調整」のための場面でしかなかった。
エドワルドはようやく足を止めた。
ただし、それは会話に応じるためではない。目の前の令嬢を、危険物として正面から認識するためだった。
子爵家。しかも没落寸前と聞く家の娘。その令嬢が、入学早々、王子に接触し、その直後に今度は自分へと距離を詰めてきた。偶然で済ませられる頻度ではない。
「挨拶は受け取りました」
それだけ言って、彼は再び歩き出そうとする。しかしレティシアは、彼の半歩横へついてしまった。
「エドワルド様って、もしかしてすごくお忙しいですか? 生徒会のお仕事とか、殿下の補佐とか。あ、でも、そういうのちょっと分かります。表では見えないところで支える人って、大変ですよね」
その言葉に、エドワルドの目がほんのわずかに細くなった。
――危険だ。
彼女の発言は浅い。政治的に洗練されてもいない。だが、浅いからこそ逆に不気味だった。王宮と学園の構造を知らぬはずの中級貴族の娘が、なぜこんなにもためらいなく、第一王子の中枢へ触れようとするのか。
打算が見えない。恐怖も薄い。
だからこそ、読めない。
『本当に何も分かっていない愚者か。あるいは、その愚かさすら演技か』
もし後者なら、厄介極まりない。下手な牽制は、こちらが警戒している事実を相手に教えるだけだ。
エドワルドはそこでようやく足を止め、正面から冷たく言い切った。
「そのような軽々しい推測は控えられた方がよろしい。第一王子殿下の周辺は、あなた方が興味本位で近づいてよい場所ではありません。以後、殿下への不用意な接触も控えなさい。貴女の家格であれば、学園内における適切な距離感は、すでにご理解のはずです」
そこまで言われれば、普通の者は青ざめて身を引く。
だがレティシアの脳内では、まったく別の変換が起きていた。
『はいはい、分かります。表向きは突き放しつつ、実はちゃんと見てるやつでしょ? しかも「以後控えなさい」って、つまり私の行動を気にしてるってことじゃない!』
彼女にとってこの冷遇は、「攻略対象の周辺人物がヒロインを値踏みする初期反応」でしかない。むしろ無関心ではなく、明確に牽制してくる時点でイベントは成立しているのだ、と本気で思っていた。
「分かりました! でも、わたくし簡単には諦めませんから。だって、大事な人を支えてる方って、ちゃんと分かってもらわないと損ですもの。エドワルド様もきっと、見た目よりずっと優しい方なんですよね」
言い切って、レティシアはぺこりと頭を下げると、そのまま軽い足取りで去っていった。
あとに残されたのは、数秒分の沈黙だった。
エドワルドは無表情のまま立ち尽くし、やがて手元の資料束を持ち直す。その動作は平静だったが、胸中では完全に警報が鳴っていた。
『……会話が成立していない』
脅しにもならない。牽制にもならない。家格を踏まえた距離の提示すら、まともに恐れていない。彼女は自分の言葉の危うさを理解していないのか。それとも、理解した上で意図的に踏み越えているのか。
どちらにせよ厄介だった。しかも、厄介なのは彼女が賢いからではない。常識的な利害計算が通じない種類の異物である可能性が高いからだ。
エドワルドは回廊の先へ歩き出しながら、静かに思考を組み立てた。
公になっていないとはいえ、王位継承権が白紙となっている今、グラクトには一つの小さな綻びすら許されない。王子に近づく下位貴族。背景不明。政治性が薄すぎる。なのに、距離の詰め方だけが異様に速い。
『――調べる必要がある。感情ではなく、事実として』
家の財政、親族関係、最近の出入り、接触した相手。そして何より、彼女がどこまで意図的に動いているのかを。
一方その頃、当のレティシアは階段を下りながら、頰を上気させていた。
『エドワルド様ルート、ちゃんと生きてる……! 最初は警戒されるけど、あとで絶対「最初から気になっていた」とか言うタイプなのよね、こういう人』
冷遇されればされるほど、彼女の中では「好感度上昇フラグ」が積み上がっていく。拒絶は拒絶として処理されない。警戒は特別視へ、無視は照れ隠しへ、牽制は内心の動揺へと、都合よく変換されていく。
その致命的な勘違いが、生徒会役員たちにとっては不気味さをさらに増幅させていた。
氷の知将は、得体の知れぬ工作員として彼女を認識し。
当の少女は、堅物攻略の第一段階に入ったと確信している。
このどうしようもない認識の断絶こそが、やがて生徒会全体を巻き込む「読めない異物」として、静かに盤面を軋ませ始めるのだった。