リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第2話『非論理的変数4』

4 緊急会議と、読めない異物

 

 入学式からひと月あまり。新入生の喧騒がようやく学園の空気に馴染み始めた春の夕刻。

 

 王立学園の生徒会室には、異様なまでに張り詰めた空気が満ちていた。

 重厚な円卓を囲んでいるのは、第二王子リュート、書記官たるエドワルド、東のアイリス、西のヴィオラ、南のライオネル、北のベアトリス、そしてユスティナ――――ティナである。

 

 生徒会の定例会議ではない。グラクトへ上げる前に、学園内で発生した危険要素を実務側だけで切り分けるための、非公式の根回しだった。

 

 口火を切ったのはエドワルドだった。机上の羊皮紙を一瞥し、氷のような声で事実を積み上げていく。

 

「対象はハーテス子爵家令嬢、レティシア。王都に隣接する代官職の家ですが、昨年の食糧相場混乱の余波を強く受け、現在は実質的に破綻寸前です。帳簿上も、家格維持の体面費を除けば、立て直しの余地はほぼありません」

 ティナが静かに補足した。

 

「王都側の公的記録でも、債務の増加と納付遅延は確認できます。表沙汰にはなっておりませんが、極めて深刻な状態です」

 リュートは無言で頷いた。

 

 家が沈みかけている――――そこまでは予想の範囲内だ。問題は、その上でレティシアが見せている振る舞いの方だった。

 

 エドワルドは羊皮紙を伏せ、今度は感想ではなく明確な警戒として言葉を続ける。

 

「……にもかかわらず、当の令嬢本人は、まるで追い詰められている者の動きではない。王族への接近に際して最低限必要な慎重さも、後ろ盾を確認するだけの計算もない。あまりにも不用意で、無防備です。

普通、没落寸前の貴族であれば、まず最初に考えるのは延命策であって、王家中枢への直線的な接触ではない。

にもかかわらず、彼女はまるで失敗の代償そのものを認識していないように動いている。そこが不気味です」

 

 ライオネルが腕を組んだまま低く喉を鳴らした。

「考えなしの小娘にしか見えねえ。だが、考えなしで王族にあそこまで何度も突っ込めるのも、それはそれで気味が悪いな」

 

 アイリスが扇で口元を隠し、冷ややかに引き取る。

「損得で動く令嬢なら、もっと安全な道を選びますわ。誰かに取り入るにしても、侍女や下位貴族を経由して段階を踏むのが普通ですもの。最初からグラクト殿下やエドワルド様へあれほど露骨に接近するのは……打算としては下策にも程がありますわ」

 

「つまり、打算がないということ?」

 ヴィオラが淡々と確認した。

 

「少なくとも、貴族社会を理解した上での動きには見えません」

 エドワルドは即答した。

 

「だからこそ不気味なのです。破産寸前の子爵家令嬢が、何の備えもなく王家中枢へ接近する。成功率より、失敗した場合の損害の方がはるかに大きい。合理的な判断力を持つ者なら、まずやりません」

 この世界ではあり得ない。

 

 その一点が、かえって彼女の危険性を底知れぬものへ変えていた。

 

 乙女ゲームの恋愛劇ならば、身分差を越えた無垢な接近は「運命の始まり」として機能するのかもしれない。だがここは違う。王族に不用意に近づくことは、当人一人の破滅で済まない。王族の威光、周囲の派閥均衡、誰がその接触を許したか、どこから情報が漏れたか――――あらゆるものが一斉に問われる。つまり、軽率さそのものが政治的事件になるのだ。

 

 ベアトリスが、そこで静かに口を開いた。

「間者か、愚か者か。その切り分け自体は後でよい。問題は一つだ。あの令嬢がこのまま動けば、秩序を乱す火種になる。それだけは確定している」

 北の将軍らしい、容赦のない整理だった。

 

 動機ではなく結果。感情ではなく被害の予測。その一刀で、会議はようやく正体当ての迷路から引き戻される。

 リュートは指先で机を軽く叩き、全員を見渡した。

 

「同意する。今の段階で重要なのは、彼女の本質を見誤らないことだ。ここで兄上に上げれば、あの令嬢は正式に『盤面に乗った存在』になる。今はまだ、その価値を与えるべきではない。……まずは水面下で観察し、何を考え、何を欲し、どこまで危険なのかを見極める」

 

「では監視を」

 エドワルドが即座に言う。

 

「ああ。だが露骨なものは避ける。警戒されれば、逆に読めなくなる」

 そこでリュートの視線が、円卓の一角へ向いた。

 

 ティナは、静かな官僚の顔でその視線を受け止める。

「同年齢、同性、かつ家格も十分。……ユスティナ嬢。君に、彼女への接触を頼みたい」

 

 ティナは一瞬も動じなかった。ただ長い睫毛を伏せ、淡々と問い返す。

「接触の名目は?」

 

「友人候補。あるいは、貴族令嬢としての忠告役でもいい。自然な形で近づき、思考の癖と行動原理を見てほしい。怯えから動いているのか、誰かの指示なのか、それとも別種の異物なのか」

 

 ティナは短く黙考し、それから答えた。

「承知いたしました。表向きは、同年代の令嬢として様子を見ます。……ただし、過度な期待はなさらぬよう。非論理的な対象ほど、解剖と観察には時間を要します」

 

「それで構わない」

 話はそこで一応の着地を見た。

 レティシアは排除も保護もされず、まずは監視と分析の対象として棚上げされる。それは温情ではなく、最も危険の少ない保留というドライな判断だった。

 

 やがて会議は解散となり、エドワルド、ベアトリス、ライオネルらが順に退室していく。最後に残ったのは、リュートとティナ、そして扇を閉じたまま面白そうに眺めているアイリスだけだった。

 短い沈黙ののち、リュートが口を開く。

 

「……ユスティナ嬢。先ほどの件、筋を違えた。状況上、君に頼むのが最適だったのは事実だ。だが、本来なら先に了承を取るべきだった。あの場で当然のように役目を振ったことについては、謝罪する」

 真っ直ぐな謝罪だった。

 

 王族としてではなく、実務を預ける側の人間としての詫び。

 ティナはしばらく彼を見つめ、それから静かに息を吐いた。

 

「合理的判断であったことは認めます。……ですが、私の主はリーゼロッテ様です」

「分かっている」

 リュートは即座に頷いた。

 

「今夜のうちに、僕から正式にリーゼへ許可を取る。併せて、王都側の網でハーテス家の現状をより詳しく洗ってもらいたい。債務の実態、代官職の綻び、家の内部事情、そしてレティシア本人に対する家の扱いだ。学園の観察だけでは、どうしても見えない部分がある」

 その返答を聞いて、ティナの表情からわずかに硬さが抜けた。

 

「……承知しました。リーゼ様には、私からも状況を整理してお伝えします」

 そのやり取りを横で聞いていたアイリスが、ついに堪えきれなくなったように小さく笑った。

 

「まあ。ずいぶんと殊勝ですこと、殿下」

 リュートが眉をひそめる。

 

「何がだ」

「何が、ではありませんわ。以前の殿下でしたら、ここまで律儀に頭を下げる前に、まず『必要だから使う』で終わらせていたでしょうに」

 扇の向こうで、金色の瞳が愉快そうに細められる。

 

「それに……ようやくご理解なさいましたのね。ティナが誰のものか」

「アイリス様」

 ティナが低くたしなめる。

 

 だが、アイリスは楽しげな笑みを崩さなかった。

 

「だって事実でしょう? 殿下がぼんやりしている間に、こちらはちゃんと人を育てて、支えるべき相手を選ばせてきたのですもの。安堵くらいさせてくださいませ」

 その言葉に、リュートは一瞬だけ言葉を失い、それから小さく息を吐いた。

 

「……そうだな。僕が気づくのが遅かった」

「ええ。本当に遅いですわ」

 アイリスは容赦なく言い切ったが、その声音には棘だけではなく、どこか家族めいた温度も滲んでいた。

 

 ティナは二人のやり取りを見つめ、わずかに目を伏せる。

 この場には、ただの政略会議ではない、奇妙な温もりが確かにあった。冷徹な実務と、剝き出しの利害と、その底にある不器用な信頼。だからこそ、この陣営はただの派閥ではなく、王宮のどこにも存在しない異質な結びつきで成り立っているのだと、改めて理解させられる。

 リュートは最後に、机上の書類へと視線を落とした。

 

「……まずはリーゼの許可を取る。その上で、ハーテス家の実態を掘る。学園の中だけで見ていては、この異物の危険度は測れない」

 

「ええ。友人を装いながら、解剖してまいります」

 ティナの声は、恐ろしいほど静かだった。

 

 こうして、破産寸前の子爵家から現れた一人の少女は、誰にも理解されぬまま、学園の成文法と権威を揺らしかねない「読めない異物」として、静かに監視網の中へ取り込まれていく。

 そしてその裏では、王都に残る影の女王へ向けて、新たな問いが投げられようとしていた。

 

 

 

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