リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第4話『打算なき劇薬5』

5 知将への劇薬投与

 

 生徒会会議は、グラクト不在のまま開かれていた。

 裁判後の余波はまだ学園全体に色濃く残っており、表では風紀官の巡回強化、裏では上位貴族たちの不満の火消しに追われている。そうした実務の延長線上にある定例会議――――のはずだった。

 

 しかし、その場の空気を最初に変えたのは、ヴィオラだった。

「……一つ、今のうちに共有しておくべき情報がありますわ」

 

 静かな声音だった。だが、その一言だけで、円卓の空気がわずかに引き締まる。

 リュートは表情を変えず、エドワルドは書類から顔を上げ、ベアトリスとライオネルもそれぞれに視線を向けた。

 ヴィオラは感情を一切見せないまま続けた。

 

「ハーテス子爵令嬢――――レティシア・ラナ・ハーテス。彼女の名、私は一年ほど前に一度だけ見ていますの」

 エドワルドの目が細くなる。

 

「……どういう意味ですか」

「王妃様のご命令で、殿下の身辺に侍る候補者を選定した際の名簿ですわ。あの時、候補として一度だけ名が上がっていたのです」

 その意味を、円卓にいる者たちは即座に理解した。

 

 だが誰もすぐには口を開かなかった。代わりに、エドワルドだけが静かに、しかし明らかに声音を低くした。

 

「選定からは外れた、と?」

「ええ。年齢規定に届いておりませんでしたもの。選定対象にはなりませんでしたわ。ゆえに――――」

 ヴィオラはそこで一拍置いた。

 

「彼女は、管理の外にいます」

 その瞬間、エドワルドの顔から、はっきりと血の気が引いた。

 

 それは、ただの令嬢の奇行ではない。王族の周囲に近づく女のうち、王宮の手続きを経ていない存在。王家の血統を管理する制度の外にありながら、第一王子に異常な執着を見せている少女。

 

 それが何を意味するかを、彼ほど理解している者はいなかった。

 エドワルドは確認するようにヴィオラへ視線を据え、慎重に問い直す。

 

「……ヴィオラ様。貴女の話が事実なら、あの娘は王家の管理下に置かれた候補ではなく、身分も力も持たぬまま、まったくの自由意志でグラクト殿下へ接近している――――そういう理解でよろしいか」

 

「ええ。少なくとも、今見えている事実はその通りですわ」

 ヴィオラは事務的に肯定し、淡々と整理する。

 

「選定を任されていた立場から言えば、管理外の令嬢が無秩序に第一王子の御前へ近づく現状は、本来あってはならないことです。候補の選定も、その後の処置も、すべては王家の血統と品位を乱さぬための制度。そこに例外が生じれば、殿下の御名にも、婚約者たる私の立場にも、回収不能の瑕疵が残りますわ」

 

 その言い方は完璧だった。制度への嫌悪も、個人的な願望も、一切滲ませない。ただ『婚約者として看過できない管理上の不備』を報告する者として、非の打ち所がなかった。

 

 エドワルドは、その言葉に頷くことしかできなかった。

「……その通りだ」

 

 吐き出すようにそう言って、彼は片手で額を押さえた。

「実家の窮状を盾にする女なら、金で、地位で、あるいは脅しで制御する余地がある。だが、制度の理屈も、王家の管理も理解せず、ただ殿下個人へ向かってくるだけの者は最悪だ。制度の外にいる以上、何を踏めば盤面が壊れるのか、自覚のないまま急所へ触れてくる」

 声音に、純粋な恐怖が混じった。

 

 リュートは黙って聞いていた。

 ここで余計な口を挟む必要はない。すでに劇薬は投与されている。あとは、優秀な知将が自分で毒の回り方を理解するだけだった。

 

 案の定、エドワルドは自ら、その帰結へたどり着いた。

 氷青の瞳が、今度はまっすぐリュートへ向けられる。

 

「リュート殿下。政治的な後ろ盾は本当にないのですか」

 

「現時点では、その可能性が最も高いね」

 リュートは淡々と答えた。

 

「少なくとも彼女の行動には一貫した利害計算が見えない。家の再建のために有力者へ取り入るのなら、もっと慎重に動くべき場面で、彼女は何度も不用意に兄上へ接触し、挙句の果てにはエドワルド殿にまで距離を詰めた。普通の工作員なら、あそこまで露骨には動かない」

 

「むしろ、だからこそ厄介なのですわ」

 ヴィオラもそこで静かに補足する。

 

「自分がどれほど危うい場所に立っているかを、本人が理解していない。理解しないまま近づき、理解しないまま踏み越える者ほど、秩序にとって不吉なものはありません」

 

「……つまり何だ。あの娘は貴族の差し金ですらないのか」

 ベアトリスが腕を組んだまま低く問う。

 

「それが最も高い可能性だ」

 リュートは答え、冷酷に続ける。

「そしてそれは安心材料ではない。意図ある敵なら読める。だが、意図も理もなく動く者は読めない。読めぬまま、制度の急所だけを踏み抜く」

 

 ライオネルが小さく舌打ちした。

「考えなしのほうが、よほど害がでかいというわけか」

 

「そういうことだ」

 短く返したエドワルドの声音には、もはや迷いがなかった。

 

「あの娘は、殿下の御名を汚しかねないだけでは済まない。管理外である以上、万が一にも回収不能な事態が起これば、王家の血統管理そのものが崩れる。そうなれば、今の均衡も、後見関係も、何もかも吹き飛ぶ」

 彼はそこまで言って、ようやく事態の本質を口にした。

 

「あれは、制度そのものを理解しないまま王の側へ転がり込んだ、歩く時限爆弾だ」

 室内の空気が、さらに一段重く沈んだ。

 

 ヴィオラは扇も使わず、ただ静かに視線を伏せていた。表向きには婚約者としての責務から報告しただけ。だが、その内側では別の冷徹な計算も同時に動いていた。これでエドワルドは、レティシアを「放置してもよい不思議な令嬢」ではなく、「今すぐ対処すべき危険物」として扱わざるを得なくなる。

 

 リュートもまた、深紅の瞳の奥でひそかに嗤っていた。

 政治的野心を持つ女ではない。打算も理屈もなく、ただ本人だけが甘い幻想のまま王家の急所へ手を伸ばしている。その事実は、旧秩序の守護者たるエドワルドにとって、どんな陰謀よりも忌まわしい。

 

 完璧だった。

 善意でも悪意でもなく、ただ「管理外」であるというだけで、あの少女は知将の精神をここまで追い詰める。 

 

「……対応を急がねばなりません」

 エドワルドはそう断じ、立ち上がった。

 

「殿下に対し、早急に進言を行います。これ以上、あの娘を自由に近づけるわけにはいかない」

 その背中には、これまでの冷静な実務家の顔とは異なる、切迫した焦燥がはっきりと浮かんでいた。

 

 リュートはそれを見送りながら、机上で指を一度だけ鳴らした。

 打算で動く者は、理で縛れる。

 だが、理を知らぬまま急所へ触れる者は、それだけで旧秩序にとって致命傷となる。

 

 レティシア・ラナ・ハーテス。

 王家の制度を理解しない、ただ一人の無知な少女。

 その存在そのものが、今やグラクトの盤面を内部から揺るがす、最も不吉な劇薬となっていた。

 

 

 

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