リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第5話『嵐の前夜3』

3 保護者の承認と、責任の確定

 

 スピネルの要求と覚悟が示された後、裏の生徒会室には、しばし重い沈黙が落ちていた。

 

 没落男爵家の令嬢が、自らを餌にして上位者の劣情と特権意識を暴発させる。そのうえで見返りとして、家の再興と、平民出身の風紀官との婚姻許可を求める。どこからどう切っても、まともな令嬢の願いではない。

 

 だが同時に、それはこの狂った王国においては、あまりにも筋の通った『取引』でもあった。

 

 最初に沈黙を破ったのはティナだった。

「王都側へ照会を上げます。本人の要請、危険度、実行形態、見返り、想定される政治的影響――――必要事項はすべて整理して送ります」

 そう告げると、彼女はすぐさま部屋の隅の小机へ向かった。

 

 そこには、王都と学園を結ぶための簡易な通信術式と、あらかじめ用意された暗号札が整然と並んでいる。

 

 士爵ネットは、リーゼロッテの管轄下にある実働網だ。その末端にいる子供たちは、ただの密偵でも捨て駒でもない。王都の孤児院や海運組合で保護され、教育され、仕事を与えられた「将来の人材」であり、学園内においてはティナがその運用を実務として統括している。

 

 だからこそ、誰か一人の思いつきや情で使い潰してよいものではなかった。

 

 ティナは極めて事務的な手つきで、暗号札へ情報を刻んでいく。

 スピネルの被害状況。伯爵子息の家格と所属派閥。想定される暴行および脅迫の構成要件。現場責任者候補としてのテトラの名。介入時に必要となる上位貴族の現認者の条件。そして何より、本人が自らの自由意思でその危険を選び取っているという事実。

 

「……こういう時だけは、本当に官僚的ね」

 ヴィオラはその様子を見ながら、半ば呆れたように息を吐いた。

 

 だがティナは、札へ視線を落としたまま即座に返す。

「こういう時だからこそです。責任の所在が曖昧なまま人を危険へ出す方が、よほど無責任です」

 

「誰が承認し、誰が守り、失敗した時に誰が責任を負うのか。そこが曖昧なままでは、投資にも作戦にもなりませんものね」

 アイリスもその理屈には同意した。

 

 テトラは何も言わず、ただまっすぐに立っていた。その横顔には、奇妙なほど感情の揺れがない。だが、それが平静であるのか、あるいは飲み込んだ緊張の果てであるのかは、傍目には読み取りづらかった。

 

 当のスピネルもまた、背筋を伸ばしたまま、静かに返答を待っている。泣き崩れもしないし、殊勝な被害者ぶることもない。彼女はもう、自分が守られるだけの令嬢という立場を捨てて、この場に立っていた。

 

 やがて、通信札の表面に淡い光が走った。

 ティナが受信内容を読み取る。その瞬間、彼女の目元がほんのわずかに細くなる。

 

 それを見て、リュートは王都からの答えが返ってきたことを察した。

「リーゼ様ならびにルリカ様より、本件を『本人の自由意思による高危険案件』として承認するとの正式回答が下りました」

 スピネルの肩が、ほんのわずかに揺れた。

 

 安堵ではない。むしろ、自分の賭けが本当に盤上に載せられたことへの、冷たい現実感に近い震えだった。

 もっとも、承認は無条件ではなかった。

 

 ティナは淡々と条件を並べる。

「第一に、被害者に不可逆の身体的侵害が及ぶ前に、必ず現場介入を完了すること。第二に、介入時には身分秩序そのもので踏み潰されない絶対的な現認者を置くこと。第三に、作戦後の処理は学園内で完結させ、王都側へ不要な負債を残さないこと」

 そこまでは、誰もが予測していた範囲だった。

 

 だが、ティナは一拍置いて、最後の附記を読み上げる。

「――――リーゼ様からテトラへ。『一秒でも突入が遅れ、スピネルに傷を負わせたなら、お前を王都の地下水路の底に沈める』とのことです」

 しん、と部屋が静まり返った。

 

 冗談ではない。誇張でもない。

 リーゼロッテは本気でそうする。ここにいる全員が、それを理解している。

「相変わらず、見事なくらい情け容赦がないわね」

 ヴィオラが低く息を吐いて漏らす。

 

「当然です。自己決定は尊重する。ですが、それを預かる側の失態まで許容する理由にはなりません」

 ティナが平然と返し、アイリスは扇を畳んで初めてテトラへ視線を向けた。

 

「さて、現場責任者。ここからは貴方の返答ですわね」

 全員の視線が、一斉にテトラへ向けられる。

 

 テトラはほんの短く目を閉じ、それから静かに口を開いた。

「……了解しました」

 声音はいつも通り平板だった。だが、その中に微かな震えも迷いもない。スピネルが自分の意志でこの作戦を選ぶ以上、守る側の失敗に言い訳は不要だ。遅れたなら、沈められて当然だ。

 

 スピネルが横目でテトラを見る。

 テトラはその視線を受け止めると、今度は彼女へ向き直った。

「俺は、貴女をただの餌だとは思わない。だが、貴女が自分の将来を奪い返すための手段としてこれを選ぶなら、俺は現場責任者としてそれを成立させる。守れなかった時は、責任者として沈む。それだけだ」

 その一言に、スピネルのまつ毛がわずかに揺れた。

 

 すぐには答えなかったが、数秒の沈黙の後、彼女はまっすぐに彼を見返して小さく頷く。

「……ええ。それでいいわ」

 ヴィオラは組んでいた腕を解き、わずかに肩を竦めた。

 

「本当に、最近の子はどうかしているわ。命も未来も賭け金にして、そこまで理性的に条件を詰めてくるなんて」

 

「今更です。王都で拾われた側の人間は、誰だってそうです。綺麗事だけでは生き残れません」

 ティナの言葉に、誰も異を唱えなかった。

 

 リュートはそこでようやく、椅子に深く預けていた身体を少しだけ起こした。

 王都からの承認は下りた。条件も明示された。現場責任者であるテトラも、自分の命を含めて責任を受け入れた。ここまで揃って、初めてこの案件は「哀れな令嬢の破れかぶれな提案」ではなく、盤面に載せ得る緻密な作戦へと変わる。

 

「……よし」

 その一言で、室内の空気が決定的に切り替わった。

 

「離宮の承認は下りた。現場責任者も条件を呑んだ。ならば本件は、感情論ではなく正式な作戦として採択する」

 リュートは冷徹な為政者の顔で、必要事項を一つずつ切り分けていく。

 

 まずスピネルへ向く。

「君の身体と尊厳は、他人が勝手に哀れむための材料ではない。君自身が、未来を奪い返すための資産として差し出したものだ。ならばこちらも、半端な運用はしない」

 

 次にテトラへ。

「君は現場責任者だ。突入の時刻、導線、証拠固定の手順、すべてをティナと詰めろ。相手が学則違反の要件上、絶対に言い逃れできない位置まで踏み込んだ瞬間に入るように」

 

 そして、法廷を見据えた最後の一手。

「現認者には絶対の身分が要る。中位貴族の圧力で証言を潰せない者。――――レオンハルトを投入する」

「最適ですわね。あの方が見たと言われて、覆せる伯爵家など存在しませんもの」

 アイリスが満足げに目を細め、ヴィオラもまた、証拠としても、裁判の見栄えとしても完璧だと頷く。

 

 最後にリュートは、もう一度スピネルへ視線を戻した。

「確認する。ここから先は、誰かに押しつけられた運命ではない。君が自分の意志で、自分の未来を掴み取るために踏み込む一手だ。途中で退きたくなったなら、いつでも止められる」

 

 だが、スピネルは一瞬も迷わなかった。

「止めません」

 

 その即答に、リュートもそれ以上は言わない。

 その瞬間、すべてが決まった。

 没落男爵令嬢の覚悟。

 特待生風紀官の責任。

 王都側の承認。

 そして王国最強の武門嫡男による現認。

 必要な部品はすべて揃った。

 あとはただ一つ――――相手が、自らの特権意識で言い逃れ不能な一線を踏み越えるのを待つだけである。

 

 

 

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