リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
4 不敬を免除された密室
学園裁判が下され、夜の温室での密会が終わった、さらにその後の深夜。
西の次期当主にして第一王子の正式な婚約者であるヴィオラの私室を訪ねてきたのは、他でもないグラクトであった。
取り次ぎを告げる侍女の声を聞いた瞬間、ヴィオラは一度だけ静かに目を閉じる。まさか、来るとは思っていなかったからだ。だが同時に、温室でのレティシアとの逢瀬において、彼が自分の中にある得体の知れない「空白」と、相手との決定的な「認識のズレ」を感じ取ったのであれば話は別だ。すなわち、その理由を誰にも説明されぬまま放置できるほど、今の第一王子は鈍悪ではないという証明でもあった。
「……お通しして」
短くそう告げると、ほどなくして重い扉が開き、金髪金眼の王子が姿を現した。
昼間の法廷で見せた威厳は、まだその身に張り付いている。しかし、その輪郭の内側には明らかな疲労と戸惑いが沈殿していた。王子として訪ねてきたのではない。少なくとも今夜だけは、一人の答えの出せない迷える少年としてここへ来たのだと、ヴィオラには瞬時に看破できた。
グラクトは入室するなり、短く詫びた。
「夜分にすまない」
その声には王族らしい抑制が利いていたが、同時に隠しきれない切迫感が滲んでいる。
ヴィオラは椅子に腰掛けたまま、立ち上がることもなく淡々と受けた。
「謝罪は結構ですわ、グラクト殿下。ご用件は分かっておりますので。ですが、その前に一つだけ条件がございます」
グラクトの眉がわずかに動く。ヴィオラは視線を逸らさずに続けた。
「今からわたくしが申し上げる無礼な言葉について、後から『不敬』に問わないと、この場でお約束くださいませ」
室内の空気が、冷水を浴びせたように緊張した。
王族へ向けて、対話の前にそこまで釘を刺す令嬢など普通は存在しない。だが、ヴィオラは表情ひとつ変えず、権力者である王子をまっすぐに見返していた。
グラクトはしばらく黙っていたものの、やがて低く答える。
「……分かった。今夜ここで聞くことについて、私は君を不敬に問わない」
「口約束では弱いですわね」
ヴィオラは即座に切り捨てた。
「感情を害しても、それを理由に処分も不利益も与えないと、そこまで明確におっしゃっていただけますか」
グラクトは一瞬、鋭く目を細めた。
王子としての矜持からすれば、明らかに踏み込みすぎた要求である。しかし彼は激昂しなかった。むしろ、そこまで言質を取らねばならないほど、自分が今から聞こうとしている「真実」は重いのだと、論理的に理解したのだろう。
「……誓おう。感情を害しても、それを理由に君へ処分も不利益も与えない。これでいいか」
「十分ですわ」
そこで初めて、ヴィオラは背もたれへ軽く身を預けた。
そして核心を、いっさいの迂回なく鋭く突く。
「レティシア嬢の振る舞いと、殿下ご自身の『制度』の間に生じた決定的な断絶……その理由が分からないのでしょう?」
グラクトは否定しなかった。
いや、その問いがあまりにも正確に急所を貫いていたがゆえに、取り繕う余地を完全に喪失したように、ただ短く頷いたのだ。
「……彼女は、私を恐れてはいなかった。だが、私が王族として背負っている血統管理の制度について、まったくの無理解だった。そして私自身も、自分が彼女に触れようとした時……なぜ自分がひどく恐ろしく、忌まわしい存在のように感じられたのか、本当に分からないのだ」
その言葉は言い逃れでも弁明でもなく、本心からの深い困惑であった。
温室でのレティシアは、恋愛劇の甘い展開を妄想して浮かれていただけに過ぎない。だが、王族としての重圧と法的な責任を取り戻しかけていたグラクトの視点からは、その「あまりにも現実が見えていない無防備さ」が、かえって『王家の制度に対する本能的な怯えと逃避』のように映ってしまったのである。
ヴィオラはそれを静かに聞き終え、氷のような声で告げた。
「……そうでしょうね。殿下には、その発想自体が最初から欠落しているのでしょうから」