リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
6 神輿の自覚と、名もなき無責任
グラクトの自嘲めいた呟きに対し、ヴィオラは静かに事実だけを返した。
「実際、殿下は中心に置かれていますわ。王家の正統性を体現する第一王子なのですから。ですが、『中心に置かれている』ことと、『主体である』ことはまったく別の問題です」
「……」
「今、お部屋へ通されている奉仕役の令嬢が、どういう立場で、どのような条件で、何を引き換えにそこにいるのか――――殿下はご存知ですか?」
「……制度の概要は、理解している」
そう反射的に返したものの、それが根本的な問いへの答えになっていないことは、口にしたグラクト自身が一番よく分かっていた。
ヴィオラは、その自己矛盾に満ちた沈黙だけで十分だと理解したのだろう。
「奉仕役の選定は、王妃様の厳格な統制の下で行われます。家の困窮、将来の見返り、婚姻の難しさ、王家との距離、従順性、健康状態。そうした諸条件を政治的に整理し、どの家にどの程度の補償を与え、どの令嬢をどの位置へ置けば最も事故が少ないかを計算する。婚約者であるわたくしも、実務としてその一部には関与しております」
グラクトは弾かれたように顔を上げた。
知っていたはずの事実が、まるで別の言語のようになって耳に流れ込んでくる。王妃が管理している。婚約者であるヴィオラも関わっている。家への補償があり、条件があり、事故を減らすための冷酷な調整がある。
それは確かに狂乱や暴走ではなく、緻密に計算された制度である。だが、そうであるがゆえに、人間の血が通っていないほどに冷たかった。
「……合理的な取引だと、君は言うのか」
「少なくとも運用している側は、そう整理していますわ。王家は無秩序な関係を避けられる。選ばれた家は見返りを得る。令嬢本人も、将来の処遇を含めた保護と引き換えに、その役目を引き受ける。全員が幸福とは言えませんが、王家の品位と正統性を維持するための、最も事故の少ない仕組みとして回しているのです」
合理的な取引。
その響きの絶対的な冷たさは、法廷で伯爵子息が吐いた感情的な侮辱より、むしろ重く致命的にグラクトの胸へ沈んだ。なぜならそれは、悪意による暴言などではなく、制度の内側で実務を回す者だけが口にできる、極めて整然とした「真実」だったからだ。
「殿下は殿下で、王子としてその場にいる責任を負っている。ですから、まったくの被害者だなどと甘やかすつもりは申しません。ですが少なくとも、『ご自身で選び取っていた』わけではないでしょう」
ヴィオラは、残酷なほど簡潔にその構造を言語化した。
「ルナリア様を打診の場に引きずり出したのも、ソフィア様を選び取ったのも、誰を置けば火種が少ないかを調整しているのも、殿下ではありません。殿下は王家の光であり、正統性の象徴です。けれどその光をどこへ向け、誰の上へ落とし、誰を焼き、誰を温めるかを決めていたのは、殿下ではなく別の誰かなのです」
グラクトはついに、足元から崩れ落ちるような声で問うた。
「……では、自分は何だったのだ?」
「神輿でしょう」
一切の容赦のない、即答であった。
飾られ、担がれ、中心に置かれる。だが、どこへ運ばれるかは自分では決められない。自分は第一王子であり、光の王子であり、成文法を掲げる裁判長だ。だがその実、王家の血統管理という最も根深い中枢においては、意思決定者ですらなかったのだ。
「殿下は自らの手で学則を掲げました」
ヴィオラは、最後の致命的な問いを投げた。
「ならば、他者を自分の傍へ置く時もまた、その存在をどう位置づけるのか、責任をもって定義しなければならないはずですわ。……それでもレティシア嬢を傍へ置きたいのだとしたら、あの娘に、どのような立場を与えるつもりなのですか?」
「……」
「婚約者にするのですか。妾妃として囲うのですか。奉仕役として管理下へ置くのですか。あるいは、何の立場も与えずに、ただ個人的な安らぎのために曖昧な位置へ留め置くのですか」
その一つ一つが、王子としてではなく、一人の男としての「責任」を鋭く問うていた。
グラクトには何一つ答えられなかった。
婚約。違う。妾妃契約。違う。奉仕役。違う。何の立場もないまま傍に置くなど、もっと違う。
では何だ。レティシアを自分の傍へ置きたいと思ったことは事実だ。温室でのあの安らぎを、失いたくないと思ったことも。だが、その思いにどんな名を与え、どんな責任を伴わせるのかと問われた瞬間、自分の中には恐ろしいほどの空白しかなかった。
王子としての制度は知っている。だが、一人の男として誰かを求める時、その相手へどんな立場を与えるべきかなど、ただの一度も考えたことがなかったのだ。
ヴィオラはその絶望的な沈黙を見届け、静かに宣告した。
「……お答えになれないのなら、それが現時点での殿下の答えですわ」
それはひどく冷たく、そして正確無比な宣告であった。
グラクトは、その場に立ち尽くした。
学則を掲げ、裁きを下し、王家の論理を用いて旧秩序を切ってきた。だが、自分が誰かを求める時、その相手へ何を与え、何を背負わせるのかという根本的な問いの前では、己は驚くほど無力で空白だった。
王としての言葉は持っている。だが、一人の男としての責任を引き受ける言葉は、まだ何一つ持っていない。
『――――無知だったのだな、私は』
その呟きは、誰に向けたものでもなかった。
ヴィオラは頷かなかった。だが、否定もしなかった。その沈黙こそが唯一の答えだった。
夜は深い。窓の外では、冷たい風が弱く枯れ枝を鳴らしている。
王家の中心に立つ第一王子は、その夜初めて、自分が中心でありながら主体ではなかったことを知った。そして、自分が求めるものに責任ある名を与える言葉を、己がまだ一つも持っていないという残酷な真実をも。