リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第9話『外側1:鳥籠の令嬢7』

7 側妃という盤面構築

 

 白薔薇の間での謁見を終え、第一側妃ヒルデガードは自らの宮の最奥、厚い扉に閉ざされた私室へと帰還した。

 

 人払いを済ませた部屋で、精緻な刺繍が施された長椅子に深く身を沈め、侍女に注がせた赤ワインのグラスを指先で弄ぶ。

 

「……つつがなく、事が運びましたわ。わたくしたちの謝罪とセシリアの振る舞いが、予定通りに王家からの『承認』を引き出しました」

 

 王妃マルガレーテが下した『これまで通りの許可でよい』という裁定。それはヒルデガードがゼノビア家失脚の件で重ねた恭順な謝罪と、セシリアの非の打ち所のない対応によって徹底的に隙を消し、誘導したごく当たり前の結果であった。

 

 王妃はセシリアの綴った物語を架空の創作物として割り切り、純粋に王家の品位を高める有益な演目であると認めた。現実のセシリアの婚約事情と架空の舞台を切り離して考えるのは、統治者として極めて真っ当で合理的な判断である。

 

 だが、王宮の人間は現実と物語を切り分けているが、熱狂する大衆はそうではない。王妃が下したその公式な承認こそが、ヒルデガードの最大の武器となる。

 

 新宰相を罠に掛け、絶対に逆らえない令嬢として奪い取ったセシリア。王都の民は、舞台の原案者である彼女を「第一王子を陰から支える清らかな令嬢」として現実と混同して熱狂的に支持し、さらに王妃の裁定がその熱狂にお墨付きを与えてしまった。

 

 この巨大な実績を纏った今、セシリアの使い道は第一側妃宮の権威の底上げといった枠には収まらない。

 

 現在の第一王子グラクトという神輿の主導権は、第三側妃ソフィアに奪われている。

 

 セシリアをグラクトの側妃として盤面に据える。それは、宰相府という国家の最高実務機関の絶対的な従属と、民意が熱狂的に支持する象徴を、グラクトの目の前に物理的な力として突きつけるということだ。これほどの支持基盤を得れば、主導権は間違いなくヒルデガードの手に引き戻される。

 

 セシリアを側妃に押し上げるための直接的な障害は、盤面上にただ一つ。彼女の現実の婚約者である軍元帥・アイゼンガルト侯爵家である。

 

 この強固な盟約を破棄させなければ、セシリアをグラクトの横に据えることはできない。ヒルデガードは、大衆が熱狂する舞台の続編(第二幕)を利用し、彼らに自ら婚約を辞退させる「品位という名の圧力」を掛けることを決めた。

 

 だが、続編を作る上で、処理しなければならない致命的な問題がある。大衆が熱狂している『架空の物語』と『現実』の間に生じる齟齬だ。

 

 一作目の舞台は「高貴な青年と令嬢の隠された純愛」だけを描いたものだ。だが現実のグラクトには、すでに正式な婚約者として王妃教育を受けている四大公爵家令嬢、ヴィオラリア・オルネ・クロムハルトが存在する。

 

 このまま物語の中で青年王子に「正妃」が存在しない純愛悲恋として話が進めば、大衆はいずれ「現実の第一王子には公爵令嬢がいるのに、なぜ物語には出てこないのか」という違和感を抱き、物語の熱狂と現実のリンクが切れてしまう。

 

 民の熱狂をグラクトの権威へ完全に結びつけるためには、ヴィオラの存在を物語の方に組み込み、現実の構造に合わせてしまえばいい。

 

 続編の脚本に、現実との齟齬を埋めるための配役として、ヒロインの「別の婚約者」と、青年王子の「正妃」を登場させる。その上で、ヒロインの婚約者(アイゼンガルト)には同調圧力を掛けて身を引かせ、正妃(ヴィオラ)には物語の結末を支える完璧な役割を与えるのだ。

 

 ヒルデガードは、グラスに残った真紅のワインを一息に飲み干した。大衆の願望という濁流を利用し、現実の盤面を完全に支配する戦略の構築が、完了しようとしていた。

 

 ◇

 

 深夜。第一側妃宮の奥深く、重厚な絨毯が足音を吸い込む執務室。

 

 壁一面を覆う本棚の影に、舌の裏に絶対服従の魔紋を刻まれた代筆役の侍女が音もなく控えている。魔法契約によって秘密の漏洩が物理的に封じられているからこそ、ヒルデガードはこの部屋で自身の謀略を本音のままに指示することができる。

 

「王都の民は、あの純愛の行く末を熱に浮かされたように待ち焦がれております。……さあ、急ぎ続編の脚本を書き上げなさいな」

 

 豪奢なマホガニーの机に肘を突き、組んだ指の上に顎を乗せたヒルデガードが、静かな、しかし有無を言わせぬ優雅な声音で命じる。

 

「続編では、令嬢の『現実』の障害と齟齬を、物語に組み込みます。令嬢には家の決定で結ばれた別の婚約者がおり、青年にもまた、すでに正妃となるべき高位の婚約者がいるという事実をね」

 

 侍女は無言で深く頭を下げ、分厚い羊皮紙へ向かって素早く羽ペンを執った。

「お伺いしたい点がございます、第一側妃様。その婚約者たちは、二人の恋路を邪魔する欲深い悪役として描けばよろしいでしょうか」

 

「いいえ。登場人物に、悪役など一人も必要ありませんわ」

 ヒルデガードは即座に、そして優やかに否定した。

 

「考えてもみなさい。もし青年の婚約者を悪役として描けば、大衆の間に『王子の婚約者は、側妃をいじめる欲深く性格の悪い女だ』という偏見が定着してしまいますわ。継母が連れ子をいじめるという、くだらない童話の価値観のようにね」

 

 大衆の熱狂は、容易く社会の共通認識へと変わる。

 

「そのような価値観を世に広めれば、現実の婚約者である公爵令嬢にあてこすりをしているも同然です。わたくしたちからクロムハルト家に、不必要で無益な喧嘩を売ることになってしまいますわ」

 

「……左様でございますね。では、正妃役はどのように」

 

「青年の婚約者は、二人に排除される悪役であってはなりません。二人の純愛に賛同し、共に国を支える気高き『同志』となるのです」

 硬い羽ペンが羊皮紙を引っ掻く乾いた音だけが、深夜の執務室に響き続けた。

 

「令嬢の婚約者役の男は、二人の純愛がどれほど王家の品位を高めているかを悟り、自ら身を引き婚約の解消を申し出る。そして、正妃役たる女性は、嫉妬など微塵も見せずに進み出て、微笑みながらこう告げるのです。『王家の品位を支える純愛をこの私が承認し、貴女を側妃として歓迎いたしましょう』と」

 

 誰も悪役にならず、不当に傷つけられない。登場するすべての人間が『王家の品位』という絶対の美徳に従って行動する。それこそが、この国の民衆が最も愛する物語の定型である。

 

 大衆がその結末を最も美しい美談だと信じた時、現実のアイゼンガルトが婚約維持に固執すれば、彼らは「王家の品位のために身を引くことすらできない見苦しい家門」という烙印を押される。大衆の熱狂は、現実のアイゼンガルト家に向けられた決して逃れられない『同調圧力』となるのだ。

 

 一方で、公爵令嬢であるヴィオラは王妃教育を受けた理知的な令嬢であり、有益な側妃を拒む理由など最初から持っていない。正妃役に『究極の慈愛と品位の体現者』という絶大な賛美を与えておけば、公爵家は社会からの称賛を受け取るため、喜んでセシリアを側妃として歓迎する立場を取る。

 

 アイゼンガルト家には「同調圧力」という名の刃を突きつけて排除し、公爵令嬢には「究極の名誉と同志の座」という対価を与えて盤面に協力させる。

 

 大衆が望む最も美しい物語の役を配役に強引に被せ、自らの品位を守るためにはその役通りに動くしかない盤面を作り上げる。それが第一側妃の洗練された政治闘争の作法であった。

 

 硬い羽ペンが羊皮紙を引っ掻く乾いた音だけが、止まることなく響き続けていた。

 

 

 




評価、感想ありがとうございます。
個別に返事をしたいのですが、喋りたがりのため全部ネタバレしそうなので控えております。
評価感想自体は嬉しいので、しばらくは頑張ります。

再度、ありがとうございます。
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