リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第10話『外側2:王女の始動1』

1 黄金の誕生と、絡み付く蜘蛛の糸

 

 王都を包む夜気は、秋の空気から冬の気配をはっきりと感じられるような冷たさをもっていた。

 

 本宮内奥、極限まで燈火の数を絞られた小会議室には、呼吸すらためらわれるほどの重苦しい静寂が淀んでいる。石造りの壁が夜の冷気を吸い込み、部屋全体の温度を底なしに奪っていく中、分厚い黒檀の机上に置かれた羊皮紙だけが、鈍い蝋燭の光を弾いていた。

 

 医師の署名が記された出生の記録と、すでに作成を終えた祝賀布告の草案。

 記録の最上段を重い指先で弾きながら、国王ゼノンは低く吐き捨てた。

 

「黄金の男児、か。……これで盤面が極端に傾いたな。第三側妃派の一強だ」

 

 深い皺の刻まれたゼノンの横顔に、蝋燭の炎が揺れて濃い影を落とす。その声音に、新たな孫の誕生を祝ぐ祖父の情は微塵もない。玉座という巨大な天秤の揺れを即座に測り直す、統治者としてのひび割れた響きだけが部屋の冷気を震わせた。

 

 対座する後宮統治の最高責任者、王妃マルガレーテは、微動だにせずその言葉を受けた。石像のように整った氷の横顔には、疲労の色すら張り付く隙がない。

 

「ええ。極めて不均衡です」

 

 マルガレーテの静かな声が、冷たい石壁に吸い込まれる。彼女は組んだ指先を口元に当て、机上の羊皮紙へ冷徹な視線を落とした。

 

「ソフィアはかつて、グラクトの情交奉仕者を務めあげた事実があります。人の内心がどこにあるかなど誰にも見えませんが、その後宮での『事実』がある以上、宮廷の目には、第一王子が実母以上に第三側妃へ精神的に依存しているようにしか映りません」

 

 窓枠を微かに揺らす夜風の音が、遠くのざわめきのように聞こえる。真実の情など、この石室においては何の価値もない。「そうとしか見えない」という外観こそが、この王宮においては絶対的な権力の源泉となる。空気と噂で呼吸する貴族社会において、第一王子が第三側妃の閨に依存しているという強烈な印象は、すでに覆しがたい前提として宮廷を支配していた。

 

「そのうえで今、彼女は正統の証たる金髪金眼の男児を得た。このままでは継承の近傍が完全に第三側妃派へ支配されます。問題は、どうやって彼女たちの力と増長を削るかです」

 

ゼノンが腕を組み、革張りの椅子がきしむ重い音を立てた。

「対抗馬として、第一側妃派を使うか。ゼノビア侯爵家の家職停止を解き、武の柱を戻せば……」

 

 炎の揺らぎすら切り裂くようなマルガレーテの即答だった。彼女は冷ややかな目を細め、ゼノンの提案を間髪入れずに棄却する。

「今さら武の柱を戻したところで、王子の情という『外観』と、新たな黄金の両方を握る第三側妃派には到底対抗できません。何より、ヒルデガードには過去に暴走した前科があります」

 

 かつて本宮の統制を無視して動いた第一側妃の狂気が、室内の温度をさらに一段下げたように錯覚させた。

「対抗させるために実力を与えれば、必ずや増長し、後宮の主導権を握ろうとして後宮の均衡を乱すでしょう。かといって、完全に潰して退路を断ってしまえば、今度こそ失うもののない焦燥から、なりふり構わず暴走する危険があります。」

 

 ルナリアの死、暴走の結果起こってしまった事実を再確認する。第一側妃派を対抗馬とすることはできないと同時に安易に派閥を潰すこともできないという事実を確認し、マルガレーテは言葉を続ける。

「ゆえに、宰相令嬢の教育という実害のない『権威』をあちらへ与えることを許したのです。第一側妃宮を単なる教育機関として箔付けし、面目だけを保たせて大人しくさせる。それが現状の最善です」

 

「……手札にはならない、ということか」

 ゼノンは忌々しげに息を吐き、額に手を当てた。権威という名の檻に閉じ込めるのが精一杯であり、盤面を動かす駒としては使えない。

 

 マルガレーテは姿勢を崩さぬまま、静かに第二の案を提示した。

「第三側妃が独占している『情』の外観を崩すには、第一王子を新たな派閥へ組み込むしかありません。内務卿たるメルカトーラ侯爵家の令嬢ユスティナを、第一王子の側妃に据えるというのはいかがでしょう」

 

 蝋燭の炎がふっと細くなる。新たな側妃候補を横に置くことで、物理的・派閥的な外観を強制的に書き換える。同時に、官僚機構を丸ごと第一王子の継承基盤として組み込むという、極めて合理的な提案だった。

 

 だが、ゼノンは重い首を縦には振らなかった。彼の脳裏をよぎったのは、黒髪の第二王子の姿だった。

「内務卿が執心しているのは、リュートの方だろう。それに……リュート自身がどう動くかだ」

 

 その名が出た瞬間、室内の空気が明らかな緊張を孕んだ。マルガレーテの氷のような表情にも、微かな、だが確かな警戒の皺が寄る。

「ええ、そこが最大の懸念です」

 

 彼女の吐息が、夜の冷気に白く混じるかのようだった。

「あの者は、盤面の理を容易く引っくり返す得体の知れぬ変数です。現在、学園でグラクトの補佐に回っているようですが、その真の目的は不透明。安易に内務卿の娘に手を出してリュートを敵に回せば、王宮の制御を超えた致命的な火種になりかねません」

 

「結論として、今は大掛かりな手は打てず、現状維持にせざるを得ないということだな」

 ゼノンは机上の出生届へ視線を落とし、静かに羽ペンを握った。羊皮紙の上を走るカリカリという乾いた音が、手札を封じられた王の焦燥を代弁するように響く。

 

「妥協案として、第三側妃派の増長だけは抑え込む。出生は正式に認め、ソルディ・シンバ・ローゼンタリアと名も与える。だが、継承順位については一切言及しない。祝賀の体裁だけを整え、王位への含みを完全に封じる」

 

「承知いたしました。学園の動向を静観しつつ、それ以上の権力は渡さないよう私から釘を刺しておきましょう」

 王宮に歓喜をもたらすはずの黄金の誕生は、ただ精緻な均衡を破壊しただけだった。有力な手札をすべて封じられている王と王妃が、深い夜の底で下した結論は、消去法による「冷徹なる現状維持」でしかなかった。

 

 

 

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