リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 作:ムササビ・モマ
11 第二の問――――偽られた外形と、信じた者の保護
第一の返書を帝国へ送り返してから、まだそれほど日は経っていなかった。
春のやわらかな陽光が離宮の窓辺を白く照らす午後、リーゼロッテのもとへ二通目の親書が届く。封蝋を確かめる前から、アレクシスからの次の問いだ。
王宮の内容確認は、今回もほとんど形式だけで済まされた。帝国第二皇子と第一王女が文を交わすこと自体が、すでに一つの外交成果として数えられている以上、そこに書かれた約束と責任の問いなど、本宮の者たちにとっては「賢い子供同士の高雅な戯れ」でしかない。
けれど、リーゼロッテにとって、それは戯れではなかった。
親書を受け取った瞬間、リーゼはわずかに目を細めた。前回の答えを受けた相手が、同じだけ深く踏み込んだ問いを返してこないはずがない。
前回の問いは、約定がなぜ人を縛るのか、その根拠を問うものだった。ならば次に来るのは、その答えを現実の取引へ当てはめた時、どこまで原則を守り、どこから例外を認めるか。
「おそらく、もっと人に責任を選ばせる問いなのでしょうね」
封を切り、便箋へ目を落とす。読み終えた瞬間、リーゼはごく小さく息を吐いた。
『二人の間では本気で結ぶつもりのない約定を、外からは本物の約定があるように装った場合。その本物らしい外形を信じて、別の取引へ踏み込んだ者がいた時、その者に生じた不利益を、誰が、どこまで引き受けるべきか。』
リーゼは便箋を机へ置き、すぐには筆を執らなかった。
便箋の上で、問いは二つに分かれていた。まず置かれているのは、二人が初めから約定を負うつもりを持っていなかったという事実である。ならば最初に確かめるべきなのは、その約定を二人の間で有効なものとして扱ってよいのかという一点だった。
約定が人を縛るのは、自分の意思で責任を引き受けたからである。そう考えるなら、初めから引き受ける意思のなかった約束に、二人の間で効力を認めることはできない。
名目が整っているから従え。儀礼が整い、書面があるから受け入れろ。そう言って人を縛るなら、それは王宮が王家の品位や婚約や教育の名を掲げて人を押し潰すのと同じだった。リーゼが拒むべきなのは、名目で責任を奪い、品位で責任を逃れる仕組みそのものだった。
だが、アレクシスの問いはそこで終わってはいなかった。
二人の間では無効であっても、外からは本物の約定に見える状態が作られている。けれど、その外形を見て、別の者が新しい取引へ入ることがある。
人は他人の内心をのぞけない。確かめられるのは、外に現れた約定書、引渡し、登録、保管証、権利の移転を示す記録である。そうした外形があるからこそ、別の者は金を払い、物を渡し、自分の地位や信用を賭けて次の取引へ踏み込む。
金貨を払い、物を渡し、次の取引へ踏み込んだ者に、二人の胸の内まで確かめよとは言えない。外から見える記録や引渡しを信じるしかなかった者に、自分たちが隠した内心から生じた責任まで負わせれば、外形を作った者は、不利になった後で『あれは本気ではなかった』として、外形を信じた者へ責任を押しつけることができてしまう。
けれど、そこで初めから責任を引き受ける意思のなかった約定そのものを、有効な契約として扱うことはできない。信じた者を救うためであっても、意思のない約束を契約そのものとして扱えば、外形さえ整えれば人の意思を奪えるという、別の責任逃れを許すことになる。魔法契約がそうであるように、約定は引き受けた意思を核にして人を縛る。そこを外せば、王家の品位と同じく、形を作れる者が、形を持たぬ者へ責任を押しつける道具になる。
必要なのは、無効な約定を本物に作り替えることではない。約定そのものは二人の間では無効のままにしながら、事情を知らず、その外形を信じても無理がなかった者との関係では、『最初から無効だから関係ない』という言い分を退ける理由である。自ら外へ差し出した形を、都合が悪くなった時だけ自分の内心で否定することは許されない。その行いに責任を置かなければ、外形を作る力を持つ者だけが、常に逃げ道を持つ。
だから、問いの最後に置かれた言葉が重くなる。その者に生じた不利益を、誰が、どこまで引き受けるべきか。約定そのものを有効にはできない。けれど、外形を作った者が、事情を知らずに信じた者へ向かって、無効であるとの言い分だけで責任を拒むことはできない。自ら外へ差し出した形を、都合が悪くなってから否定するのは、自分の行動への責任を品位や内心で逃れることと同じだからである。。
それでも、信じたという一言だけで、すべてを同じに扱うことはできない。金貨で償える不利益なら、損害を償わせるだけで足りることもある。
けれど、相手がその家を得るため、その品を用いるため、その地位を前提に次の約定を結んだなら、あとから金貨を渡すだけでは約定の目的そのものが失われる。だからこそ、約定そのものを有効にするのではなく、その第三の者との関係では無効であるとの言い分を、その者に対してだけ退ける余地を考えなければならない。
その場合、守られるのは知らなかったという事実そのものではない。それを得られると信じて次へ進んだ者の目的と、偽りの外形を作った者の所有や支配を守る利益とを比べ、どちらに結果を引き受けさせるべきかを決める必要がある。
そこで、リーゼは責任を分ける条件を三つに絞った。
第一に、本物らしい外形があること。ただの噂や曖昧な期待では足りない。第三の者がそれを確かめて、約定がある、権利が移った、相手にはその権限があると信じても無理のない形が、外に現れていなければならない。
第二に、その外形を作り、または放置した者に、その結果を引き受ける責任があること。外形が勝手に生まれたのではなく、自分たちで作り、あるいは放置したなら、その形が他人を動かした結果も、自ら持ち込んだものとして引き受けるべきである。
第三に、信じた者が事情を知らず、知らなかったことについて責めを負わないこと。信じたというだけで誰もが守られるなら、それもまた約定の責任を押しつける道具になってしまう。
これは、信じた者を救うための情けではない。誰が自分の行動の結果としてその不利益を引き受けるべきかを定める条件である。
返書に記す結論は、偽られた約定を本物に変えるものではなかった。約定そのものは、二人の間では無効である。だが、本物らしい外形があり、その外形を作り、または放置した者に結果を引き受ける責任があり、信じた者が事情を知らず、知らなかったことについて責めを負わないなら、その第三の者に対しては、無効であるとの言い分を押し通すことは許されない。
この問いは、離宮の外にある王宮そのものへ向いていた。王宮では、いつも品位という名目が先に置かれる。品位を掲げて人に責任を負わせ、いざ誰かが不利益を負えば、『最初からそういう意味ではなかった』と平然と言い換える。
それを許せば、形を作れる者ほど責任を逃れ、形を信じるしかない者ほど責任を押しつけられる。けれど、信じた者を無条件に救うことも、リーゼが選ぶべき答えではなかった。同情だけで結論を置けば、それもまた別の者を縛る名目になる。誰が形を作ったのか。誰がその形を信じたのか。信じたことについて責めを負う事情はあったのか。
それを確かめなければ、それを確かめなければ、『信じた』と言う者の都合で、引き受けた意思だけが人を縛るという根拠が傷つけられる。これは、優しさで信じた者を救う答えではない。偽りの形を作った者と、それを信じた者のどちらが結果を引き受けるべきかを、条件で分けるための答えだった。
背後に控えていたルリカは、リーゼの筆が止まったところで、ようやく口を開いた。
「前より、ずっと王宮に近い問いですね――――」
「ええ。『あれは無効です』で責任を逃がさないための問いです。けれど、無効なものを本物にしてしまえば、今度は意思のない者に責任を負わせることになります」
リーゼは乾き始めたインクを前に、静かに続けた。
「しかも、条件を曖昧にすれば、偽りの外形を作った者にも、確かめられたはずのことを怠った者にも、責任を逃れる言い分を与えてしまいます」
「王宮が好む言い分です――――」
そのあまりに率直な一言に、リーゼはほんの少しだけ口元を緩めた。王宮ほど、名目を先に置き、後から責任の所在を変える場所はない。
第三の者に不利益が生じたのは、偽りの形を外へ差し出し、それを放置した側があったからである。リーゼは最後の一文を読み返し、返書を封じた。蝋が冷えるまで、指先で軽く押さえた。封じられた紙は、王宮が好む名目の奥に、責任を引き受ける者の名を求めていた。
『アレクシス殿下。第二の問いにも、お答えいたしましたわ。次は、さらに責任の逃げ道が少ない問いでも構いませんことよ――――』
胸の内に浮かんだ言葉は、愛らしい王女の返礼ではなかった。遠く帝国にいる、まだ顔も知らぬ対等の知性へ差し出す、静かな返答だった。
わかりにくくてごめんなさい。能力の限界超えてました。
問題設定を間違えたかもしれません。好きな論点だったので・・・
ちょと解説、権利外環法理と呼ばれるものです。虚偽の外観を作出した者は、その外観によって発生した権利関係について責任を負うものです。
民法94条2項、109条、110条、112条がその具体化といわれております。根拠は信義則(民法1条2項)でしょう。
そもそも、外観法理を認めるか。認めるとして、その効果は?ということを書いたつもりです。
外観法理は94条2項が基準となるのですがここで「善意の第三者には対抗できない」とあるのですね。「有効」とは書いてないのです。ここがどうなるかです。
ただ、異論はいろいろありますので、あくまで私の見解だということをご理解下さい。つたない、解説で申し訳ありません。