リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

34 / 316
第10話『観察者から実践者2』

2 閉ざされた薬瓶

 

 離宮のルナリアの寝室は、普段の優雅な空気が一変していた。

 暖炉の火は弱く、部屋は薄暗く、ただランプの灯りだけがベッドを照らしている。空気は重く、薬草と汗の匂いが混じっていた。

 

 ルナリアはベッドに横たわり、額に冷たい布を当てられていた。黒髪が乱れ、赤い瞳は熱でぼんやりと曇っている。彼女は王都で流行している病の一種――大人が拗らせると命に関わる『黒熱病』――に罹っていた。夜半に突然の高熱で倒れ、意識が混濁し始めていたのだ。

 

「子供たちにうつるから……近づかないで……」

 ルナリアの声は弱く、しかし気丈だった。彼女は手を伸ばし、リーゼロッテを制止しようとしたが、力が入らない。八歳のリーゼロッテはベッドの端に立ち、涙目で母の手を握っていた。

 

「お母様……熱い……お母様、熱いよ……」

 リーゼロッテの声が震える。彼女は母の額に触れ、熱さに指を引いた。涙がぽろぽろと落ちる。

 

 リュートは部屋の隅に立ち、状況を冷静に観察していた。赤い瞳が、母の顔、薬瓶の在庫、窓の外の暗闇を素早く行き来する。十歳の少年は、すでに「観察者」の域を超えていた。

 

 ルリカが薬草を煎じた湯を運び、ルナリアの唇にそっと近づけた。灰色の髪が揺れ、黒い瞳に悔しさが滲む。

 

「ルナリア様……私も多少の心得はありますが……特効薬を作るには希少な『竜の髭』が必要です。採取に行くには時間が足りません」

 ルリカの声は悔しげに震えていた。彼女は唇を噛み、俯く。帝国ルート――実家に頼めば最高級の薬が手に入るが、往復の日数がかかりすぎる。王宮ルート――筆頭医師と薬局には在庫があるが、離宮の影がそれを得るには「医師の診断」→「薬剤管理官の承認」→「内務卿の決裁」という長い稟議が必要だ。

 

 リーゼロッテがリュートの袖を掴み、涙目で訴えた。

 

「お兄様、どうしよう……ルナリアお母様が……!」

 リュートは妹の手を優しく握り返し、静かに言った。

 

「大丈夫だ、リーゼ。僕が行く。リーゼはルリカとルナリア様を看ていてくれ」

 彼の声は落ち着いていた。だが、胸の奥で焦りが渦巻く。母の命が、煩雑な手続きの壁に阻まれている。時間との戦いだった。

 

 リュートは部屋を出る前に、母のベッドに近づいた。ルナリアはぼんやりとした瞳で息子を見上げ、弱々しく微笑んだ。

 

「リュート……無理は……しないで……」

 リュートは母の手を握り、静かに言った。

 

「母上。すぐに戻ります。……必ず、薬を持って」

 ルナリアの瞳に、わずかな光が戻った。彼女は息子の手を強く握り返し、かすれた声で言った。

 

「……ありがとう……リュート」

 リュートは深く頷き、部屋を出た。

 背中には、母と妹を守る決意が宿っていた。王宮の長い回廊が、少年を待っている。

 離宮の夜は深く、しかしリュートの足音は速かった。閉ざされた薬瓶を、開けるために。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。