リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第1話『個を刻む指先3』

3 幻想との決別と協力の条件

 

 深夜の自室。

 

 分厚いカーテンが夜の冷気を遮っているにも関わらず、私の身体は小刻みに震えていた。

 

 鏡台に映る自分の姿が、ひどくおぞましいものに見えた。

 

 ストロベリーブロンドの髪、碧い瞳、透き通るような白い肌。ここが、前世で知っている乙女ゲームの世界だと気づいた時、私は愚かにも自分を選ばれたヒロインだと思い込んだ。第一王子グラクトも、第二王子リュートも、画面の向こうでは攻略対象として名を持っていた。だから私は、決められた手順を踏めば、誰かが私を特別な運命へ導いてくれるのだと、甘く危険な幻想に浸っていた。

 

 だが、現実は違った。

 

 この美しさは、選ばれた者の証明などではない。ただ単に『高値で差し出されるための条件』であるという、残酷な値札に過ぎなかった。

 

「……慰み者になんて、なるものか」

 

 自室の静寂に落ちた呟きは、恐怖でかすれていた。

 

 今日、私は両親の口から、自分がこの家の資金繰りのために「第一王子殿下の奉仕役」として差し出されようとしていた事実を知った。

 

 奉仕役。そんな聞こえのいい名目で呼ばれているが、その実態は「身売り」だ。生涯を王家の都合に縛られ、自分の身体も将来も選べない立場に落とされる。前世の記憶を持つ私からすれば、おぞましいという言葉すら生ぬるい狂気の制度だ。

 

 規定に引っかかったことで、私はその最悪の運命だけは免れた。だが、安心など一秒もできなかった。

 

 王家に差し出す道が閉じたから、今度は地方貴族であるラングベル家の借金のカタとして家ごと取り込まれる。あの番頭は私を「正妻」として迎えると言ったが、それも建前だ。

 

 狙いは我がハーテス家が持つ「徴税権」と「物流上の優先権」。その権利を合法的に乗っ取るための「鍵」として使われれば、私は見知らぬ家の名の下に置かれ、自由を奪われ、ハーテス家の権利を移すための名義として扱われる。私の意思など関係ない。

 

 恐怖で吐き気がした。

 

 嫌だ。絶対に嫌だ。

 

 どちらに転んでも、私を待っているのは誰かの権利や都合に私自身を組み込まれる未来だけだ。それを両親ですら「家のため」という名目で止められないほど、この国の仕組みは冷酷で、我が家は切羽詰まっている。

 

 私は机に向かい、震える手で羽ペンを握りしめた。

 

 現実を見せつけられ、攻略対象に救われると信じる時間は終わった。ここから先は、自分の頭で考え、自分の所属と値打ちを作らなければ、家の負債と一緒に処分される。

 

 私の中にあるのは、前世の記憶だけだった。テレビのニュースやドラマで見聞きしたり、学校の公民の授業で習ったりした程度の「現代日本のありふれた常識」だ。

 

 個人の基本的人権。契約の自由。親の借金を子供が背負わなくてもいい仕組み。

 

 この国の常識にはない、その「現代の当たり前」から捻り出したアイデアだけが、今この絶望的な状況を抜け出すために最初に掴める材料だった。

 

 私は新しい羊皮紙を引き寄せ、「自分の地位を作るための仮案」を書き出し始めた。

 

 最初に浮かんだのは、資金融通と家門支配を切り離す案だった。

 

『資金は受けても、家の実務権限は渡さない条件を置く』

 

 相手が欲しいのは私ではなく、ハーテス家の権利だ。ならば、資金融通だけを受け入れ、徴税や物流の実務には触れさせない条件を置けないか。そう考えて、私は紙面に条件を書き出した。

 

 相手の男にはハーテス家の仕事に触れさせず、資金を出すだけの相手に留める。

 

 だが、この案には致命的な弱点がある。現代日本なら、契約を破れば裁判所に訴えることができる。でも、この国で、私のためにその約束を守らせてくれる場所を、私は知らない。

 「貴族の妻は夫に従うべき」という常識の前に、紙切れの約束なんて簡単に破られてしまう気がする。約束を守らせるには、紙ではなく、破った時に相手が損をする仕組みが要る。けれど、その仕組みを私一人では作れない。つまり、この案は私の希望ではあっても、私の力だけでは交渉条件にならない。

 

 次に浮かんだのは、家とは別の肩書と給与を得る発想だった。

 

 『私自身が、家とは別に、給与と肩書を持つ』

 

 地方の有力貴族に脅されるなら、自分を家の所有物ではなく、別の組織に必要な人間として扱わせればいい。小さな権力に潰されるなら、それより上位の公的な権威の内側へ入るしかない。

 

 私自身が王立オセロ協会や王宮に近い実務に組み込まれれば、私を動かすには公的な名分が必要になる。そうすれば、ラングベル家も勝手には手を出せなくなるはずだ。守ってくれるのは善意ではない。私がその機関の役に立つから、勝手に奪われては困る、という形にしなければならない。

 

 しかし、これも現実的ではない。そもそも子爵令嬢の私が、家の意向を離れて就ける仕事などあるのか。あったとしても、実家の資金が底を突く春までに採用されるなんて、どう考えても間に合わない。

 ならば、正式な役人ではなくても、公的な仕事に近い場所へ入る道を探すしかない。王宮に直接職を求める道は遠い。学園生という身分だけでは、休暇中の私を家から切り離せない。ならば、王家の名を帯びながら王宮外に拠点を持つ協会か、そこに付随する記録係が最も近い。

 

 私にできることは何か。書類を読むこと、領地の物流を見たこと、学園で貴族の作法を覚えたこと、そして前世の常識から、この国の仕組みの歪みを別の言葉で考えられること。その程度しかない。けれど、その程度でも、協会の地方展開に結びつけられれば、ただの泣き言ではなくなる。

 

 最後に、家の娘という身分とは別の所属を作る道を考えた。

 

『家から離れ、家とは別に、外部機関との実務契約を結ぶ』。

 

 私はすでに王立学園の生徒だ。だが、春休みに実家へ戻れば、結局はハーテス家の娘として扱われる。ならば、学園生という身分だけでは足りない。休暇中であっても家長の命令より優先される、別の実務上の所属が必要だった。

 

 私がハーテス家の娘として実家にいるから、借金のカタにされる。ならば、協会の地方業務や記録実務に関わり、家とは別の肩書を持つ。

 

 そうすれば、私自身だけは家だけの判断で動かせない存在にできるかもしれない。

 

 けれど、私だけが家の外に出れば、それは両親と領民を見捨てる選択に近づく。今日の視察で見た、必死に領地を回そうとする父の背中を、私はまだ切り捨てることができない。逃げるだけなら、私は助かるかもしれない。けれど、ハーテス領の徴税権も物流上の優先権も奪われれば、残された者はさらに弱い立場へ落ちる。

 

 羽ペンの動きが止まる。止まって、また動いた。消した文字の横に、私は小さく『雇われるには、雇う理由が必要』と書き足した。

 

 仮案を書き出してみたが、私の「現代の常識」から捻り出したこの理屈は、あまりにも穴だらけだ。こんな甘い考えが、血統と身分で人を縛るこの貴族社会で通用するとは思えない。それでも、どの案にも同じ芯があった。私は、ハーテス家より強い何かに、私を雇い、手放さない理由を持たせなければならない。

 

 この机上の空論を、現実の貴族社会で使える材料にするには、この国の貴族制度と記録と利害を読み、私の穴だらけの案を取引の形へ直せる相手が必要だった。そして、あわよくば、その相手に私を使える場所へ置いてもらう。惨めでも、厚かましくても、それが一番現実的だった。

 

 ただ助けてと泣きついても、誰も相手にしてくれない。同じ前世を持つから。可哀想だから。同じ女だから。その程度の理由で、あの人がご自身の名を使って私を抱え込むはずがない。

 

 差し出せるものを探さなければならない。ハーテス領の物流記録、ラングベル家の接近、奉仕役候補から外された後に、家が別の売却先を探し始めた経緯。それらを、泣き言ではなく、使える情報として並べるしかない。

 

 さらに、私自身を並べなければならない。何を知っているのか。何を読めるのか。どの程度なら記録を扱えるのか。協会の地方展開で、私をどこに置けば役に立つのか。

 

 でも、もし私のこの「現代日本の常識と、ハーテス領で見た物流の実情」を、ただの世迷い言としてではなく、「利用価値のある新しい理屈」として聞いてくれる相手がいるとしたら。

 

(……ヴィオラリア様なら)

 

 王宮という狂気の中で、次期王妃としての政治教育を受けながらも、感情に呑まれず、条件と責任を見て判断する人。ヴィオラリア・オルネ・クロムハルト。

 

 彼女もまた、私と同じ転生者だ。技術者としての前世を持つ彼女は、この国の『血統』や『品位』といった曖昧なものに呑まれず、仕組みとしてどこが壊れ、どこなら動かせるのかを見ている。

 

 今の彼女は、王家の名を帯びた新しい機関を動かし、王宮の外にも足場を作り始めている。

 

 彼女なら、私が家と自分を切り分けるために集めた、未完成の材料を、感情論ではなく「実利」として評価し、この世界で通用する取引として成立する形か、切り捨てるべき空論かを判断する。

 

 いや、納得させなければならないのだ。この残酷な世界で、転生者というだけで無条件に助けてもらえることなどない。彼女に「雇うだけの実務価値がある」と認めさせられなければ、私は終わりだ。だから、泣き顔ではなく記録を持っていく。助けてください、だけではなく、私を使えば何を得られるのかを示さなければならない。

 

 私は自分の強みと弱みを、もう一枚の紙に書き出した。強みは、ハーテス領の物流を内側から見たこと。王立学園の生徒であり、貴族の形式を最低限は理解していること。前世の記憶があり、記録や契約という発想に抵抗がないこと。弱みは、家の後ろ盾を失えば一人では何も守れないこと。実務経験が浅く、判断を誤ればすぐに捨てられること。それでも、地方の事情を知る学園生を、協会の地方展開に使う意味はあるはずだ。

 

 私は数枚の羊皮紙を丁寧に折りたたみ、懐に深くしまった。

 

 窓の外が、うっすらと白み始めている。夜が明ければ、ヴィオラ様に会いに行く。

 

 もう、制度に目をつぶって、攻略手順の先に進む気はもうなかった。

 

 ヴィオラリア様の前に、この未完成の材料と、私自身の実務価値を差し出す。嫌だと叫ぶだけでは足りない。私を雇えば何が得られるのかを示せなければ、この道はここで閉じる。

 

 

 

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