リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第2話『無答の王宮1』

1 グラクトの帰還

 

 学園から王宮へ戻ったその日、グラクトは帰還の報告だけを済ませると、そのまま自室へ下がった。ヴィオラの私室で告げられた言葉が、まだ胸の奥に残っていた。

 

 疲れているのではなかった。今の自分は、何を知らず、何を確かめねばならないのかを、まだ言葉にし切れていない。問いが曖昧なまま人に会えば、返ってくるのは相手に都合のよい答えだけになる。王宮とは、そういう場所だと彼もようやく理解し始めていた。

 

 扉が閉まると、部屋は静かになった。

 

 グラクトは上着を脱ぎ、窓際の椅子へ腰を下ろした。庭は乱れていない。石も芝も、遠くに見える回廊の影も、最初からそこにある秩序を崩さぬまま夕方の光を受けていた。その整い方が、人の身体に関わることさえ秩序の名で処理される王宮そのもののようで、今の彼にはひどく息苦しかった。

 

 学園では、少なくとも争点だけは露出していた。誰が何をしたか、どこに責任があるか、何が規則に触れたか。醜くとも、机の上へ載せることができた。前年度の裁判で、王子の寝所という本来なら隠されるべきものまで、人前へ引き出された。

 

 だが、王宮へ戻れば、露出したはずの争点さえ再び品位と慣例の言葉で包み直される。何が争われ、誰が何を求めているのかは、こちらが先に輪郭を与えなければ見えてこない。

 

 今、グラクトがどうしても輪郭を与えねばならないのは、レティシアが、自分の背後に見た王宮の仕組みの正体だった。裁判で明るみに出た事実を知った彼女は、理屈より先に身を退いた。あの夜、ヴィオラは告げた。王宮の内では当然とされる奉仕の制度も、外から見れば、生理的な拒絶を招き得るのだと。

 

 彼女は、グラクトという男だけでなく、奉仕者を受け入れてきた第一王子としての自分を拒んだ。

 

 あの時彼女が身を強ばらせたのは、グラクトの言葉や性質だけが原因ではない。王子の情交を誰が担い、誰が婚約者となり、誰が側妃として近くへ据えられるのか。その一つ一つが、本人同士の思いだけではなく、家と派閥の都合で決められていく仕組みそのものに、彼女は触れてしまったのだ。

 

 ヴィオラは、それを王宮の外から見れば当然の反応だと言った。王子の情交が制度として整えられ、奉仕者が置かれ、それを当然の作法として扱うことは、王宮の内側では秩序でも、王宮の外に立つ娘にとっては受け入れがたい現実なのだと。

 

 さらに、もう一つ残酷な事実も告げた。第一王子であるグラクト自身も、その制度を動かす者ではなく、制度の中央に置かれ、周囲に担がれる側なのだと。

 

 そこまでは、グラクトにも分かる。

 

 では、あの拒絶の前に何を示せばよいのか。そのために、王宮の仕組みのどこを見極めるべきなのか。

 

 王家に生まれ、王家の作法の中で育った以上、そうした制度があること自体は、彼にとってあまりに自然だった。生母も、奉仕者も、婚約者も、側妃候補も、彼の周囲では王家を支えるために必要な配置として語られてきた。

 

 そうしたものが王家の安定のために置かれている、という説明も、知識としては知っている。だが、配置される者の意思だけでなく、中心に置かれる王子自身の意思も薄いのだということを、彼はヴィオラに指摘されるまで、自分の問題として考えていなかった。

 

 しかし、知っていることと、理解していることは違う。王家の安定とは、何を保つことなのか。情交の奉仕までその名で正当化されるのなら、そこには必ず、王宮が崩さぬよう守っているものがあるはずだった。

 

『――――それはおそらく、次期国王となる王子への影響力をめぐる派閥の均衡なのだろう』

 

 一つの宮、一つの家、一つの勢力だけが次期国王となる王子を独占すれば、他は必ず反発する。逆に、複数の勢力がそれぞれ王子へ影響力を及ぼせる位置を持ち、誰も決定的には締め出されていないと思える限り、表向きの秩序は保たれる。その均衡は、書類や席次だけで保たれるものではない。王子の情交、婚約、側妃の選定という、王子本人の身体と将来に触れる場所でこそ、最も露骨に現れる。

 

 では、誰がどれだけ王子へ影響力を及ぼせるのか。それは何で測られているのか。

 

 血統、家格、家職、財――そのどれも無関係ではあるまい。だが、今の王宮で最も敏感に扱われているのは、もっと露骨なもののはずだった。結局のところ、誰の家の娘が、奉仕者として、婚約者として、側妃として、王子の情交と婚姻に関わる位置へ入れるか。

 

 そこまで考えた時、グラクトは、自分が何を知らねばならないのかをようやく絞ることができた。

 

 ここまで来て初めて、彼は自分の手元にある事実だけを拾い上げた。

 

 第一側妃ヒルデガードは、表向きには不利なはずだった。ルナリア殺害にゼノビア侯爵家嫡男セオリスが関わった以上、彼女の実家であるゼノビア侯爵家は、王宮の中央から遠ざけられている。

 

 第一側妃派が以前のままの後宮での権勢を保っているとは考えにくい。だが、ヒルデガードは、第一王子の生母である。第一王子の生母という立場だけで、なお自分の婚約や側妃選びに影響を及ぼせる名分を持っている。

 

 他方で、ソフィア妃は、王宮内で有利に見られているはずだった。彼女はかつて自分の奉仕者であり、その事実は王宮の見え方から消えない。加えて、いまは第三王子の生母でもある。第一王子の奉仕者であった過去と、新たな王子を産んだ現在の双方を持つ以上、少なくとも王宮の見え方としては、ヒルデガードより有利であっても不思議はない。

 

『いま確かめるべきは、なお第一王子である自分を中心に、誰がどこまで影響力を持っているのかという問題なのか。それとも、第三王子の誕生によって、第一王子と第三王子のどちらを次の神輿として担ぐのかという段階へ移ったのか。もし前者なら、自分の情交、婚約、側妃選びに誰の影響力が及ぶのかを見極めればよい。だが後者なら、王宮がなお自分を次期国王として見ているのか、そこから確かめねばならない』

 

 分からぬままでは、自分が何に縛られているのかも見えない。見えぬままでは、誰から自分の意思を取り戻すべきかも、何を約束できるのかも定まらない。

 

 推測だけでは足りなかった。

 

 ならば聞くしかない。

 

 まず母上――第一側妃ヒルデガードに会い、第一側妃の宮が、なお第一王子である自分を中心に動いているのかを確かめる。次にソフィア妃に会い、第三側妃の宮が第三王子をどの位置に置こうとしているのかを見る。その上で、高官たちにも当たり、王宮の視線が第一王子への影響力争いに留まっているのか、それとも次の神輿を選ぶ段階へ移っているのかを測る。

 

 誰も本音は言うまい。

 

 だが、言い切るところと、言葉を濁すところがある。その濃淡を見れば、少なくとも自分をどう扱おうとしているのかは分かる。母として見るのか、第一王子として縛るのか、それとも派閥の旗として担ぐのか。その違いだけでも見えればよかった。

 

 グラクトは立ち上がった。

 

 いま必要なのは、約束の言葉そのものではない。何を確かめるべきかを誤らぬことだった。

 

 卓上の呼鈴へ手を伸ばしながら、彼は順を決めた。最初に会うべき相手は、第一側妃ヒルデガードだった。母としてではなく、まず政治の当事者として会わねばならない。第一側妃の宮がいまどこまで後退し、なおどこまで第一王子である自分へ影響力を及ぼせる位置にあるのかを知らなければ、その先の構図も測れない。

 

 レティシアへ責任ある言葉を差し出すためにも、まず見極めねばならない。断ち切るべきものは母の手にあるのか、ソフィア妃の手にあるのか、それとも王宮全体の慣例そのものなのか。

 

 澄んだ音が、静かな部屋へ短く響いた。

 

 

 

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