リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜   作:ムササビ・モマ

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第2話『無答の王宮6』

6 ゼノビア侯爵の断罪

 

 高官たちとの面会を終えた夜、グラクトはゼノビア侯爵家の別邸へ向かっていた。ひと気の薄くなった王宮を一人で進みながら、彼は高官たちとの面会でようやく掴んだ現実を反芻していた。

 

『いま王宮で争われているのは、次の王そのものではない。少なくとも、まだそこではない。現に各派が奪い合っているのは、第一王子である自分の背後に誰がいると見られるか、その影響力の所在である』

 

 そこまでは見えた。だが、そこから、自分がなぜ主体になれなかったのかまでは、まだ見えていなかった。

 

 ゼノビア侯爵家は、近衛騎士団長家であり、同時に第一側妃ヒルデガードの実家でもある。職務上は国王に属する近衛でありながら、政治的には第一王子を支える有力な外戚家門として読まれていた。

 

 その配置が、セオリス事件によって崩れた。

 

 問題は、侯爵家が失脚したこと自体ではない。もっと根本の問題は、なぜあの家が、自分の責任で統御していた支柱ではなく、第一側妃派が自分を担ぐための支柱として崩れたのか、という点にあった。

 

 もし自分が本当に主体であったなら、第一王子の周辺にある有力家門は、自分の判断と責任の下にあるものとして扱われるはずだった。だが現実にはそうならなかった。ならば、自分はあの時、何を持っていたのか。自分の支柱を持っていたつもりで、実際には第一側妃派の支柱の上に担がれていただけではなかったのか。

 

 そこを切り分けられるのは、王宮の無難な言葉を使う者たちではない。

 

 ヒルデガードは自派の不利を王家の均衡と言い換え、ソフィア妃は自派の優位を穏当さと余白で包む。高官たちは、誰の名も出さずに都合のよい正論だけを置く。だが、誰かの旗として担がれてきた自分の失敗までは、誰も言葉にしなかった。

 

 赦しを求めに向かっているのではない。だが、自分がなぜ主体になれなかったのか、その失敗を最も容赦なく言語化できるのは、あの男しかいないと思ったのである。

 

 セオリスは、自分の側近だった。危うさを見ながら制御せず、その暴走がゼノビア侯爵家の失脚を招いた後も、グラクトは主君としての責任を先に引き受けなかった。第一側妃の関与があったとしても、その事実は消えない。

 

 以前の自分なら、ここへは来られなかっただろう。責められることを恐れ、別の説明で自分を守ったはずだった。だが今は、逃げたままでは何も選べないと分かっている。

 

 面会は、侯爵家へ与えられている謹慎先の別邸で行われた。

 

 応接に使われた部屋は、王宮のそれとはまるで違っていた。広くはあるが、贅はない。壁際には武具台があり、短槍と儀礼剣が、必要な間隔を保って静かに並べられている。磨き上げられてはいるが、見せるための美しさではない。要るものを要る場所へ置き、余計なものを削った後に残る秩序だった。

 

 その部屋へ入った瞬間、ここで交わされる言葉の質をグラクトは悟った。ここでは、後からどうとでも言い換えられる正論は出てこない。責任は責任として定められる。そういう場所だった。

 

 ゼノビア侯爵は、既に席についていた。彼は立ち上がり、第一王子への礼を尽くし、着席を勧めた。形式は正しい。だが、それ以上のものはない。慰める顔も、取り繕う顔も、過去の近しさを装う顔もない。ただ、近衛騎士団長家の当主が、第一王子へ当然払うべき礼を、過不足なく置いているだけだった。

 

「ようこそお越しくださいました、殿下。王宮を一通りお回りになった後で、なお私のところへお越しになった以上、慰めや形式の確認ではありますまい。何を聞きに来られたのですか」

 

 回り道は許さぬ問い方だった。

 

 グラクトは、ここで言葉を濁せば終わると思った。王宮では、問いが曖昧でも相手がそれらしく整えてくれた。だが、この男は違う。悪い問いは、そのまま悪い問いとして返してくる。

 

 だからグラクトは、最初から本題を出した。

 

「セオリスの件で、私が何を誤ったのかを聞きに来ました。それだけではありません。あの件で、なぜ侯爵家の崩壊が、私の支柱を私が処理したものではなく、第一側妃派の支柱が崩れたものとして読まれたのかも知りたいのです。私は今、自分が誰の後見の内にあると読まれるかを測られています。ですが、その前に、なぜ以前の配置を、自分の責任で統御できなかったのかを知らねば、何を得ても同じことになる」

 

 侯爵は黙って聞いていた。

 

 そこでグラクトは、さらに踏み込んだ。

 

「私は、第一側妃派を立て直すために来たのではありません。むしろ、逆です。なぜ私は、あの配置の中心にいながら主体になれなかったのか。それを侯爵の言葉で知りたいのです」

 

 その言葉で、侯爵の沈黙の質が変わった。値踏みが終わったのだと、グラクトには分かった。やがて侯爵は、余計な前置きを置かずに口を開いた。

 

「では、申し上げます。殿下の罪は三つあります。第一に、危険性を知っていた。セオリスがどういう男か、殿下は見えておられたはずです。あれは忠義を語る男でした。ですが、主を支えるために己を抑える忠臣ではない。主を偶像として崇め、その偶像へ尽くす自分自身に酔う種類の男です。殿下その人を見ているようでいて、実のところは、殿下へ仕える自分の姿を誰より信じていた」

 

 侯爵の声は平坦だった。だが、その平坦さがかえって重かった。

 

「そういう男は危険です。主のためならば主の意向を越えて動く。越えて動くことを、純度の高い忠義だと誤認する。近衛として使えるかどうか以前に、統御から外れた時点で災厄になる」

 

 そこまで言われて、グラクトは否定できなかった。

 

 知っていた。少なくとも、気づいてはいなかったとは言えない。セオリスの忠誠は重く、熱を帯びていた。自分を王として疑わず、その王に仕える自分を恍惚と信じているところがあった。その危うさを、グラクトは確かに見ていた。

 

「……はい。見えていました。セオリスの忠義が、静かな忠節ではなく、熱に近いことは分かっていました。私という人間より、私へ仕える自分の忠義に寄っている部分があることも」

 

 侯爵は頷かなかった。認めたこと自体に価値はない。問題はその先だからだ。

 

「第二に、知っていながら制御しなかった。剣は、よく切れればそれで良いのではありません。主の命で抜かれ、主の命で収まるからこそ使える。どれほど鋭くとも、勝手に飛び出す刃は災厄です。セオリスは、近衛としては優秀だった。盾としても使えた。ですが、手綱を外せば、主の感情を勝手に解釈し、主の名の下に斬りに行く。殿下はその性質を見ていた。見ていたにもかかわらず、矯正しなかった。いえ、正確には、矯正したくなかったのでしょうな」

 

 グラクトの背筋が強張る。

 

「自分を絶対視する忠義は、心地よかったはずです。危険だと知りながら、眩しいとも感じていたのではありませんか。殿下は、あの男を使ったのではない。あの男に崇められる自分を、都合よく受け入れていた」

 

 セオリスの忠誠を危険と知りながら、同時に甘美なものとして受け入れていたという指摘は、痛いほど正確だった。

 

「……その通りです。私は、危険だから遠ざけるべきだった男を、危険なまま側に置きました。役に立つからだけではない。あの忠義が、自分にとって都合のよいものであったからです」

 

 そこで初めて、侯爵が小さく頷いた。だが、それは赦しではない。最低限そこまでは言えるかという確認にすぎなかった。

 

「第三に、事後に、主として責任を引き受けず逃げた。止められなかったこと自体が、既に主としての失態です。ですが、失態は失態として引き受ければ、まだ先があります。問題は、その後だ。セオリスがルナリア様を死に至らしめる事件へ走ったと知った後、殿下はまず何をなさいましたか。ご自分の側で起きた破綻を、主として先に引き受けたか。違うでしょう。側近が勝手にやった、近衛が暴走した――――そうした外側の説明へ逃げられる余地ばかりを見た」

 

 部屋がひどく静かになった。

 

 グラクトは、反論を探すことすらできなかった。実際、その通りだったからである。自分は、何を失うかを先に恐れた。立場、品位、継承、周囲の目。そうしたものが崩れることを恐れ、自分の側にあった破綻を、自分の責任として固定することから逃げた。

 

「主とは、自分の下で起きた失態を、他人のせいにする前に、自分の責任として定める者です。殿下は、そこから逃げた」

 

 そこで初めて顔を上げたグラクトが、ようやく絞り出したのは、短い肯定だけだった。

 

「……はい。私は、事の前にも後にも逃げました。危険な男を危険なまま置いた。そして結果の後も、それを自分の責任として先に定めなかった」

 

 侯爵は深く息を吐いた。怒りが収まったのではない。問いに耐えるだけの最低限はある、と判断しただけだろう。

 

「以上です。ですが、もう一つ申し上げます。殿下は、侯爵家という有力家門の支えを失ったと思っておられるのでしょう。違います。主の統御の下に収まっていない者たちは、そもそも殿下のものではない」

 

 その一言で、断罪は政治の言葉へ変わった。

 

「第一側妃の宮とゼノビア侯爵家は、宮廷から見れば殿下の側にあるように映っていた。ですが、それは殿下の意志で動く配置ではなかった。第一側妃派が第一王子を担ぐための配置であり、殿下はその中心に立つ旗であったにすぎぬ。だからセオリスの暴走一つで、殿下の支柱ではなく第一側妃派の支柱として崩れたのです。殿下ご自身の判断と責任の下にある家ならば、側近一人の暴走で、家ごと第一王子から切り離されたようには見えぬ。そう見えたということは、最初から殿下の側にある家ではなく、第一側妃派に属する家と読まれていたということです」

 

 その言葉は、グラクトの胸のもっと深い場所へ突き刺さった。彼は、侯爵家を失ったのではない。失えるほど、自分のものとして持っていたわけではなかった。

 

「私はセオリスを切りました・・・。情がないからではありません。情があるからこそ、なお切った。あれを庇えば、近衛騎士団長家そのものが『自分の判断で王族へ刃を向ける家』になる。そうなれば一族ごと死にます。父としては救いたくとも、当主としては切るしかなかった」

 

 グラクトは、その時初めて、この男もまた別の責任を背負っているのだと明確に見た。侯爵は実子を捨てても、家と役目を残す側を選んだ。感情がないのではない。感情を持ったまま切ったのだ。だから言葉が軽くならない。

 

「侯爵。あなたは……なお、私を見限ってはおられないのですか」

 

 それは赦しを乞う問いではなかった。今なおこの家が、自分を支えるに値する主として見ているのか、それとも既に切ったのか。その確認だった。

 

「見限るのは簡単です。ですが、王宮の構図はそう単純には動かん。今、各派が見ているのはなお殿下です。第三王子殿下は、将来の名分にはなる。だが、現に学園を押さえ、次代の視線を集め、王家の表へ立っておられるのは第一王子殿下だ。ゆえに、誰の後見の内に殿下があると見えるかが、まだ王宮の争点であり続けている」

 

 侯爵はそこで、初めてグラクト個人ではなく、第一王子という位置そのものを見る目になった。救うためではない。王宮がまだ彼を争点として見ている以上、彼がどこまで責任を引き受けられるかを見定める必要がある、という当主の目だった。

 

「だからこそ、殿下が何を誤り、どこで旗であることに甘んじたのかを、ご自身の言葉で定められるかどうか。それを見ている者は、まだおります」

 

 それは励ましではない。だが、完全な見限りでもなかった。

 

 グラクトは深く頭を下げた。

 赦しはなかった。慰めもなかった。

 だが、その代わりに、何を負っているのかだけは明確になった。

 

   ◇

 

 別邸を出た後も、グラクトはすぐには歩き出せなかった。

 

 痛みはあった。だが、その痛みだけが、次の一手を考えるための初めての足場にもなっていた。どの宮にも寄らぬよう身をかわすだけでは足りない。誰の旗として担がれるのでもなく、自分の責任で立たなければ、同じことを繰り返すだけだった。

 

 王宮が争っているのは、自分の背後に誰がいるかだった。ならば次に考えるべきは、誰の背後に入るかではない。自分の責任の下に、誰を集め、何を共に背負う者として迎えるのかだった。

 

 

 

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